まいにち川柳EXPO(1) 徳道かづみ「あたし的進化論」

例えるならばペーストだと思う。

響きはなめらかで、とげとげした攻撃性は含まれていない。温度はどちらかといえば冷たく、力強い生命感の歯応えも感じない。 

しかし、ひとたび意識の口の中に運べば、組み合わされた言葉の持つ様々な要素が、均等に潰され、濾され、反発することなくひとつに混ざり合っていることを味わうことが出来る。漢字とひらがなの比率にもバランスのよさを感じる。

敵陣に攻めこむ時のビブラート

この世には「いい声」というものがある。

何をもって「よい」とするかは人それぞれだが、一般的には「よく通る声」と称されるものがその代表格ではなかろうか。

この句は、おそらくは大軍を率いる武将の鬨の声を「ビブラート」という語のみで表現している。ビブラートは声を震わせるテクニックのことで、発声の訓練をしなければ身につかない。この武将は武芸だけでなく声まで鍛えていたのだろうか。

「いい声」というものは聞く者の気分を高揚させる力を持つ。もしもかの武将がその力をよく理解していたのであれば、なかなかの知将だったとみえる。

逃げ道を三つ確認して吠える

小心者を笑うようにも読めるが、私は肯定的な香りを感じた。

いかに卑怯者と非難されようと、逃げ道を確認し、把握しておくことは重要だ。特に「吠える」という思い切った行為に及ぶ前には、相応の慎重さが求められる。

攻撃的な姿勢を見せることと逃げ道を確保しておくことは、一見すると矛盾した行動だと感じられるかもしれない。だが、生き延びたいからこそ脅威に向かって吠えるのだから、これは両立し得るのだ。

止め方は習わなかった非常ベル

非常ベルというものは身近なところに存在している。

その存在理由ゆえに強調された視覚的デザインを有する非常ベルを、視界から完全にシャットアウトすることは難しい。子供の頃から、その気になればいつでも触れる場所にあった非常ベルだが、私達は決してそれと親しくはなれない。私達はまだ幼いうちから非常ベルの鳴らし方をしっかりと教え込まれる。鳴らせること自体は、あっけないほどに容易い。よって、それは「非常時」とは何かを教わることに等しい。

テストには出ない名前を暗記する

教科書に書かれているからといって、そのすべてを覚えさせられることはない。教科書に載っているからには何一つ無駄な知識とはならないはずなのだが、特に受験に繋がる重要な項目以外は教育者側からふるいにかけられ、授業の中でさえほとんど触れられずにその単元を終えてしまうこともある。

この句で描かれているのはおそらく歴史の授業だろう。日本史・世界史のどちらかはわからないが、いずれにせよ学習計画通りに授業を進める以上、あらゆる出来事・人物についてじっくり解説する時間は教員にはない。やむなく事実上スルーされてしまった歴史上の人物もいたことだろう。

それが忘れがたいほど特徴的な名前の人物だったのか。あるいはまともに授業で触れられなかった存在だったからこそ記憶に残ったのか。学校を卒業し、受験から解放されて当時の学習内容がぱらぱらと頭から抜け落ちてしまったとしても、この名前だけは、少しも重要性と紐づいていないくせにいつまでも記憶の中で生き続けるのだろう。

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