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正月明け、SNSを覗くと在宅介護人のグチが溢れていた〈介護幸福論 #8〉

「介護幸福論」第8回。本連載は過去の介護体験を振り返る実録記だが、今回はすこし時間軸をずらして2020年の話。著者の田端到さんが、在宅介護人たちのSNSを覗くと、そこには正月家にやってきて的はずれな口出し、頓珍漢な行動をとる身内へのグチがあふれていた。すべての介護人は身につまされる話。

#7はコチラ↓

■正月明けのSNSにあふれたグチ

 実家で親を介護する者にとって、正月に帰省してくる身内の存在は、ストレスになる場合が多い。いろんな人のSNSを読んでいると、しみじみと、痛切に感じる。

「なんにも実態を知らないクセに、自分が帰ってきたときだけ余計な口を出さないで!」
 そんな怒り、あきれ、愚痴の類が、毎年正月明けのカイガーマン&カイガーウーマンのブログやツイッターにあふれるからだ。

 口に出すのを我慢して、SNSにぶつけたのか。それとも面と向かって衝突してしまったのかは定かでないが、苛立つ気持ちは理解できる。いくら身内でも、外から見ている人たちに介護の実情はわからない。

 しかし、そこはぐっとこらえて、やり過ごしたほうが角は立たないだろう。帰省組の親族も、良かれと思って意見を言っている。ただ、それがズレてしまうだけだ。

 うちの場合、口出しをする特にやかましい身内はいなかった。むしろ、ぼくの側が「急に実家へ帰ってきて介護を始めたくらいで、自分だけが親のことをわかっているような顔をするなよ。今まで両親をほったらかしにしてきたくせに」と言われかねない立場である。兄弟や親戚の意見は、ありがたく聞くフリくらいはしなくてはならない。

■在宅介護人たちの愚痴3パターン

 では、どんなズレが生じてしまうのか。SNSで見かける在宅介護人たちの愚痴をまとめてみよう。

1 帰省してきた身内に「それほど認知症はひどくないじゃないか。おまえから聞いていた話より、ずっとしっかりしている」と言われてしまう。実態を理解してもらえない。

2 ろくに病気のことを知らない身内が、あやしげな治療法や民間のクリニック情報を調べて、吹き込んでくる。現在通っている病院や福祉施設に文句をつける。

3 昔の写真を見せて、認知症の親の記憶を回復させようと必死になったり、「大人の塗り絵」やら「えんぴつで書く般若心経」などの書籍を買い込んできて、認知症を改善させようと、にわか介護士になる。

 1はとてもよく聞く話である。離れて暮らしている子供や孫が帰ってくると、そのときだけ認知症の親がシャキッとする。

 在宅で介護している側は、もう自分の手に負えないから施設入所を考えているのに、たまに会う者はそれがわからず「たいしたことないじゃないか。施設に入れなくても大丈夫だよ」と、反対する。

 毎日接している側は「大丈夫かどうか、じゃあ、あんたが介護してみなさいよ!」と叫びたいところを、ぐっとこらえるしかない。

 親がシャキっとするのは、日常と非日常の違いからくるのだろうか。一緒に暮らしてない身内の訪問は非日常の出来事であり、脳も刺激を受ける。そこで症状が一時的に改善されても不思議はない。帰省組は、久しぶりに会った親を、日常の親と同じだと思わないほうがいい。

 上記2の、あやしげな治療法を吹き込んでくる身内は、一番厄介なパターンだ。

 普段は親のために何もできない分、せめて知識や情報だけでも役に立ちたいと頑張り、病気によく効く健康食品やら、認知症が治ると噂の民間療法を、ネットで調べて「これ、やってみなさいよ」と持ちかけてくる。

 それらの真偽をすべて否定する気はないが、介護している側には余計なおせっかい以外の何ものでもない。当然、こちらは医者にも診てもらっているし、身体に良い食事にも気を使っている。アミロイドベータがどうこうというアルツハイマーの医学的な基礎知識も、たいていの介護人は知っている。

 ちまたで評判の青汁とか、ホタテやシイタケで認知症が治るなら、世界はたちまち平和になり、特別養護老人ホームに空きが出るだろう。身内が持ちかけるネット由来のトンデモ療法や食品は、玄関先で甘い言葉をささやく宗教の勧誘とたいして変わらない。心が弱っているカイガーマンは鵜呑みにしてしまう危険がある分、たちが悪い。

■ぼく自身がやってしまった失敗

 上記3は、ぼくも最初の頃にやってしまった失敗だ。

 父の認知症を少しでも改善できないか、せめて進行を遅らせる努力はしてみようと、大人のドリル的なものをやらせてみたり、昔の写真を見せて記憶を呼び覚まそうと願ったり。

 もちろん、これらの積み重ねも認知症の予防には有効かも知れないが、やり方を間違えるとストレスを与えるだけの逆効果になってしまう。

 うちの父は国語の教師で古典が好きだったから、えんぴつで書くシリーズ(文字をなぞりながら書くドリル)の「万葉集」や「奥の細道」などを何冊か買って渡してみたが、ぱらぱらとめくっただけで興味を示さなかった。
「ボケないためにやってみようよ」と勧めたら、「こんなつまらんことができるか!」と、父を怒らせてしまった。確かに、かつて教壇で万葉集を教えていた人が、何を今さら鉛筆で万葉集の文字をなぞらなくてはいけないのか。

 昔の写真で記憶を呼び覚まそうとするのも、「そういうのはあまりやらないほうがいいです」と、ケアマネジャーにたしなめられた。楽しみとして見せるだけならともかく、「ほら、ここに写っているメガネの人は誰?」などと質問を浴びせてしまい、父をイラつかせた。

 思い出せないことを、認知症患者に自覚させたり、無理やり思い出させようとしても、ストレスを与えるだけだという。正月に帰省した身内が「あら、おとうさん、さっきも同じこと言ったわよ。しっかりして」と責めるのも良くない。

 素人が小手先で何かをしても、症状が良くなるわけではない。思い出せないことを否定せずに、介護する側も受け入れるのが大事なのだと、ほどなくして気付いた。

 だから、久しぶりに遊びに来た親戚が、ぼくと同じ「えんぴつで書くシリーズ」を土産に持ってきた時は、苦笑いするしかなかった。たぶん全国の家庭で似たようなすれ違いが起こっているのだろうなあと、正月明けのSNSの愚痴を目にすると、ため息が出る。

 ちなみに、うちの親戚が父に持ってきたのは万葉集ではなく、枕草子だった。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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