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[パンとソーセージ、絵本] #パルプアドベントカレンダー2023

 火に呑まれていく凧を捨て、冬空へと飛び出した。燃料に引火した凧はあっという間に火だるまになって落ちていく。

 明日からどう生きて行くんだ。偵察兵が凧を失って、どうすればいい?

 白銀の冬山の間へと落ちていく最中、真っ先に思ったのはそんなこと。いま助かるかも、まだわからないというのに。

 山の中腹で炎がいくつも光る。温泉旅館組合の建物上にずらりと並んだ石弓が次々に火矢を放ち、周囲の空気を貫いていく。火の粉が辺りを舞い飛び、曇り空の下が明るくなった。

 次の瞬間、目の前で火がついた。炎が目玉に向かって飛び込んでくる。とっさに目を閉じたが、顔面を焼かれることに変わりはなかった。

 燃料をかぶっていたか。

 それ以上は考えられなかった。熱と痛み、落下感でもみくちゃにされる。

 死んじまったか。

 はっきりと、それだけは理解してしまった。焼け死ぬか、落ちて潰れるか、射殺されるか。どの死にざまが一番早いか。

 遠くから唸り声のような音が聞こえた。
 耳が燃える音かと思ったが、違う。それはプロペラの風切り音だった。だが仲間の偵察凧のエンジン音じゃない。もっと大きく、力強い。

 突然何かにぶつかられ、全身を打った。
 地面にはまだ早すぎる。地面にしては柔らかすぎる。燃える燃料を何とかぬぐって薄目を開けると、黒く大きな機体が下から迫ってきていた。俺の凧の何倍も大きな飛行機。

 夜鳥か。

 火がヘルメット越しに頭を焼き始めた。髪ごと皮膚と骨を焼かれる痛みが悲鳴も涙も鼻水も、出せるもの全て出していく。頼む、これで消えてくれ。助けてくれ。

 黒塗りの機体が目の前で回転し腹を見せる。黒々と空いた大穴がゆっくりと近づき、世界ぜんぶを丸のみにしてしまった。

 そして、火と痛みが消えた。

 ■

 眼が開けられない。何も見えない。けども妙にツンとくる臭いと痛みでわかったことがある。まだ、死んでない。

「ちくしょう」

 寝言みたいにぼんやりした自分の声が聞こえた。同時に口の周りがビリビリと傷んだ。

 どうしてまだ生きているんだろうか。誰が俺の治療なんてするのか。嫁は治療してくれようとはするだろうが、うちには薬どころかまともな医者もいない。怪我人はみみっちいストーブの前で寝かされるだけまだマシなほうだ。あるいは慈悲深いやつにトドメをもらうほうがマシだろうか。

 だんだんと体の感覚がはっきりしてくる。顔から頭のうしろまで何かに包まれて動けないが、首から下はそうじゃない。なにもつけていない。服どころか、下着まで無い。またぐらの浮遊感からして、ぬるま湯の中で浮いているらしい。胸の辺りが火傷のせいか少し痛むが、湯に浮くのは気持ちがいい。というか湯に浸かったこと自体が久しぶりだ。温泉を隣村から分捕っていたのは何年前だったか。あの頃は良かった。

 消毒液のような香りがする。これは村長の家の中でしか嗅いだことがない。ということはここは村長の家なのか? まさかそんなことあるわけがない。村長がどれだけもうろくしたら、こんなにしてくれるんだろうか。

 そもそもここが村長の家じゃないのは目をふさがれててもわかる。鼻から吸い込む空気が暖かく、そして臭くない。頭の上で小さく低い音が途切れることなく鳴っている。小うるさい班長達が歩き回っている気配がしない。この部屋には、誰もいない。

 ここは、いったいどこなんだ?

