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カシミール地方に大きなスクリーンで映画を取り戻した。

BBC News電子版は2022年09月30日に、インド統治下のカシミール地方で、20年以上ぶりに映画館が再開された。 モアズム・モハマード(Moazum Mohammad)とアブダ・バート(Abid Bhat)が、紛争で荒廃した地域に映画館を戻してきたこと、そしてそれが人々にとって何を意味するのかをレポートしている。
カシミール地方の主要都市スリナガル(Kashmir's main city of Srinagar)にあるINOXシネコンのホワイエ(The foyer of the INOX multiplex)には、天井やドアに施された複雑な木彫りや、張り子で作られた劇場のロゴなど、この地方の工芸品がたくさん飾られている。
10年生のスハイル・バート(Suhail Bhat)は、ヒンディー語映画「Vikram Vedha」の上映が始まった2022年09月23日金曜日に、学校をサボって劇場に足を運んだ。
「テレビや携帯で映画を見ることはあっても、劇場に足を運んだことはありませんでしたから、とてもうれしいです。」と彼は言う。
映画が休憩に入ると、バットはポップコーンとソフトドリンクを持ってホワイエで待ち、時折写真を撮った。
「来られなかった友人たちに写真を送ったら、みんな大喜びでしたよ。」

このシネマコンプレックスには、高性能の音響システムを備えた3つの映画館と、子供向けのエンターテインメントゾーンがある。
「この日を迎えるまでに4年かかりました」と語るのは、父親とともにINOXと提携してシネマコンプレックスをオープンさせたヴァカス・ダール(Vikas Dhar)でる。4階建てのシネコンを建設するために、一家は8部屋あったゲストハウスを取り壊した。

2022年09月20日には、ボリウッドのスーパースター、アーミル・カーン( Bollywood superstar Aamir Khan)の『フォレスト・ガンプ(Forrest Gump)』を映画化した『Laal Singh Chaddha』が初上映された。
ジャンムー・カシミール州の副知事であるマノジャ・シンハ(Manoj Sinha, the lieutenant-governor of Jammu and Kashmir)は、「歴史的な日」であり、「人々の希望、夢、自信、願望の新しい夜明けの反映」であると述べている。
ダールの夫妻は、数十年にわたる紛争と暴力に引き裂かれたカシミール地方の子どもたちに、「ファンタジーの世界」に入る機会を与えたいと考えていたと言う。
「カシミール地方の子どもたちは、放課後に娯楽を得ることができないのです。」「だから、このシネコンをオープンすることにしたんです。」とダールは言う。

1990年代初頭まで、インドで唯一イスラム教徒が多数を占めるカシミール地方には、主要都市スリナガールだけでも10軒の映画館があった。
のどかな草原や絵に描いたような風景で知られるこの地域では、ボリウッド映画も多く撮影された。
しかし、1980年代後半に始まったインド支配に対する武装反乱で、映画館は閉鎖を余儀なくされた。
暴力が激化すると、過激派組織アラー・タイガー(Allah Tigers)が、映画上映や酒屋はイスラム教に反するとして禁止令を発表した。
これらの複合施設の多くはインド治安部隊のキャンプ地となり、他の施設はショッピング施設や病院となった。
インド当局は1999年に3つのホールを再開しようとしたが、リーガル・シネマ(Regal Cinema)で過激派による死者1名、負傷者8名の致命的な攻撃が発生し、その努力は水の泡となった。

最も古いパラディウム・シネマ(Palladium cinema/旧カシミール・トーキー/Kashmir Talkies)のオーナーであるマンモハン・シン・ガウリ(Manmohan Singh Gauri)は、最後の映画上映を今でも覚えている。それは、1989年12月31日のヴィノッド・カンナ(Vinod Khanna)主演のボリウッド映画『Maha Badmash』であった。


