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4年振りに新作をドロップ!ルーペ・フィアスコのキャリアを振り返る

デビューアルバム「Lupe Fiasco's Food & Liquor」(2006)で、鮮烈なデビューを飾り、グラミー賞に4部門にノミネートされたLupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)

セカンドアルバム「Lupe Fiasco's The Cool」(2007)のリードシングル「Superstar」は、自身初のトップ40入りを果たし、2011年にリリースしたサードアルバム「Lasers」は、全米チャート1位を獲得。

収録曲の「The Show Goes On」(2010)は、全米シングルチャート9位を記録し、グラミー賞で2部門にノミネートされるヒットとなりました。

そんな彼が2022年に8枚目のアルバム「Drill Music in Zion」をドロップ。

ここでは、2011年までのルーペ・フィアスコの輝かしいキャリアを振り返ります。

レーベル  : 1st & 15th Entertainment
リリース日 : 2022年6月24日
名前    : Lupe Fiasco
本名    :    Lupe Fiasco / Wasalu Muhammad Jaco
年齢    : 40歳


出身地   :    イリノイ州シカゴ

「本心を偽っているような気がしたんだ・・・」ギャングスタラップでキャリアをスタートさせた彼の葛藤

イリノイ州シカゴで生まれたルーペ・フィアスコは、5歳の時に両親が離婚。彼は母親と共に暮らしていましたが、ブラックパンサー党員である父親の影響を強く受けて育ちました。

放課後、父が迎えに来て、俺らを世界に連れ出したんだ。
ある日はN.W.Aを聴き、次の日はRavi Shankarを聴き、次の日はAK-47の撃ち方を教わり、次の日は空手のクラスで、次の日は中華街で・・・

父親の元で過ごすようになった彼は、麻薬の売人から身を守るための銃の使い方を教わり、決して豊かな生活ではなかったものの、良い教育をうけ、読書することを学びました。母親は次のように語っています。

彼は素晴らしい活気のある子供だったわ。
賢くて、ちょっと複雑で、一匹狼みたいな感じで、あまり人と付き合わなかった...いつも眼鏡をかけていたの。
いつも肩からカバンをかけて、タブレットのようなものを持っていたわ。
ヒップホップは下品な音楽なので嫌いで、ジャズを聴くのが好きで、クラリネット奏者のBenny Goodmanに憧れていたわ。

その後、Nasのアルバム「It Was Written」(1996)を聴いてラップへの興味を抱き、友人と楽曲制作を始めます。
ラッパーになることを反対する両親を押し切り、ラップグループDa Pakへ加入。
Ice CubeSpice 1と西海岸のギャングスタラップに影響を受けたこのグループは、Epic Recordsと契約し、1枚のシングルをリリース後に解散。
ルーペ・フィアスコは当時の心境を「本心を偽っているような気がしたんだ」と明かしています。

コカインと銃と女についての曲を出したんだけど、レコード屋に行ってそれを見て、何やってるんだって思った。
本心を偽っているような気がしたんだ。
決して批判されないようなラッパーを演じていたんだけど、そんなものをぶっ壊さなきゃいけなかったんだ。
だって、Lupe Fiascoがこのマイクで言ったことは、Wasalu Jaco(本名)に返ってくるんだから。
音楽が止まったら、家に帰って、自分の言ったことを背負って生きていかなければならないんだ。

カニエへ猛アピールして一躍注目を集める

こうして、ギャングスタラップから離れた彼は、自主制作でシングル「Could Have Been」をリリースし、2005年にミックステープ「Fahrenheit 1/15: The Truth is Among Us」をリリース。
この作品に収録されている「Muhammad Walks」は、 Kanye West(カニエ・ウェスト)「Jesus Walks」(2004)をビートジャックしたもので、この曲は、彼が初めてイスラム教徒であることを明かした曲でもあります。
しかし、それは決してイスラム教のプロモーションをしているのではなく、あくまで自分の生活に関わることだと話しています。

イスラム教は、俺の人生とやること全てに、ある程度は関わっているよ。
でも自分の宗教を表に出すのは好きではないし、そんな格好をするのも好きではない、なぜならみんなが俺をイスラム教の申し子と見てほしくないからだ。
俺の欠点を見て、『ああ、これがイスラムの欠点なんだ』と思われたくないんだ。

Lupe Fiasco - Muhammad Walks (2005)

2006年にリリースした2枚目のミックステープ「Fahrenheit 1/15 Part II: Revenge of the Nerds」では、再びカニエ・ウェストの曲「Diamonds from Sierra Leone」(2005)をビートジャックした「Conflict Diamonds」を収録しています。
これについてルーペ・フィアスコは、前述した「Muhammad Walks」カニエに共演を頼み込んだものの、断られたため、再チャレンジしたようです。

カニエの部下に会いに行って、フリースタイルをやりたいと言ったんだ。
「Muhammad Walks」という曲があって「Jesus Walks」のリミックスとしてカニエとやりたかったんだけど、断られちゃったんだ。
だから、ミックステープに出したんだ。
「Conflict Diamonds」の時も同じで、最初に「この曲をやりたくて『Diamonds』の上でフリースタイルしたいんだ」って言って、クールかどうか聞いたんだ。
そしたら、『ああ、いいよ、やってみろ』って。
それで「Conflict Diamonds」を作ったんだ。
それを海外でリリースしたら、軌道に乗ったんだよ。