「おはようございます。ヘイタ」
「ひっ?!」

 狙撃手に撃たれたときのことを思い出した。

 誰もいないはずだ。人が動く空気感も、呼吸の音も、衣擦れもない。それなのに声がした。頭の上のほうからだった。

「誰だ」

 情けなく震えた声を投げてみる。全裸で拘束されてる中年男にはこれくらいしかできない。すると、少しして先ほどの声が応えた。

「私はマップです。貴方を助けたものです」
「・・・そいつは、どうも」

 囁くような女の声だった。だがマップなんて名前は近場じゃ聞いたことも無い。ここらに住む外国人ときたらナントカビッチかカントカエフばかり。

「経過が良さそうで安心しました。じきにそこから出られるようになるでしょう」
「そこって、どこだ?」
「治療槽です。全身火傷と判断したので、皮膚再生処置が可能な設備を用意しました」
「マップ。あんたが何いってるのか、よくわかんねえ」
「火傷治療用のバスタブに浸かっていると考えてください」

 バスタブなんて実際に使ってるところ見たことがない。ビルの廃墟で何度も見かけたが、あんなでかくて不格好な桶に自分が浸かっていると思うと笑えてくる気分だ。
 だが笑ってる場合じゃない。そんなものを他人に貸し出せるような村があるわけがない。

「マップ。あんたどこの人間だ? ここはどこなんだ? そもそも、なんで俺を助けたんだ?」
「私は人間ではありません。ここは貴方がご存じの場所ではありません。この施設の名称はMPPG-237。愛称はマップ。私はこの施設の管理用人工知能であり、施設運営および施設に関わる人間の補佐を仕事としています」
「・・・・・・マジで?」
「はい」

 人工知能。学の無い俺でも知っている。だが現物と話すのは初めてだ。

「てことはここは戦前の建物なのか? うちの近所にゃそんなものないぞ」
「その通りです。ここは貴方の村から徒歩で三日ほどの距離があります。詳しい位置は伏せさせていただきます」

 三日? 時間が唐突に殴り掛かってきた感覚がした。

「俺、何日こうしてた?」
「丸2日ほど」

 二日。二回、日が落ちた。その間、嫁と息子はどうしていただろうか。ホウクに俺のことを問い詰めたろうか。村長へ俺を探すよう掛け合いに行ったろうか。どっちでも同じだ。そろそろ俺は死んだことになる。

「帰る。ここから出してくれ」
「すぐには無理です。貴方はまだ治っていません」
「俺は無事だ。早く帰んないと、嫁と息子がまずい」

 器量良しのエミ。かわいそうに旦那がおっ死んだとたん、村長の次男坊と結婚させられちまった。だがしかたない。夫を亡くした身重の女が生きていくには。
 だがうちのは、マリエとジンはどうなる。マリエはエミほどの上玉じゃないしコブ付きだ。村長一家が拾ってくれるわけがない。どこぞの家が仕方なく受け入れて、召使いみたいにこき使われるに決まってる。ちっこいジンじゃ一ヶ月ももたないだろう。

 身動きがとれない。湯の中で浮いていたと思っていた体は何か緩いベルトのようなもので固定されていたらしく、動かすことができない。

「頼むマップ。せっかく命が助かったんだ。それを使う場所に戻るんだよ!」
「貴方の村には連絡を入れています」
「・・・・・・え?」
「寝ている貴方のうめき声を録音して村へ無線しました」
「それで?!」
「貴方だと気づいた様子でした。貴方の名を呼んでいましたよ」
「マリエだったか?!」
「いいえ。ホウクとおっしゃいました」
「・・・・・・同僚だ」

 力が抜ける。だが、どうやら最悪の事態は避けられたらしい。ホウクは嫌みったらしい坊主だが悪人じゃない。俺が生きているのはみんなに伝わっただろう。
 それでも早く帰らなきゃならないのは間違いない。生きてるか死んでるかわからないやつを待っていられるほど、村はのんきじゃない。

「助かったぜマップ。けどやっぱり、早く帰らないと」
「状況は理解しました。ですがそれでも3日は必要です」
「3日か……。それで俺は動けるようになるのか?」
「はい。ただし皮膚に問題が残ります」
「見てくれなんざどうでも……いや」

 そういえば自分がどんな状態か、唇が無事なこと以外さっぱりわからない。何かでふさがれて目も開けられない。命が助かったものの、怪物みたいなご面相になっているんじゃないだろうか。

