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【意味】生成AIって結局何が良いのか?【目的】

クリエイティビティはある。ホスピタリティがないのかもしれない。

SeaArtPixAIYodayo、これらはすべて「自分でイラストを生成することができる」AIツールですが、個人的にAIイラストツールはすでに「分裂」の時代に入ってきているのではないかと感じることがあります。


というのも、Googleで「NSFW AI generator」とか「AI illustration generator」とか検索すると英語のサイトで「20  Best AI generator」とかいうランキングが出てきてそのうち半分は聞いたことのあるものばかりだからです。

具体的には「Midjourney」「ダリ3」「Soulgen」などで、これらはAIイラスト生成をやっていれば聞いたことは頻繁にあるのではないでしょうか。

生成か、閲覧か

こと生成AIについてはすでに膨大な量のイラスト、文章、音楽が跋扈しているわけですが、そのほとんどにおいて「誰も見ていない」という現象が発生しています。自分の性癖にぶっ刺さるNSFWイメージを作ったとしても、そのほとんどが誰にも見られていないような状態でSeaArtやYodayoなどに転がっている状態です。

その一方で、AIで作られたキャラクターを閲覧する、もしくは彼らと会話できるというサービスも多く誕生しました。

Mindyのような、AIのキャラクターと対話できる、イメージを要求できる、音声までも聞けるといったフルメディアサービスがいくつかあり、この生成とは異なる「閲覧」の潮流は個人的に理解できるところがあります。

この閲覧というのは、シンプルに「生成AI」の凄さをとくと見るべし、という意味合いの閲覧です。

そもそも生成する意味

無駄なものを大量に生み出しているだけ、といえば萎えるだけですが、実際AIで作品を出すとき、自分の趣味趣向に準じたものを出していても意味はないのではないかという疑問が生じたりしました。

伸びるものは伸びますが、それは自分の趣味とかに合わせて作っているだけでは、「よくわからないけど当たった」という感じになってしまいます。最も面白いのは、伸びるコンテンツを無限に作りまくることですから、なぜ伸びないのか、伸びるにはどうすればいいのかを吟味する必要があります。

ここにきて、生成する意味を問われているような感覚に陥りました。これまでの生成劇はすべて無駄だったのか?でも、誰にも見てもらえないならば無駄なんじゃないか?と。

そもそも、なぜ生成しているのかという根本的な疑問に立ち返れば、ほとんどが箱から出てくるものを見たいからということに気づきます。

必要だったのは、さらに大局的な視点でした。

どういった利用が最適か?

生成AIについて自分の趣向=誰もやっていないこと、もしかしたらやっている人がいるかもしれませんが、その場合生成する必要はないはず(検索して見つけたら用済み)なので、こういうケースを考えていますが、これでは意味がない(ただのビュー数獲得競争になる)ということを述べてきました。

確かに、誰もやっていないことをやることは非常に意味のあることかもしれません。

しかし、こと生成AI、ことブラウジングできる生成AIに限って言えば、閲覧してヒントを得て、自分でも生成するという流れになりますが、これは何の意味があるのか?と考える必要があるかもしれません。

最初に価値のある画像を作った人は、言い換えれば「こんなのができるよ」という宣伝の意味があるとすれば、画像を生成する意味は以下の2つなのではないかと思っています。

AIイラストの実態を伝える
ユースケースを提供する

ユースケースを提供する

一つ目は、端的にみんなに見られる凄い美麗なイラストを生成することが目的になります。もう一つのユースケースを提供するというのは、実際に自分が作り出したイラストが二次的にどういった形で使えるのかまでを考えたときのAI生成ということになります。

つまりは、それが背景画像に使えるというならばユースケースとして成立します。そのような生成した画像がさらに何かに転用できるようなアイデアこそ、生成すべきだったのかもしれません

AIプラットフォームは日々拡充しており、漫然と見ていると非常に面白く思えます。しかし、おそらくその中ではほとんど変わり映えしない、したとしても差はないようなイラストばかりで、なぜこんな大量に画像があふれかえっているだけなのかと疑問に思うかもしれません。

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