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生きる意味が分からない私が子供を産む理由

「生きる意味が分からない」とは、一昔前の私の口癖だった。
というか、今でも正直そんなもの分からない。ただ「生き物である以上、生きようとしなければならない。」という、意味も説得力もない言葉を、受け入れるようになっただけだ。
生きることの大半は苦しみで、それなのに何故生きていかなければならないのかと問う人がいたら、私はその人が望むような回答を用意できない。「私は、生き物だから、生きようとしています。」と答えることしかできない。

そんな私は今、妊娠している。
もし私の子供が同じことを問うてきたら、私は何て答えればいいんだろう?そしてもし、生きる意味が分からず悩む我が子に「何で私を産んだの?」と問われたら、私は何て答えればいいんだろう?

私が、子供が欲しいと思った理由。
母になりたかった。
夫の子供が見てみたかった。
残念ながら全て私のエゴだ。それも「子供と生きていきたい。」とか少しでも子供の命に寄り添うようなエゴではない。将来など見据えていない発作的な、私個人の出世欲と性欲にまみれたエゴだ。

それを私は、我が子にどう説明すればいいのだろう?
生きる意味を自信を持って説明できるお母さん、もしくは生きる意味が分からなくて悩んだ経験などないお母さんなら、こんなことで悩まないのかもしれない。
でも私は、生きる意味が分からないお母さんなのだ。

私があなたを無事に産んだら、周りはあなたにこう言うだろう。
「生まれてきて、おめでとう。」
そして私はこう言うだろう。
「生まれてきてくれて、ありがとう。」

その時あなたは泣いている。産声を上げるのは、初めての肺呼吸をするためだそうだ。生きるためだ。めでたがるのも感謝するのも周りの勝手で、あなたはただ生きるために泣く。私たちはその声を聞いて、きっと勝手に安堵して、そして勝手に泣くのだ。「生きていて良かったなあ。」と。

もしもあなたが「何で私を産んだの?」と聞いてきたなら、「産みたかったから。」としか答えられない。生きる意味に悩んでいるあなたは納得しないだろう。でも、生きる意味に対してどう決着をつけるかは人それぞれで、たとえ私があなたの母親であってもその答えをあげることはできない。

「生きる意味が分からない。この世に生まれたくなんてなかった。」と思うなら、勝手に産んだ母を恨めばいいよ。「この人が勝手に産んだせいで、私は生きる苦しみと闘う羽目になった。生きる気力が湧かなくて幸せになれないのも、格好良く生きられなくて辛いのも全部この人のせい。」と思えばいい。それであなたが生きる意味を悩むことから少しでも解放され、とりあえず生きていようと思えるのであれば。

でも、たぶん、これは私の経験から勝手に推測することだけれど。母親にそんなことを聞くなんて、きっとあなたが求めているのは"答え"じゃないんじゃないかなあ、と思う。
だから、できたらこう続けたい。
「あなたが生まれたとき、本当に嬉しくて、生きていて良かったと思えた。あなたのことが大好き。生きていてほしい。」と。

そんな気持ちも全部私の勝手、そして生まれる前からこんなことを悩むのも私の勝手なのだから、あなたはどうか無事に生まれ、ただ生きるために泣いてくれますように。

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