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弱きをたすけ、強きをくじく 1/6 #絶叫杯

◆前回までのあらすじ◆
 邪法に手を染めていた村長は警ら隊長ラウに処刑されたが、その死に際に彼が解き放った亡霊が村を襲う。山の子ギルパンをはじめとする精霊の友人達により村は守られたが、村守フィオンは雷火に消え、モルクら土竜衆は姿をくらませた。

 ◆

 北海と内地を隔てる山々が夜明けの光に染まっていく。青々と輝きつつある空に黒い煙が立ち上るのが、はっきりと見え始めた。

 村を焼いた火は落ち着きつつある。家屋の残骸があちこちに積もり黒煙を上げる中、皆一緒になって作業を続けている。村人に北辺警ら隊、土竜衆までが瓦礫をどけ、家財を掘り起こし、亡骸を引っ張り出していた。

 それらをあとに神殿街道へと歩きはじめる。日の出は未だ精霊山の向こうにあり、丘陵地の斜面を通る街道は山影の中に暗く沈んでいる。

 前にはラウが、後ろからはレルバがついてくる。ラウはこちらの視線に気づくと黒髪をこぼして頷いた。端正なその顔は朝日の下にあってなお暗い。美しかった鎧は胴当てと言わず脛あてと言わず煤で汚れており、雷火を潜り抜けて黒く変色した手甲の指先が、腰に帯びた剣柄を強く握りしめていた。
 レルバは疲弊していた。煌めく灰色の長髪は耳のあたりから下全てが焼け、縮れている。ゆったりとした尼僧服も破れている上、歩く姿は頼りない。雷か炎に遭ったのだろう。

 木々の間をうねる道を、大股に進んでいく。ラウは、歩幅の小さなレルバが遅れそうになるたび彼女の傍らに寄って手を貸した。

「やはり村にいたほうがいい」

 男に寄りかかって歩くレルバの瞳が揺れた。少しだけ村のほうを振り返り、木々の向こうから空へ伸びる黒煙を見上げる。

「・・・・・・だめ。モルクを止めないと」
「奴は俺が抑えられる。他の連中はギルパンに―――」
「私じゃなきゃだめだ」

 深呼吸してラウの手を放し、レルバは歩き出した。ふらつきながらも前へ前へ足を進めていく。

「ラウじゃ、だめなんだ」

 ラウは彼女へ手を伸ばした。しかしどこも掴むことなく降ろす。そっとこちらを振り向いたその顔に頷いて、彼女の後を追った。

 日はぐんぐんと上り、あたりを照らしはじめた。怨霊とかみなりに溢れた夜のことなんて知らないとばかりに、森は朝露に濡れて美しい。レルバに合わせて歩きながら雫を目で追っていると、木々と茂みの暗がりに紛れて白っぽい石がいくつか転がっているのをみつけた。つるりとした表面が陽光を受けて輝いている。よく見ると石が落ちているそこも地面ではなく、しっかりと石畳みで舗装された道が苔と草に覆われているのだった。

 レルバがその廃墟を見て歩調を緩めた。顔をしかめ、足を止めそうになる。近づいてその顔を覗き込んでも見返そうとしない。林の奥、その暗がりを見つめている。それにつられてもう一度、木々に埋もれた遺跡を見た。

 夜露がぽつりぽつりと落ちていく。微かに甘く青い木々の香りが流され、遠のいていく。その音は次第に大きく、長く連なり、雨音になった。葉の間にぽっかりと空いた窓の闇があふれだし、朝日を隠していく。レルバも、ラウの姿さえも覆う雫の音が何もかも遮った。

 ざぁざぁと聞こえるのは、雨の音。積み重なる瓦礫の色は白から赤に。森の闇はいつの間にか、夜の闇に変っていた。

 ◆

 黒い空から降り注ぐ雨は視界をくすませ、あたりは夢の中のように奥行きがない。薄布を何枚も重ねたような暗闇の向こうで一人の偉丈夫が舞っていた。たいまつを左手に。剣を右手に持ち、辺りを流れていく影の方向を整えている。
 逃げる人々を導いているのだ。それに思い当たると、次第に当たりの様子が見えてきた。モルクがいる。レルバもいる。土竜衆の人たちがみな、必死に人々を急き立てている。
 彼らの周りはレンガの山が崩れて積み重なっている。そこから雨水が音を立てて流れ出し、逃げる人々の足元を濡らす。かつて道だったのか、たまたま瓦礫の無い場所なのか、避難する人々の列と降雨の集った川は同じところを走っている。流れに足をとられ、吹き付ける風に押されては老人や子供が転んで泥をかぶっていた。偉丈夫がそれらを助け起こし、あるいは尻を叩き少しでも坂道の上へ、高い所へと押しやっていく。

 あれが盗賊団、土竜衆の頭領だろう。豊かなひげを蓄えたその顔はモルクから聞いていた姿と重なる。レルバと同じ灰色の髪を雨と泥に濡らして必死に叫び、人々を逃がしている。その姿はこの廃墟の中にあって灯台のように輝いていた。