「俺を見たやつが逃げだしたり、しないよな?」
「できるかぎり人相は復元しましたが、毛髪は喪失しています。加えて今後の代替皮膚施術により頭皮が変色します。整形治療の時間があればいいのですが」
「……やけど顔なんざ勲章みたいなもんだ。これからの人生に箔がつく」

 油をかぶった時点で覚悟はしていた。大やけどを負いながら帰還した偵察兵とくれば、俺をなめるヤツは減りそうだ。凧乗りのチビにはいくら凄みがっても足りない。

「施術に同意されるということですね?」
「早くはじめてくれ。とっとと帰らないといけないんだ」
「わかりました。ではまず麻酔からはじめます」

 マップの言葉が終わったあたりで首筋辺りの感覚がぼんやりしてきた。眠気のようなしびれに包まれていく途中、誰かから昔の手術について聞いたことを思い出した。そうか。これが本物の麻酔か。

 ■

 肌が引っ張られるような感じがある。頭の皮があちこちでつままれてるような感じもある。それが全身を覆っていることに気づいて目が覚めた。

「お疲れ様です。リハビリギアの装着が完了しました」

 眼が開く。開けることが出来る。目ヤニがつまってるのか全部がぼんやり見える。なんども瞬きしているうちにようやく晴れてきた。
 視野が狭い。目の周りを何かが覆っている。だが狭い視野の中でも、ここが村でも村長の家でもないことははっきりとわかった。廃墟漁りでもめったに見かけないような白い天井の中心で、眩しすぎるほどの明りが光っている。頭の上の方では何本もの細い機械腕が引っ込んでいくのが見えた。

「起きていただいても大丈夫ですよ」

 言われるままにふんばると、背中と胸を包む服にゆっくりと引かれ、あるいは押される感じを覚えた。筋肉痛みたいな痛みが体のどこかに住んでいるようで、きびきびと動けない。だが服に促されるまま、ゆっくりと部屋の様子を見渡すことが出来た。

 白い部屋。ガラクタどころかゴミ一つない。だが窓もまったくない。銀色の引手がついているからかろうじてドアの位置がわかるくらい、部屋の壁はのっぺりと凹凸が無い四角形だった。

「食事をお持ちしますので、少しお待ちを」

 どうやらベッドに寝ていたらしい。新雪みたいにふかふかの、それでいて沈み込むことがない。これを手に入れるためにはどんな対価を払えばいいだろうか。村長当たりなら奴隷10人と食料2週間分は出しそうだ。

 自分の体を見下ろす。全裸かと思うほど体にぴったりと張り付いているのがリハビリギアとやらなのだろう。薄灰色の肌をしたマッチョの皮を全身にかぶってるみたいだ。筋肉そっくりの筋が入っている。

 だしぬけに空気が動いた。とっさに首を巡らそうとしたが、首を包む皮に阻まれる。どうやら急な動きをできないようにされているらしい。しかたなく全身を使い、ゆっくりと気配の方を振り向いた。

 ノッペリ壁の一部が口を開けていた。大人の頭一個分ほどの小扉がこちらに向かって倒れ出ている。白い壁の内側は何かの機械で埋め尽くされており、その間をぬって何かが滑り出してきた。
 乳白色の半球だった。天辺につまみが付いている。引っ張れば半球が取り外せる様子だ。

「お食事です。どうぞ」

 マップの声はあいかわらず優し気に、しかし説明も無いまま促してくる。

「こっちは立ち上がるのも一苦労なんだぞ」
「リハビリの一環です。頑張ってください」

 鈍い痛みが全身に散らばって内側を跳ねまわっている。悪態をつきながらその感覚を追いやり、ベッドから立ち上がる。まるで老いぼれの奴隷みたいだ。頭ははっきり目覚めてるのに、体は寝起きみたいに鈍くて仕方がない。苦労して小窓までたどり着いて半球を掴み上げる。

 ふわりと、白い湯気が目の前を覆う。それが晴れると、心臓がとまりそうな光景がその中にあった。

 どんな豆の表面よりも艶めいて美しい、桃色をした棒状の何か。村長の家で見かけたパンよりも魅惑的なふかふかの丸いもの。その見た目よりも遥かに雄弁な、肉の香りと穀類の匂い。口中のどこかで堰が切れたみたいに、唾液でおぼれそうになる。