彼の祖父が1932年にオープンしたこの映画館は、スリナガルのラル・チャウク地区(Srinagar's Lal Chowk area)にあり、1993年に焼失するまで、何十年にもわたってカシミール人を楽しませてきた。
この映画館は、1947年11月2日にインドの初代首相であるジャワハルラール・ネルーが、インドかパキスタンかを選ぶ住民投票をカシミール市民に約束した歴史的演説の舞台にもなっていた。両国はカシミール全域を領有すると主張しているが、支配しているのはその一部だけである。
「私たちは生活の糧を失い、故郷を離れて難民として暮らしていました」と、パンジャブ州のアムリトサル市(Amritsar city in Punjab)に避難したガウリ(Mr Gauri)は言う。
しかし、劇場が再開されたことで、彼は家業を再開する気になった。
ガウリはシンハ中佐(Lt-Gov Sinha)に会い、「映画を通じてのジャンム・カシミール州とインド映画界の絆(the bond between Jammu Kashmir and the Indian film industry through cinema)」を新たにすることを話したという。

2019年、ナレンドラ・モディ首相(Prime Minister Narendra Modi)の政府はこの地域の自治権を剥奪し、ラダック(Ladakh)とジャンムー・カシミール(Jammu and Kashmir)という2つの連邦直轄領に分割した。
それ以来、政府は開発をもたらすとする一連の法律や政策が実施されましたが、この動きは地域の人口動態を変えることを目的としていると心配する住民たちは、この主張に異議を申し立てている。
シンハ中尉率いる政権は、映画製作者をこの地域に呼び戻すために、いくつかの方策をとっている。
「私たちは、この地にフィルムシティを設立し、ジャンムー・カシミール州の全20地区に100席の映画館を設立する手続きを進めています。」と、INOXシアターでの就任演説で発表した。

地元のアーティストたちは、この変化によって自分たちの作品を発表できるようになることを期待している。
「新しい映画館では、少なくとも地元で作られた映画を1日1回上映してほしい。」と俳優で映画監督の(Mushtaque Ali Ahmad Khan)は言う。
また、映画館の再開がノスタルジアを呼び起こす人もいる。
北カシミールのバラムラ地区(north Kashmir's Baramulla district)に住む73歳の主婦、ディルシャダ(Dilshada)は、かつて家族と一緒に映画を見たことを思い出す。
現在は祖母となったディルシャダは、昔はこの地域のほとんどすべての劇場に足を運んだと言う。
リシ・カプール(Rishi Kapoor)とディンプル・カパディア(Dimple Kapadia)が主演した1973年の映画『ボビー(Bobby)』を、いとこと一緒に見に行った日のことを思い出していました。姉妹は顔を隠していた。
「ディンプルがスクリーンに映し出されると、人々は大声で叫び、歓声を上げ始めたのです。私たちは緊張して、外に飛び出しました。」とディルシャダは言った。

結局、二人は戻って映画本編を観たという。「数日後、私は夫と一緒にもう一度観に行きました。でも、前に観たことは内緒にしておきました。」
映画の復活は、ディルシャダのような人々を喜ばせる一方で、当局がそれを政治的プロジェクトに変えてしまったと非難する人々もいる。
あるジャーナリズムの学生は匿名希望で、これは地域が正常に戻ったことを示すための政府の最新の試みであり、「そもそもカシミールでは誰も映画館に反対していなかった」と述べた。
ダールは、この地域の政治的・治安的な状況が脆弱であることを意識している。しかし、彼は「自分の心に従った。」「一人でも多くの人が訪れてくれれば、私は幸せです。」という。

私は、色々な場所で映画を見た。

デリーの映画館で「2001年宇宙への旅」を見たし、タイのバンコクでは、映画が始まる目に王様が出てきて、私が薄わったままだったら、両脇の人が腕とってたたせた。
ギリシャのアテネでは、ケネディ暗殺映画を見たし、フランスのパリでは「エマヌエル夫人」のノーカット版も見た。
1970年代にカシミールのスリナガルやネパールのカトマンズで映画を見ている。しかし、ほとんどガラガラであった。

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