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イギリスのイラストレーターのジョン・テニエルが生まれた。

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ArtDailyは2022年02月28日に、19世紀の後半によく知られたイギリスのイラストレーターで、グラフィック・ユーモアリスト、および政治的な風刺画家あったジョン・テニエル卿(Sir John Tenniel/1820 - 1914)は、イギリスのロンドン中心部シティ・オブ・ウェストミンスター(City of Westminster)にある地区ベイズウォーター(Bayswater)で、ダンスとフェンシングの達人であり、ユグノー家系に属していたジョン・バプティスト・テニエル(John Baptist Tenniel/1792 - ?)と、その妻エリザ・マリア・テニエル(Eliza Maria Tenniel/? - ?)の子として1820年02月28日に生まれたと報告した。

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彼は、2人の兄弟と3人の姉妹と一緒に育った。
バーナード・テニエル(Bernard Tenniel/1817 - ?)
イライザ・マーガレット・マーチン(Eliza Margaret Martin/1818 - ?)
ウィリアム・リカーズ・テニエル(William Rickards Tenniel/1821 - ?)
リディア・ヴィクトワール・テニエル(Lydia Victoire Tenniel/1823 - ?)
キャロライン・テニエル(Caroline Tenniel/1825 - ?)
ジェームズ・テニエル(James Tenniel/1828 - ?)
アドルフス・テニエル(Adolphus Tenniel/1829 - ?)
メアリー・テニエール(Mary Tenniel/1832 - ?)
ジョージ・テニエル(George Tenniel/1838 - ?)
フレデリック・テニエル(Frederick Tenniel/1838 - ?)
チャールズ・テニエル(Charles Tenniel/1841 - ?)

https://time-az.com/main/detail/63408

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妹イライザ・マーガレット(Eliza Margaret Martin/1818 - ?)は、19世紀前半に活躍したロマン主義の画家で、著作権で有名なイギリスの盲目の詩人ジョン・ミルトン(John Milton)が、口述筆記した叙事詩「Le Paradis Perdu(Paradise Lost/失楽園)」を描いたジョン・マーティン(John Martin)の2番目の息子レオポルド(Leopold "L.C." Martin)と結婚した。
もう1人の妹のメアリーテニエール(Mary Tenniel/1832 - ?)は、 コーニッシュウェア(Cornishware)を製造した陶器の所有者であるトーマス・グッドウィン・グリーン(Thomas Goodwin Gree)と結婚している。

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ジョン・テニエル卿は、ユリウス・ジャイアンニ(Julius Giani/1800 - 1834)とイヴ・ジャイアン(Eve Giani/1801 - 1879)の娘ジュリア・ジャイアンニ(Julia Giani/結婚後ジュリア・テニエル(Julia Tenniel/1824 - 1856)と結婚している。

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また、 彼の伝記作家ロドニー・エンゲン(Rodney Engen)は、テニエルの「人生と経歴は、尊敬の端に生きる最高の紳士の人生と経歴だった。」と書いている。

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ジョン・テニエルは、英国王立美術院学校に入学するが、すぐに辞めてしまいほぼ独学で絵画技術を身につけた。
16歳で、最初の油彩画をイギリス王立美術家協会の展覧会に出品した。

20歳のとき、1840年、テニエルは父親とフェンシングを練習しているときに、保護用の先端を誤って失ってしまった父親のホイルから重傷を負った。長年にわたって、テニエルは徐々に右目を失明した。彼は父親にそれ以上ひどく言いたくなかったため、傷の重症度を父親に決して伝えなかった。

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彼は、芸術的な業績によって、1893年にナイトの称号を叙した。

ジョン・テニエルが雑誌パンチ(Punch)の政治的風刺画を50年以上描いたことで、多くの人の記憶に残り、また1865年に出版されたルイス・キャロル(Lewis Carroll)の「不思議の国のアリス(Alice's Adventures in Wonderland)」、1871年に出版された「鏡の国のアリス(Through the Looking-Glass, and What Alice Found There)」の挿絵でもよく知られた。

しかし、ジョン・テニエルは、カトリックとの対立のため『パンチ』を去ったリチャード・ドイル(Richard Doyle)の代わりとしてマーク・レモン(Mark Lemon)に誘われて、1850年のクリスマスにテニエルは『パンチ』に参加した。

テニエルは当時のチーフだったジョン・リーチ(John Leech)とはよく似た作風であった。ジョン・リーチの死後もチーフを受け継いで活動を続けた。

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今回公開された絵は、ジョン・テニエルが描いた「共謀(Conspiracy)」
パネルに油彩。1850年08月。イギリスの個人所有。

シティ・オブ・ウェストミンスター(City of Westminster)にある地区ベイズウォーター(Bayswater)の緯度、経度。
51°30'48.8"N 0°11'11.6"W
または、
51.513544, -0.186567

1862-07-04---『不思議の国のアリス』の起源は、即興の物語。
1854-02-17---イギリスの画家ジョン・マーティンが死去した。

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