 夜の闇と雨で遠くまでは見通せないが、ぼんやりとした輝きがあちこちで揺れている。豪雨の波が赤く照らされ、その波が家々をなぞり、都市の姿を浮かび上がらせていた。窪地にひしめく組石造の建物。逃げ延びてきた土竜衆達から聞いた王都の姿。そして今、それが崩壊しつつある。

 群衆が悲鳴を上げて身をかがめる。地鳴りがしてレンガの山が震え、遠くの尖塔が揺れる。そこへ突風が襲い掛かり、勇壮な石積みの宮殿はぱらぱらと崩れ落ちた。豪雨と地震と突風が、それを司る精霊たちが、都を襲っているのだ。

 ふいに惨禍の光景が遠くなる。後ろへ引っ張られる感覚が強くなり、思わず振り向くとそこにラウがいた。美しい丸みを帯びた兜を雨に濡らし、滴る雫に濡れた黒髪が頬に張り付いている。彼だけではない。同じ装備に身を固めた者たちが瓦礫の影に潜み、偉丈夫を睨んでいた。ラウの瞳は土竜衆達が振るうたいまつの明かりに揺れている。その下にモルクの金髪を認めると、微かに目を細めた。

 突風が猛る中、甲高い笛音が辺りに木霊する。潜む者たちは金属の擦れる音を立てながら駆け出した。廃墟の辻々から武装した集団が現れ、群衆を先導するたいまつへと殺到する。

 偉丈夫が敵襲を叫び、迫る矢を、鎗を、剣を、ことごとく打ち払った。雨のとばりの彼方でモルクが叫び、短槍を手に偉丈夫の下へ向かおうとする。だが悲鳴を上げて駆けだした群衆に飲まれて消えていった。

 ラウは剣を腰に帯びたまま、数十歩は離れているその混乱を見つめている。武装集団はいくつかのたいまつを追い立てながら、狙いを偉丈夫に絞り始めた。

「貴様ら正気か!」

 土竜の首領は、囲む者たちの狙いに気付くと瓦礫を蹴って小山に登り、大喝した。

「王都の危機なのだぞ!! もぐら叩きをやるべき時か?!」

 その問いかけに矢や投げ剣が返される。男は歯ぎしりしながら凶刃を松明で受け、襲い来る者を切り伏せた。悪天候も包囲も、彼の足手まといにすらなっていない。背中に目でもついているかのように、不意打ちの一撃や遠間からの狙撃を斬っていく。いや、ついているのはおそらく、精霊だ。雨のしずくを受け、ぼんやりとした人影が彼の背に浮かんでいた。緩やかな袖が翻されては偉丈夫の剣がそれをなぞり、閃く。

 そうして襲撃者たちは数を減らしていく。一人、また一人と瓦礫や泥土に沈んでいく。その姿を遠間から眺め、ラウは剣握に手をかけていた。雨音と地鳴り、ごうごうと吹きつける風音の中に潜みながら。

 風に乗って何かが空を渡っていった。羽衣のような布をまとった人影が飛び来たり、彼方の斜面へ向かっていく。その姿は風の暴塊へと変じて家々を叩き潰し、王都中を揺らした。何億枚も重なった陶器が砕け散るような音に、人々が悲鳴を上げる。

 ラウのうずくまる傍らで瓦礫が崩れ、生白い指先がこぼれ出た。家に圧し殺されたのだろうか。傷だらけのそれには一切の生気がない。ラウは一時の間、その手を見つめると静かに抜剣し、そのてのひらを、そっと突き刺した。

「生き身をむくろとし―――」

 瓦礫の山の上で剣舞する頭領が飛び退った。百歩以上は離れて潜むラウの、その小さな呟きを聞き咎めたように彼の隠れる小山を睨みつける。それを隙と見たか、兵士たちは一斉に偉丈夫めがけて飛び掛かった。

 頭領は手近の一人から繰り出された刺突を蹴り上げ、その下に沈み込んで懐に入る。襲撃者の下から剣を突き刺し、腹を掻っ捌き抜け出でて、隣の者の首を余勢で切り落とす。

 大きな背中が、ラウの眼前に広がった。

「生霊殺し」

 宣言と共にラウが飛び出し、剣を抜いた。雨滴を切り払う鋭い剣が、雨中を奔った。夜と雨の闇の中で、その一閃は黒く輝いて飛び、レルバを守って後退戦を演じるモルクの目に映った。

(あの時、あの一撃が無ければ)

 雨雲の上からモルクのつぶやきが降ってきた。

 偉丈夫の舞が崩れた。彼の背で靄のような人影が両断され、弾け、彼の分厚い衣服が肉ごと切り裂かれて破けた。苦悶の声と悲鳴、歓声が同時に上がり、瓦礫の谷間から鈍色の兵士たちが躍り出た。芋虫に群がる蟻のようだった。

 ラウはその有様を見つめながらゆっくり納剣し、目を伏せる。その刹那、怒号が彼を襲った。叫びは豪雨と、暴風と、モルクの投げ放った鎗を伴ってラウに殺到し―――。

 ◆続く◆

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