父の特養のお引越し。息子の知らない父と母の幸せな老後〈介護幸福論 #17〉

「介護幸福論」第17回。父の新しい特養への入所が決まった。そこは新しい特養で、全室個室。汚れひとつない淡いアイボリーの壁に、なにか写真を飾ろうと考えた。母と一緒にアルバムをめくっていると、自分の知らなかった父と母の幸せな老後の写真が出てきた。

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■父の新しい特養への入所が決まった

 アルツハイマー型認知症の父については、特別養護老人ホームに入所したところまで書いた。自宅から車で45分ほどの、緑の豊かな高台にある特養だった。

 ぼくは自動車の免許を持っていないから、父に会いに行くにはタクシーを使うしかない。往復で90分、およそ1万円かかるタクシーに乗り、最初の頃はちょくちょく顔を出していたが、会話が弾むはずもなく、30分も滞在すればやることがなくなる。

 訪問1回1万円は、バカにならない金額だ。せっかく来たんだから、介護士の人たちの話でも聞いていこうかと、ライターの取材魂が芽生えたりもしたけど、みんな忙しそうなので邪魔にならないように退散したほうがいい。最初は週に一度だった父への見舞いは、やがて月に一度へ減った。

 9ヶ月後、動きがあった。自宅から歩いて行ける場所に新しい特養がオープンして、入所できることになったのである。

 父の立場になれば、せっかく住み慣れかけた環境から移るデメリットはある。しかし、自宅から歩いて通える距離というだけで、家族にとってこれほどありがたい話はない。母とも相談して引っ越しを決めた。

 下見してみると、新しい施設はさすがにきれいだった。父がそれまで暮らしていたのは古い建物の4人部屋だったが、こちらは新築で全室個室。汚れひとつない淡いアイボリーの壁が、清潔さと同時に殺風景さも感じさせた。

「この部屋の壁には、写真やポスターのようなものを貼ってもいいんですか?」

 案内してくれた職員に尋ねると

「釘や画鋲を打つのは困るのですが、テープで止めていただくタイプのものでしたら、どうぞご自由に貼ってください」

 との答が返ってきた。

 壁を自由にデザインできる。これも相部屋と個室の大きな違いだ。相部屋は壁の飾り付けをできないが、個室なら家族の写真や父の好きな山の絵を、壁一面に貼り巡らせても文句を言われない。

■出てきた父と母の旅行写真

 いつも目に入る位置に家族や孫の写真があれば、認知症の進行を遅らせる効果もあるのでないか。

 母は抗がん剤の治療を終えて、ちょうど家で暮らすようになった時期だったから、父の新しい部屋に貼る写真を一緒に選ぶことにした。アルバムからピックアップして、それを拡大コピーして壁に貼ろう。

 母が整理してあったアルバムを開くと、父と母の旅行写真がたくさん出てきた。ふたりが退職した後の、比較的最近の写真だ。

 母は行動的で好奇心の旺盛な性格だから、退職後はよく父を連れ立って、日本各地へ旅行に出かけていた。その頃ぼくは親とまともに連絡をとっていなかったため、どこへ、どのくらいの頻度で出かけていたのかは何も知らない。

 アルバムをめくりながら、父と母が想像以上に全国あちこちへ旅していたことを知った。北は北海道から南は沖縄までという定型句の通りに、北は根室の納沙布岬から、南は沖縄の美ら海水族館まで、元気だった頃の父と母のツーショットが並んでいた。

 根室へ行った時には、お目当ての流氷がなかなか見られず、どうしても流氷を見たい父と、そこまでしたくない母の意見が分かれて、別行動をとったエピソードも聞いた。

「さーむくてね。おとうちゃんは何時間粘っても流氷が見たいって言うし、わたしは先にひとりでホテルに帰ってきてしまってね。おとうちゃんは待ったかいあって、流氷を見られたけど『小さかった』って」

 父の部屋に飾るのは、そんな母との思い出のツーショットがいいだろうと旅行写真ばかり選んでいたら、母は「わたしの写真よりか、あんたらが子供の頃の写真のほうがいいんじゃないかね」と言い出した。

 なるほど、退職後の記録より、もっと昔の懐かしい記憶のほうが脳を刺激しそうな気もする。

 ずいぶん年季の入った古いアルバムを押し入れから引っ張り出してきて、ぼくら子供たちが小さかった頃の白黒写真をながめていると、懐かしさよりも申し訳なさがこみ上げてきた。

 こんなに無邪気な笑顔を浮かべていた子供が、やがて親と離れて暮らすようになり、次第に連絡も取らない大人になったのかと思うと、ごめんなさいと詫びるしかない。

 節分の豆まき、端午の節句、クリスマスなどの暦の行事も、うちでは毎年やってくれて、楽しげな写真もアルバムにたくさん残っていた。紙のカブトをかぶり、にこやかに笑うかわいらしい男の子が昔の自分かと思うと、時の流れの残酷さに目まいがしてくる。

■束の間の親子3人の並び

 そんなこんなで選んだ7、8枚の写真を拡大コピーして準備を整え、父の引っ越し当日を迎えた。

 往復1時間半のタクシー。母の体調を考えると、ぼくひとりで送り迎えしたほうが無難かもと思いつつ、母が先方の施設の人たちに挨拶をしたがったので、一緒に行くことにした。父としばらく会えなかった母が、狭い車内で父と並んで座るのも悪くない。

 特養に到着すると、久しぶりに母と会った父はわかっているのか、わかっていないのか。半分眠ったような顔でぼんやりしていた。

 お世話になった人たちに挨拶を済ませると、帰り道は車の後部座席に、父をはさんで母とぼくと3人で座り、新しい特養へ向かう。親子3人の並び、これは「川」の字に入るのだろうか。

「毎日ちゃんとご飯、食べてるかね?」
「おお、食べてる」

 おかあちゃんが話しかけるうち、おとうちゃんも少しずつ意識がしっかりしてきて、人生の伴侶を認識したようだった。

 ふたりの会話を横で聞きながら、ぼくは両親の旅行写真を思い出していた。
 退職後の夫婦が仲良く連れ添って、日本各地へ旅行に出かける。両親がそんな老後を実現していたとは少々意外だった。亭主関白で融通が利かない父は、そういう夫婦像が似合わない人だと決めつけていたからだ。昭和ひと桁同士の夫婦としては、それなりに充実した余生だったのではないか。

 この先、父と母がふたりで旅行へ出かける機会はもう二度とないだろう。今、こうしてタクシーの後ろにふたり並び、新しい住居へ向かうまでの道のりが、もしかしたら最後のささやかな旅行なのかも知れない。

 そんな感傷に襲われ、ゆっくりと時間が過ぎればいいなと願った。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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