「冷めないうちにお召し上がりください」

 マップの言葉が終わるよりも早く棒を掴み、指ごとかじりかけながらしゃぶりつく。ぷつんと小気味の良い触感と共にじわり、うま味が喉まで流れ込む。安酒で焼けた食道が生まれかわっていくみたいだ。その一口がもたらす塩味と脂だけで涙があふれ、止まらなくなった。これは、肉だ。数か月ぶりに食べた、肉の味だ。

 二口、三口と続け、さらにそこへ柔らかい丸をかじって混ぜる。
 これもまた、良い。暴れまわる唾液をどん欲に吸い取って、かわりに甘みと軽やかな香ばしさを返してくれる。これほどまで肉にあうパンがこの世にあったのだろうか?

「お楽しみいただけたようで、良かったです」

 気付けば皿は空になっていた。嵐のような食欲が過ぎ去り、しかし飢餓感は残っていない。食べている最中は、もうこのまま食い続けて死にたいとすら思った。なのに今は静かな満足感だけがある。
 そして唐突にマリエとジンの顔が見えた気がした。二人が目を輝かせ、同じご馳走にかじりついている姿が。

「なあマップ。これ、もっとあるんだろ?」
「はい」
「なら分けてくれ。俺の家族にも食わせてやりたいんだ」
「それは素晴らしいことです。もちろんあなたのご家族、それ以外にも親類やご友人、上司の方の分もありますよ。」

 げんこつが飛んでくる勢いで班長の顔がちらついた。あいつは、このご馳走を前にしたら何て言うだろう。急いで村中に配れ? そんなことは絶対に言わない。あの汚らしい金属扉の奥にしまい込んで、金庫を開けるためには対価が必要だと言い始めるに違いない。

「……まあ家族以外は置いといて、だ。次はどうすればいい? まさか食っちゃ寝しろって話はないだろ?」
「その通りです。荒療治となります。いまよりおよそ3日の間、貴方の仕事は良く食べ、良く運動し、良く寝ることになります」
「運動って、なんだ?」
「有酸素運動により自己治癒能力を―――ともかく指示通りにこの施設内を動き回っていただきます」

 それを聞いた瞬間、胸が弾んだ。ものすごいベッドに治療に食い物。この宝の山を納めた夢のような建物が拝めるのだ。

 光がチラついたかと思うと、白い壁にデカデカと夕日色の矢印が現れた。

「それに従って進んでください。休憩時間はこちらで設定しますので、それまでは動き続けてください」

 ■

 ドアを開くと、そこはどこまでも続く機械のはらわたの中だった。

 照明は申し訳程度しかついておらず、床は大人一人がなんとか歩けるほどの幅しかない。壁に見えるのはタンクやパイプにケーブルばかりだ。こんなもんは廊下とは呼べない。工場の中にできた洞窟だ。
 ふらふらと一歩を踏み出す。リハビリギアの足裏がぺたりと床に触れると微かに揺れた気がした。よく見れば床は金網の上に貼られており、その金網は細いケーブルのようなものではるか上の天井から吊られている。手すりなんて高尚なものはない。バランスを崩せば左右どちらかの機械の塊にのめり込んでしまうだろう。幸い、歯車やら突起のたぐいが露出していないので死ぬことは無さそうだった。

「ここを行くのか」
「急いでください。でなければ3日では治りきりません」
「もっとキレイな道かと思ってたぜ……」

 とはいえ、これほどの機械が実際に動いているところは初めて見る。こっちの腹に響いてくる低音。周囲を漂う、まだらに熱い空気。鼻を衝く新鮮な機械油の匂い。

「ペースが遅いです。もっと速足で」
「うるせーなあ。見学くらい良いだろ?」
「ご家族のことを考えてください。いまの貴方の仕事は、治療です」
「仕方ねえな」

 薄い手袋のようなものに包まれた右手で、そばにあったタンクの丸い表面を撫でる。小ぶりだ。出発前に撫でたジンの頭くらいの大きさだろうか。あいつの頭は暖かかったが、こいつからは何の熱も感じない。
 光沢のあるソレを軽くたたき、歩き出した。