Lupe Fiasco - Conflict Diamonds (2006)

この曲がカニエの目に留まり、カニエは彼をシングル「Touch the Sky」(2005)のゲストに抜擢。
この曲が収録されたアルバム「Late Registration」(2005)は全米チャート1位を獲得し、アメリカはもちろん世界から注目を浴びることになります。

Kanye West feat. Lupe Fiasco - Touch the Sky (2005)

2006年にシングル「Kick, Push」をリリースし、グラミー賞「最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンス賞」「最優秀ラップ・ソング賞」にノミネート。
また、同年にJay-ZKanye WestThe Neptunesらがプロデュースしたデビューアルバム「Lupe Fiasco's Food & Liquor」(2006)をリリースし、グラミー賞「最優秀ラップアルバム賞」を含む4部門にノミネートされました。
その中でも、Jill Scottをフィーチャーした「Daydreamin'」は、グラミー賞「最優秀アーバン/オルタナティヴ・ソング賞」を受賞しています。

Lupe Fiasco feat. Jill Scott - Daydreamin' (2006)

2007年にはセカンドアルバム「Lupe Fiasco's The Cool」をリリース。
このアルバムのリリース直前、彼は、父親をII型糖尿病で亡くし、友人を何人か失い、ビジネスパートナーで恩師のCharles "Chilly" Pattonが麻薬組織にヘロインを供給しようとした罪で有罪判決を受けるという、とても辛い時期があったことを明かしています。

そうだね。たくさんの喪失感があった。
父を失い、ビジネスパートナーを刑務所で失い、友人も何人か失った。
とても暗い時期だった。
今でも時々はそうなんだけど、ちょっとはそこから抜け出せたかな。
でも、特にこのアルバムを作っている間は、頭の中がとても暗い時期だったんだ。

曲中で「Free Chilly」と訴えたアルバムからのリードシングル「Superstar」(2007)は、全米チャート10位を記録し、グラミー賞で最優秀「ラップ/ソング・コラボレーション賞」にノミネートされ、オーストラリアの有料テレビチャンネルFox8の番組「Football Superstar」のテーマソングにもなりました。

Lupe Fiasco feat. Matthew Santos - Superstar (2007)

レーベルとの確執により、アルバムがリリースできない・・・

それから4年の月日を経て、3枚目のアルバム「Lasers」(2011)をリリース。
コンスタントにアルバムをリリースしていたにも関わらず、これほどまでに時間がかかったのは、所属レーベルAtlantic Recordsとの確執が原因だったようです。

レーベルは、アルバムに商業的なシングルが入っていないことを懸念し、彼にレコーディングしてほしい曲をオファーしたようです。
これに対して彼は「レーベルがアルバムを気にかけているとは思わない...みんなはナンバーワンのレコードが欲しいだけだ」と明かし、アルバム発売延期の理由は世間に明らかにされないままでした。

これに納得いかないルーペ・フィアスコのファンは、Atlantic Recordsに「Lasers」のリリースを要求するオンライン署名を作成し、1万6000人以上の署名が集まり、ヒップホップブログサイトで大きな注目を集ることになりました。
ルーペ・フィアスコはこの嘆願書に対して「涙が出た」と明かし、ファンへの感謝を込めてRick Rossのビートジャックしたシングル「B.M.F-Building Minds Faster」をサプライズリリースしています。

Lupe Fiasco- BMF (Building Minds Faster)

そしてついにリリースされたアルバムは、自身初の全米チャート1位を獲得し、リードシングル「The Show Goes On」(2010)は、全米チャート9位と自己最高を記録しました。

しかし、この曲について前述のようにレーベルからリリースを指示されたようで「最初のシングルはこれでなければならなかったんだ」と明かしています。

正直言って、この曲について話すことは何もないんだ。
俺はあの曲とは何も関係ない。
あれはレーベルの曲だった。
プロデューサーやライターの知り合いがいたわけでもない。
レコード会社が俺に与えた曲の1つで、俺にラップして欲しい内容を与えたものなんだ。
「The Show Goes On」をやらなきゃいけなかった。
曲を出すなら、最初のシングルはこれでなければならなかったんだ。

Lupe Fiasco - The Show Goes On (2010)

おわりに


ここまで、彼の初期から中期までのキャリアを簡単に振り返ってきましたが、いかがだったでしょうか。

カニエに断られながらも粘り強くアピールし、遂にその才能を認められてブレイクを果たしたルーペ・フィアスコ
その後はグラミー賞の受賞や多くのファンを獲得し、順風満帆に見えましたが、その裏では父親の他界や恩師の投獄など困難な時期があり、また、商業的なレーベルとの確執から作品をリリースできないなどの苦難があったようです。
そんな困難を乗り越え、リリシストとしての基盤を着々と作り、数々の良作を私たちに与えてくれていたようです。

最後に一つ小話を

ルーペ・フィアスコは熱心なゲーマーとしても知られており、格闘ゲーム「ストリートファイター」シリーズにのめり込んでいるようで、
2016年に行われたストリートファイターVの エキシビションマッチでは、プロプレイヤー梅原大吾を相手に"ケン"を使って3-2で勝利し、周囲を驚かせたといいます。

ラップだけにとどまらない、その集中力とマルチな才能に驚かされますね。

次回は彼のニューアルバムを解説します。


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