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車のパッシングがすごく好きなんですよねって話。

すれ違い様、パッとライトを点滅するアレ。アレです。アレがものすごく好きなんですよ。

「先に行きなよ」「おい、ライト上がってんぞ」「さっきパトカー張ってたから気をつけてね」「ここ入っていいよ」…そんな合図、パッシング。

車ですれ違うのは見知らぬ他人、もうそれこそ何の利害関係もないしその後に繋がる何かもない。ほんの数秒のことだから、発展のしようもない。徹底的にどうでもいい他人に向かって、パッシングしてくれる。

人と人がすれ違うときも、譲り合ったり「どうぞ」と一言添えたりすることはあるけど、あれより車同士でのパッシングのほうが心理的負荷が低くてやりやすい気がする。あとなんかカッコいいよね、ヒミツの暗号っぽくて。(オタク)

言葉以外で他人とコミュニケーションを取る機会ってあんまりないから、また単純ゆえに「今のパッシングどういう意味だろ…あっ、もしかしてライト上がってる!?」なんてふうに思考を惹起するのがまた面白い。言葉だともう反射的に、無自覚に、分かったフリしちゃう。パッシングだと、まあ思考力とか空気を読む力がめっちゃ要求されはするけど、またそのぶん、秒で通じ合えるとまた快感でもあり。

人間に言語なんていらないんじゃないか実は。言語なんて明確なもんがあると傷も付けやすいしトラブルのもとじゃん。パッシングくらいで交信しあってるくらいがちょうどいいんじゃないか。そんな壮大な気持ちがわき起こります。

見知らぬ他人と、言葉すら交わさずに、思いやりを交わす。そんな優しさが人間の中にあるんだと思うと、すごく嬉しくなるんですよね。厳つい顔したおっちゃんも、笑顔一つ見せないけどパッシングしてくれることが多くて、子どものように喜んでしまいます。

もちろん誰もがいつだって親切心100%でパッシングしているわけじゃない。先に行かせた方が混まなくていいだろうとか、危なそうだから行かせてしまえとか、眩しいから下げろやとか、そういう思惑ももちろん主だって入ってくる。

でもそれすらも好き!!!!

この同じロードを征くものとして、この車社会を過ごしやすいものにしようと奮闘する我らここにすれ違いし…みたいな気持ちになる。(オタク)

だからそんな一員に私もなりたくて、機会があればすぐ道を譲ってパッシングしていたりします。パッシングしたあと、おっ、ども!みたいな顔で過ぎて行く人を見ると、めちゃくちゃ達成感を感じますね。やってやったぜ。これで私も立派な(車)社会の一員…。

ただし2台目、テメーは駄目だ。

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