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介護は「当たりクジ」その思いを俳句にしてみた。〈介護幸福論 #35〉

「介護幸福論」第35回。ふと思い立ち、母を題材にして俳句を作ってみたら期せずして最終選考まで残った。「当たりクジ 赤子のような母介護」おかあちゃんがこの句を読んだら、どんな反応をしたのか。自分が「赤子」扱いされたと知って、怒っただろうか。それとも笑って許してくれただろうか。

■母を題材に俳句を作ってみたら…

 田舎でほとんど仕事もせず、介護に追われていると、おかしなことを思いつく。母を題材に俳句を作り、一般公募の賞に応募してみた。

 といっても本格的なものではなく、ペットボトルのお茶のラベルに俳句が印刷される、あの応募数日本一とされるコンテストだ。

 普段、俳句を創作する習慣はないが、たまたまネットで記事を見かけて、ほお、一丁応募してみっかと、30分ほどで2作品をこしらえて投稿した。

 それから3、4ヶ月して、もう応募したことすら忘れていた頃、その賞の事務局から封書が届いた。

「あなたの俳句が最終選考に残っています。この作品のエピソードを教えてください」

 当の手紙は紛失してしまったため、文面は正確に覚えていないが、そんな内容だった。

 マ、マジですか。あんな適当に書いた五七五が、おーいと呼びかけるペットボトルに載るかも知れないんですかと、テンションが上がった。

 ただし、書類をよく読むと、本当の目的は著作権の確認のようで、あなたの応募した俳句は誰かの盗作じゃないですよね、もし他者の著作権を侵害した作品だったと後で判明した場合、責任はあなたにありますけど大丈夫ですかと、その辺のことを確認する通知でもあった。

■介護は「当たりクジ」

当たりクジ 赤子のような母介護

 恥ずかしながら、これが最終選考に残ったという俳句である。この賞の俳句には季語が必要ないとのことだったので、季語は入っていない。

 両親の介護を始めた頃、親戚のおじさんに言われて胸に残っている言葉がある。
「おまえが一番大変だな。でも、貧乏クジを引いたなんて、思わないでくれよ」

 親の介護をするのは身内の中で貧乏クジを引くようなもの。世間にはそんなイメージがあるのだと思う。

 でも、実際に始めてみたら、そうは感じなかった。貧乏クジどころか、もしかしたら当たりクジなのではないか。

 ひとりでは食事もできなくなってしまった母親に、毎日ご飯を食べさせてあげる。どんどん赤ちゃんみたいに、幼く、かわいらしくなっていく母親の姿に接していると、これはむしろ役得ではないかと思うことさえある。

 介護は全然、貧乏クジじゃないよね、よその家庭はもっとハードかも知れないけど、少なくともうちは苦行なんかじゃないぞ。そんなふうに感じた気持ちを、ひねらずに十七文字に押し込んだ。

■おかあちゃんの反応が見たかった

 読み返してみると、「クジ」という言葉は介護に適切ではないんじゃないかとか、情緒がなさすぎて才能なしですとか、作品のデキに不満はあったが、しょせんは素人のお遊びである。

 結局、この俳句もどきは最終選考を突破できなかったらしく、連絡はそれっきりなかった。おーい、残念。

 そもそも最終選考に残るのがどのくらい惜しいのか。日本中で何千人、何万人が同じ通知を受け取っているのか。こんな場所で落選作品を披露して、自己満足の解説をつけたところでお茶の一杯ももらえない。

 それでも少々残念なのは、この介護俳句もどきを母に見せるチャンスがなかったことだ。

 もし本当にペットボトルのラベルに記されたら、その時は母に見せて、驚かせてあげようと企んでいたのに。

当たりクジ 赤子のような母介護

 おかあちゃんがこの句を読んだら、どんな反応をしたのか。自分が「赤子」扱いされたと知って、怒っただろうか。それとも笑って許してくれただろうか。

 うーん、やっぱり読ませなくて正解だったのかな。

*プロフィール
田端到(たばたいたる)。1962年、新潟県生まれ。大学を中退後、フリーライターに。競馬や野球を中心に著書は50冊以上。競馬の分野では「王様」の愛称で知られる。ほかにテレビドラマや映画のセリフ研究家、アスリートの名言コレクターの肩書きを持つ。両親の介護をするため、40代後半で帰郷。6年間の介護生活を送る。
ツイッターアカウント:https://twitter.com/4jkvvvypj6cdapf

※本連載は毎週木曜日に更新予定です

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