2.専業主婦の価値

大学生の頃から、専業主婦になりたいと思うようになった。私自身は自分がそう思うようになったことを、自然なこととして受け入れていた。しかし、人に説明できるような、合理的で立派な理由が見つからなかった。ましてや、世界は経済社会による支配が強まるばかり。自分で自分を責めながら、専業主婦の価値について考え続ける日々だった。

前回、専業主婦の価値は経済活動の場という「社会」では認められないことを述べた。では、どの「社会」なら専業主婦の価値が認められるのだろう。その答えのひとつが、家庭だ。経済活動の場と比べたらひどく小さくて脆い「社会」だが、紛れもなくひとつの「社会」であり、それを維持することは「社会」の構成員、つまり家族にとって人生における重大な課題だ。家庭の維持には家事が不可欠であり、たとえ独り身家庭でもそれをないがしろにすることはできないが、家族の多い家庭や小さい子供のいる家庭では、より家事の負担と重要性が増すことは言うまでもない。そんな状況の中で、家事を一手に引き受ける役割の人物を一人、家庭に配置するという選択肢は合理的であり、自然な流れだ。経済社会が支配するこの世界で、金銭的収入を得ることは家庭を守るために必要不可欠であり、それには莫大な労力を要する。家事だけをやる者、経済活動だけをやる者という分担方法は、家庭という「社会」の維持においては十分考えうる選択肢の一つだ(それが最も正しい選択肢だなどと言うつもりは毛頭ない)。

経済活動の場での価値と、家庭での価値。どちらが重要か。その答えが人によって違うのは当たり前だ。そして、そこにこそ私が専業主婦になりたいと思った理由があった。私は、2つの価値に優劣はないけれど、私個人は家庭での価値に魅力を感じているのだと、気付いた。私にとっては経済活動の場という「社会」より、家庭という「社会」のほうがずっと身近で、大切で、愛おしかったのだ。だから、家庭を守る役割を担う専業主婦に魅力を感じたし、そうなりたいと思った。恐らく理由はそれだけではないし、これが「人に説明できるような、合理的で立派な理由」になりえるのかも分からないが、少なくとも自分で自分に納得することができた。

そして今、このことを、私が感じた息苦しさの元凶に伝えたい。

つづく

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