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母に告げられた「ステージ3」。生き死にの“確率”とは。〈介護幸福論 #14〉

「介護幸福論」第14回。母のがんの切除手術は無事に終わったものの、リンパ節への転移が見つかる。突きつけられたのは「ステージ3」という現実。5年生存率は20から30パーセントだという。でも人の生死を確率論で語れるものだろうか。しかし、最後にはその“確率”のためにある選択をすることに。

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■ステージ3。生存確率は…

 がんの切除手術を受けてから数週間後、母に残念な知らせが告げられた。

 生検の結果、リンパ節への転移が見つかり、ステージ3の診断がくだった。生検とは、病変の一部を採って顕微鏡で精密検査をすること。手術時に細胞組織を採り、その検査結果が悪いほうへ出てしまったのだ。

 肺がんの場合、ステージ1なら5年生存率は約80から90パーセント。ステージ3なら約20から30パーセント。ぼくが調べた資料にはそう記されていた。

 手術前は「たぶん早期のステージ1」と楽観視していたのに、実際はステージ3だった。言い換えれば、5年後に母が生きている確率は80パーセントから20パーセントへ急降下した。奈落の底へ突き落とされるとは、こんな時に使う表現だろう。

 いったい生存率が何パーセント以上なら、家族は、そして患者本人はホッとするのか。50%あれば希望を持てるのか、それとも80%以上ないと悲観が上回るのか。

 降水確率が何パーセント以上なら、人は傘を持って出かけるのか。そんな呑気な話とは違う。こちらは生き死にの予報だ。

 ただし、母が「ステージ3」とか「5年生存率」について知っていたわけではない。医者からは「リンパに転移が見つかりました」という説明があっただけで、ステージや生存率というのは、ぼくの頭の中だけで飛び回っている嫌な単語である。

 もし、母がパソコンやスマホの使い手だったら、豊富なネット情報を入手できてしまうが、幸いに母が持っているのは年寄り向けのガラケー。詳しい病状を調べる技術は持っていない。

 それでも母は察したのだと思う。診断を聞いて、かなり落ち込んだ様子だった。

 こちらも隠しようがない。ステージ3にはステージ3の治療があり、その内容で病状の深刻さはわかるからだ。

■4ヶ月の入院と抗がん剤

 今後の選択肢として、抗がん剤による化学療法(薬物療法)が提案された。なんと4ヶ月近くも入院して、抗がん剤を投与する治療だという。

 4ヶ月……。気が遠くなる長さである。ようやく退院して自宅で過ごせる日が来たと安堵したばかりだったのに、また入院。それも4ヶ月。正確には1クール2週間の治療を4クールおこない、少し休んでまた4クールおこなうから、合わせて16週間。

 抗がん剤と聞けば、ぼくら昭和世代には刷り込まれた副作用のイメージがある。激しい吐き気による苦しみ、抜け落ちる髪の毛。バケツをかかえて嘔吐する患者。あれを70代後半の母が、長期間、続けなくてはならないのか。
「最近の抗がん剤治療は、20年や30年前に比べたらずっと副作用も出にくくなって楽になりました。もちろん人によりますけど」

 こちらの心配を打ち消すかのように医者は説明してくれたが、効果も副作用も人それぞれで、治療を始めてみるまでわからない。恐い。付き添っているだけの人間が恐いんだから、母はもっと恐いはずだ。

「この抗がん剤治療を受けると、治癒する確率が10%ほど上がるという臨床データがあります。その1割をどう考えるかですね」

 これは母のいない場所で、担当医に受けた説明だった。治癒する確率とは、5年生存率の別の言い方である。

 100人の患者がいたとして、この治療を受けないグループは5年後に20人が生きていた。治療を受けたグループは5年後に30人が生きていた。10%上がるとはそういう意味だ。

■パーセントの曖昧さと重み

 またパーセントか……。ぼくは大学で数学を専攻した身ではあるけれど、この確率は曖昧さを含みすぎている。

 5年後に生きている人の割合が10%上がるなら、治療は受けたほうがいいに決まっている。しかし、うちの母がその10%に入るのか、入らないのかは誰にもわからない。神様しか知らない。

 治療が効かなくても生きている可能性はあるし、そもそも高齢者なんだから治療に関係なく生きていない可能性もある。そんなあやふやな効果しか見通せない治療のために、年老いたおかあちゃんに4ヶ月も苦しい思いをさせていいのか。

 いや、生存率20%と30%の違いは、重く受け止めるべきだろう。治療を受けさせずに母の命が早く尽きたとしたら、絶対に後悔する。

「わたしはあんまり気が進まない。何ヶ月も辛い目してまで、長生きしなくてもいいて」

 弱気になってしまった母はそうこぼしたが、この言葉を聞いて逆にこちらの迷いは吹っ切れた。

 そばにいる人間が明るい方向へ考えてあげなくてどうする。もし副作用がひどくて、あまりに辛いようなら、その時にまた選択をすればいい。

 母は自分ひとりでは決めきれず、母の姉や妹にも相談した末に、抗がん剤治療を受けることに決めた。みんな意見は同じ。やったほうがいいと背中を押した。

 長い入院治療へ向けて、何かできることはないものか。ぼくは新しいウォークマンを買い、母にプレゼントした。

 母は音楽を聴くのが趣味で、家にはクラシック大全集のようなCDがたくさんある。たまに地元でN響のコンサートなどがあれば必ず出かけていたほどのクラシック好きだ。

 手持ちのCDを10枚から20枚くらいウォークマンに入れてあげて、入院生活中のささやかな楽しみにしてもらおう。たぶん携帯式の音楽プレーヤーなんて使ったことはないはずだけど、この程度しか付添い人には思いつかない。そうだ、ついでに孫娘が赤ちゃんの頃の動画も入れてあげよう。孫の笑っている映像は何かの力になるかも知れない。

 こうして抗がん剤治療が始まった。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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