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野菜売りのおばあちゃんに学んだ、田舎の常識と非常識〈介護幸福論 #12〉

「介護幸福論」第12回。実家に帰って介護生活を始め、否応なく向き合わされた、田舎と都会の違い。野菜売りのおばあちゃんの世間話に付き合えば、おばあちゃんがしゃべる回覧板となり母の病状が瞬く間に近所中に知れ渡る。Twitterもびっくりの拡散力といえよう。

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■世間話好きが過ぎる、おばあちゃん

 実家に帰って介護生活を始め、否応なく向き合わされたのが、田舎と都会の違いだった。「田舎」という表現を嫌がる人もいるのは承知しているが、「地方」ではしっくりこない。

 小さいエピソードから挙げれば、朝の8時前に玄関のピンポンが鳴り、野菜売りのおばあちゃんが採れたての自家製野菜を売りに来る。キャベツには土が付いていて、たまに芋虫も付いてくる。

 まあ、野菜は洗えば済む話だが、このおばあちゃん、世間話が大好きで父や母の具合を根掘り葉掘り聞いてくる。

「あんた息子さんかい。おかあさん、どうなすったね」
「……ちょっと入院しまして」
「どこが悪いの? どこの病院?」

 ずっと、そんな調子だ。

 そして悪気はないんだろうけど、こうして仕入れた各家庭の近況を、行商先でまたしゃべりまくる。
「あの家の奥さん、病気で入院なすったって」

 かくして、うちの母が入院したという個人情報は、30分後には町内全体に広く知れ渡る。野菜売りのおばあちゃんは、しゃべる回覧板だ。同じようにご近所さんの情報も、キャベツの芋虫とセットでこちらの耳に入ってくる。

 東京砂漠生活30年のシティボーイであるぼくには(誰だおまえは)、この田舎村メンタリティが許せず、母に愚痴をこぼす。
「あの野菜売りのおばあちゃんさ、もう買わなくていいよね。何でもぺらぺらと近所にしゃべっちゃうから困る」

 でも、母はおばあちゃんの味方だ。
「そんなこと言わんで、買ってやってね。あのおばあちゃん、旦那さんが病気でずっと入院しててね。病院代や薬代を稼がなくちゃいけないっていうんで、ひとりで野菜を売るようになったんだって」
 そんな事情は知らなかった。母がそう言うのであれば、それを優先するのがここで暮らしていくための礼儀だろう。おばあちゃんとの朝の付き合いを、よそ者にすぎないぼくが断ち切るわけにはいかない。

■田舎は文字通り「スモールワールド」

 世界の狭さも、田舎の特徴である。

 うちの父親のケアマネジャーの上司(事業所の所長)は、ぼくの中学の同級生だった。

 母親の入院先の担当医師は、ぼくの高校の同級生だった。

 これが大都市で起こった偶然なら「イッツ・ア・スモールワールド!(=奇遇だね!)」と、ハリウッド映画のように大仰な仕草で驚くべきところも、田舎では珍しくもなんともない。比喩でなくて本当にスモールワールドだから、似たような一致が、低くない確率で起きる。

 とはいえ、さすがに母の担当医がかつての同級生というのは不思議な気持ちだった。自習時間に一緒にトランプで遊んで先生に怒られた仲間が、今は母の命を預かっている。命を預けている。

 もしこれが仲の良くなかった同級生なら、病院へ行くたびに気まずかったんだろうか、田舎は怖いなあ、などと想像しつつ、そんな〝逃れられない縁〟が、育った町には張り巡らされているのだと痛感した。

 ありがたいネットワークなのか、それとも身動きとれない蜘蛛の巣なのか。何十年たっても、その縛りからは自由になれない。

■一番の違いは死の匂い

 しかし、田舎と都会の一番の違いは、もっと別のところにある。それは日常における死の匂いの近さだ。

「地方では結婚式場がどんどんつぶれて、それが葬式場に変わっていく」と、ジョーク交じりのネタになる。若者がどんどん減り、年寄りばかりが増えていけば、自然とそうなる。ジョークではなく、本当の話だ。 

 うちの近所にも冠婚葬祭すべてを手がけるホールがあり、ほぼ毎日「本日のご葬儀 ○○家」という掲示を目にする一方、結婚式の掲示はたまにしか見かけない。

 ほかにも、介護施設や老人ホームの多さ、夜に鳴り響く救急車の音、ローカル新聞の「お悔やみ欄」の大きさなど、死や病気の断片が、身近に、当たり前のように横たわっている。お隣のおばあちゃんは、いつも線香の匂いがした。

 自分の両親が病気だから、ことのほか死の匂いに敏感になっているだけなのか。いや、それだけじゃないと思う。

 スーパーマーケットへ買い物に行くと、ある日、惣菜のコーナーを「ぼたもち」が占拠している。お彼岸だった。

 全国的によくある光景と思われるかも知れないが、気合の入り方が都会のスーパーとは比べ物にならない。いつも売っている弁当や総菜は端っこに追いやられ、ぼたもち、ぼたもち、ぼたもち。お彼岸にぼたもちを食べない人なんかいないでしょ、と言わんばかりの圧力がある。

 実家に帰る前は、ぼたもちとおはぎの違いも知らなかった。春のお彼岸に供えるのがぼたもち、秋のお彼岸に供えるのはおはぎ。いや、物は同じで、呼び方が変わるだけだ。春の「牡丹の花」から来ているのが、ぼたもち。秋の「萩の花」から来ているのが、おはぎ。そう覚えればいい。

 花の品揃えも充実している。お墓参りや、病院へのお見舞いの習慣が日常だからだ。お盆ともなれば、いろんなお店の売り場に色とりどりの「供花」があふれる。

 毎日を親の介護に追われていると、暦がさっぱりわからなくなるが、ご先祖様や死にまつわる行事は町が教えてくれる。

 これは田舎の人たちが自覚していない、都会にない贅沢さだと思う。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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