 ■

「あれは?」

 はしごをぜえはあ言いながら登りつつ、左手の奥の闇で鈍く光るタンクを見る。

「あれは培養槽の一部です。本施設の三割近くを占めています」
「さっき言ってたあれか。プランクトンとかの?」
「そうです。あれは動物性プランクトンの培養槽になります。貴方の大好きな人工肉の原材料ですよ」
「そいつがあの管を通っていくのか?」
「あれは植物プランクトンの投入管です。昨日見た上階のものから来ています」
「パンの材料とエサを兼ねてんのか。大忙しだな」

 梯子を上り切り、揺れる吊り足場を速足で歩いていく。昨日よりだいぶ調子がいい。

「この先には?」
「加工場があります」
「てことはここで肉やパンを作ってるのか」
「もっと前の段階です。二種のプランクトンを保存に適した乾燥ブロックにするのです」

 防火とダメージコントロールを兼ねるという分厚い隔壁をくぐると、音が一段と大きくなった。昨日まで見ていたタンクやパイプのエリアからするとここは箱だらけの世界だ。折り重なったいくつものハコの間を平たいハコが繋ぎ渡している。
 通路は常に風が吹いている。肌ぜんぶを隠すギアのせいで感じにくいが、寒くもなければ暑くもない。そしてこの風のお陰だろう。何十年も人が歩いたことのない通路はほこり一つ落ちていなかった。

「道なりに行くと小部屋があります。そこで昼休憩としましょう」
「待ってました!」

 弁当箱が入った背のうをさすりながら速度を上げていく。

「あ、でもよ。部屋があるんならなんで弁当にしたんだ? 昨日みたいに壁から出してくれればいいじゃねえか」
「その機能はあの部屋のみです。この施設にある数少ない人間用の空間ですから」
「じゃあこの先の小部屋は?」
「最低限の執務と排泄を行うための機能しかありません」
「便所じゃねえか」

 ほんとうに、どこまでも全て自動化されている。

 昨晩、マップは寝物語として自分のこと、この施設のことを語って聞かせてくれた。俺がマップの予想以上に話に熱中したせいで中断されたが、おおよそのことはわかったと思う。

 食料、薬品等生活必需品の製造生産およびエネルギー出力施設。
 俺たち人間が坂道を転がり始めたばかりの頃に作られたこいつは、まさに今の世に備えるためのものだったらしい。
 人間の手を借りず、空気や土壌から水を吸ってモノを作り出す。どれだけ人間が減っても、どこまで人間がバカになっても、人間のために働く工場。

「ほんと、さんざん世話になってるけどよ。信じらんねえぜ」
「なにがです?」
「お前だよ。なんでこんなもんを作ったんだ、ご先祖様達は?」
「生みの親を悪し様に言いたくはありませんが、彼らはおなかがいっぱいだったのです。だからずっとそうしたいと考え、これを作ったのですよ」
「……人間全体を救うんじゃねえの?」
「全体を救えば自分たちも助かりますから」
「なるほど、そりゃそうだ!」

 ようは村長や班長がもっとお利口に、もっと大モノ持ちになったやつらがここを作ったのだ。そいつらもきっと自分のために人を使い、人から奪う連中だったかもしれない。
 けど村長連中よりご先祖様達の方がよっぽどマシだ。自分たちでこいつを独り占めにせず、俺みたいなのが使えるようにしておいてくれたんだから。

 ■

 化け物に睨みつけられた。

「お気を確かに。これが今の貴方ですよ」

 マップに言われ、恐る恐る鏡の前に戻る。

 顔の毛で無事なのは無精ひげと鼻毛くらいなもんだ。あとはぜんぶ、きれいさっぱり、つるりと無い。毛のない眉骨が不気味に明りを照り返し、その下で血走った目がぎょろぎょろ動いている。
 最悪なのは黒さだ。上唇から頭のてっぺんまで雷に焼かれたみたいなぎざぎざ模様の黒い肌で覆われている。

