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母の言葉と思い出を力に、人生の再起動をしよう。〈介護幸福論 #39〉

「介護幸福論」第39回。成功だと思われた手術を終えたあと、母は静かに旅立った。心残りだったのは遺骨を拾えなかったこと。結局事務作業を終えると、すぐ東京に戻ることにした。「わたしが死んだら、ちゃんと自分の仕事をしてちょうだいね」母の遺言が体を押した。

■手術自体はスムーズに終わったが…

 簡単な手術のはずだった。特に急ぐ必要もないと言われた部位の、がんの切除だった。

 実際、手術自体はスムーズに終わり、退院も早かった。しかし、母の体調はずっと優れず、うつらうつらと眠っている時間が長くなった。

 手術の際の全身麻痺が負担になって、それが抜け切れていないのかも知れないという説明はあった。本当のところはわからない。もう6年も闘病している80歳過ぎのおばあちゃんにとって、いくらやさしい手術でも、身体に麻酔をかけてメスを入れるという行為が何かを狂わせてしまったのかも知れなかった。そこへ、これまでは問題のなかった薬の副作用が重なった。

 退院から2週間後に救急車で入院。一時は回復したかに見えたが、救急搬送から3週間後に母は静かに旅立った。病院のまわりからも雪がほとんど消えた頃、最期はぼくが手を握りながら看取った。

 ここから先は何を書けばいいのだろう。

 葬式を出すのは父に続いて2回目だから、前回よりはたぶん手際が良かった。棺に入れてあげる母の持ち物をうまく選べなくて、寒くないようにセーターやら羽織やら靴下やらを入れようとしたら、そんなに入れなくていいと身内にたしなめられた。お棺のオカンが悪寒を感じないように、と思ったのに。

 結局、母が使っていた茶道の道具であまり高くなさそうなものと、母が大事にしていたピアノ練習用の古びた楽譜と、あとは数枚の家族の写真を入れた。

■心残りだったこと

 残念だったのは、お骨を拾えなかったことだ。

「喪主は告別式の席に残り、お骨上げは近い身内や孫に行かせるのが普通だ」と誰かに教えられ、ぼくは行けなかった。でも、あとで調べてみると、喪主はお骨上げで骨壷を持つ役割をするなどと書かれている。どっちなのか。一番お骨を拾いたいのは喪主だろうに、どっちにせよ、もう遅い。

『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』という映画(原作は宮川サトシの漫画)に、主人公である息子(安田顕)が、母(倍賞美津子)のお骨のかけらをひとつ、こっそり持ち帰る場面があったが、あれは犯罪になるのだろうか。ぼくがお骨上げに参加していたら、たぶん同じことをしたと思うし、むしろお葬式あるあるとして身に覚えのある人はたくさんいるのではないか。

 まあ、その気になればあとから遺骨のひとつやふたつは入手できるが、一度、骨壷に入ってしまうと、もう手を出してはいけない感じがする。かけらをひとつ、形見にもらうならその前がいい。ちゃんと法に定めて許可するべきだ。

 遺産相続の手続きやら、香典返しやら、事務的な作業を終えると、ぼくはなるべく早いうちに東京へ戻ることにした。

■「わたしが死んだら…」

「そんなに急いで帰らなくても、しばらく落ち着いてからにしなさいよ」
「そうよ。せっかくこっちの暮らしに慣れたんだから、ずっとこっちに居ればいいじゃないの」

 母の姉妹にあたる叔母たちには引き留められたが、そこの決断は早くしたほうがいいという予感めいたアラートが鳴った。

 今すぐに動かないと、ぼくはこのまま、この場所で抜け殻になってしまう。母との思い出だらけのこの家で、毎日たったひとり、特にやることもなく、余韻を引きずるような生活をしてしまうと、二度と外の世界へ戻れなくなる。 

 何よりも、母の遺言がある。

「わたしが死んだら、ちゃんと自分の仕事をしてちょうだいね」

 介護をしている間、母がずっと気にしていた息子の仕事のこと。これが唯一の母の遺言ともいえる言葉だった。

 そんな言葉を残されたら、ぼくが取るべき行動はひとつしかないではないか。時間の止まった家で暮らし続けても、おかあちゃんは喜ばない。

 東京へ戻ろう。

 形見の遺骨が欲しかったなどと浸っている場合ではない。前を向こう。母がくれた言葉と思い出を力にして、人生の再起動をしなくては。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です


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