1.女性にとっての「社会」

「女性の社会進出」という言葉をよく聞く。一般的にはイメージの良い言葉として使われているようだ。しかし私はそんな世界が息苦しい。「女性の社会進出」が促されること(のほう)が(より)良いこととされている世界。問題なのは、ここで言う「社会」だ。これはもっぱら経済活動の場だけを指しているように感じる。とすれば、専業主婦である私は「社会」進出していない女性ということになる。「女性の社会進出」を促す世界は、専業主婦を認めない世界だ。

経済活動の場に進出する女性を非難したり、その活動を妨げたりする行為はクソだ。クソ以外の何物でもない。でも、そのクソを無くそうとして今度は経済活動の場に進出しない女性が息苦しさを感じているなんて、世界の在り方として滑稽ではないか。マジョリティとマイノリティ、強者と弱者、どちらに偏っても不健全だ。つまり世界はほとんどの場合不健全ということになるのだが、それを仕方ないと諦めたら終わりだ。現実を見つめつつ、それでも心の底で忘れちゃいけない綺麗事があるはずだ。女性は、「社会」進出してもいいし、しなくてもいいのだ。もちろん男性だって、「社会」進出してもいいし、しなくてもいい。全ては自由なのだから、常にフラットな状態を求め続けるべきだ。

専業主婦には社会的価値はない?そうだろうとも。その「社会」が、「女性の社会進出」の「社会」と同じく、経済活動の場だけを指しているのなら。そんな限定的な枠組みでしか考えられないから、資本主義や経済社会の中で擦り切れながら闘う人ばかりだから、この世界は息苦しいんだ。私はもう、経済中心の語り口はうんざりだ。どんな考えを持っていてもいいけれど、それを他人に無理強いすることは許されない。物事が「正しい」のはある視点に立った時のみであって、全てにとって「正しい」ことなんてこの世界には存在していない。「女性の社会進出」を促すのは、進出したい女性には「正しい」ことだけれど、私にとっては「正しくはない」ことだ。(もちろん、「間違い」でもない。)だからその物差しで私を測らないでほしい。

しかしそうなると、専業主婦の価値はどの「社会」なら認められるのだろう。

つづく

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