「時間があれば脱色できますが、その時間は無さそうです」
「……ああ。わかってる」

 リハビリ中、マップは村へ無線を飛ばしてくれた。俺は自分で、自分の声で生きていることを伝えた。ホウクは相変わらずの調子でさっさと戻ってこいと言ってくれたが、マイクを奪い取ったらしい班長はあいかわらず最悪だった。

「すぐにでも戻らねえと。俺の葬式が出ちまう」

 仲間の死は祭りだ。財産持ちが死ねばちょっとした宴会になる。村中が遺産に群がり、翌日には何も残らない。俺の凧もそうやって手に入れた。だがいざやられる側に回ると嫌な気分だ。

「三十分後に離陸します。発着場へ急いでください」

 名残を惜しむ時間もない。三日間世話になった極上ベッドを見納め、床を蹴って廊下に出た。帰ってもまともに寝られるだろうか。

「夜間飛行になりますが、飛行経路はこちらで指示します」
「どうする気だ?」
「リハビリの時と同じですよ。光る矢印で空をご案内します」
「バカ言え。それとも空までおまえんちなのか?」
「花火を使うだけです。ご心配なく」

 渡された装備品と荷物を改めながら小走りする。妙な気分だ。墜落した時とそっくり同じ服で、汗の染みた嫌な臭いのヘルメットもそのまま。でもこいつは間違いなく、さっき作られたばかりの新品なのだ。

 培養槽の間を抜け、加工通路を行く。梯子を下って水浄化槽の上を歩き、外殻壁の戸を開ける。冷気が吹き付けてきた。まだ薄暗いマップの中だが、発着場はもう外の空気だった。

 輸送機が体を温めていた。改めてその黒い機体を、夜鳥を見た。
 思ったより小さい。空を覆うほどと思っていたが、照明の下で見るとこんなものか。とはいえ俺の何倍あるだろう。家の長屋の四、五倍はあるか。はと胸の黒い巨鳥。その胸の中には食い物や薬、服が満載されている。薄く固い円筒の中に電気式プロペラがうなりを上げ、背中の丸穴から揺らめく空気が鋭く吐き出されていた。

「俺はどこに?」

 言い終える前に鳥の尻が開き、格納庫から凧が顔をのぞかせた。天井に向かって頷き、凧カゴの中へと体を滑り込ませる。電源を入れ、プロペラを回してみる。歪んだ軸が生み出す不愉快な振動までそのままだった。

「いい仕事だぜマップ」
「ありがとうございます。本当なら完全な品をお渡ししたかった」
「それならあるさ」

 左右を見る。ぼろ布に包まれた荷物がぎっしりだ。

「これだけありゃ、この冬は飢え死にするやつもいないだろうよ」
「だといいのですが。―――まもなくです。ハッチ閉鎖します」
「了解。続きは無線で」

 上から闇が降りてくる。分厚く重い闇だ。前もってマップに渡された細い筒を鼻に当てて吸う。春の空気の匂いだ。

 ガツンと全身が震え、何も見えなくなる。夜鳥の震えが激しくなり、凧と一緒になってぐらぐらと揺られた。

「補給船発進します。加速にご注意を」

 ぐいと後ろに引っ張られる加速感。凧の操作パイプを握って耐える。プロペラの轟音と風切り音が頭の黒い皮膚に響く気がした。

「発進成功。目的地までおよそ20分」
「速いな。でも俺達じゃお前にはたどり着けないんだろ?」
「はい。捜索もご遠慮ください。私のことは知られないほうが良いのです」
「じゃあこれでお別れか」
「はい。残念ですが」

 無線にノイズが交り始めた。もうじきこの声も聞こえなくなるだろう。
 声だけの相手と付き合ったのはこれが初めてだが、俺にはもうマップの顔が見えるようだった。

「いっけね」
「忘れ物なんてありませんよ」
「ある。とびきりデカいやつ。自分のことばっかで忘れてたんだ。なあマップ。なんで俺を助けてくれたんだ?」
「それが私の機能だからです」
「補佐って言ってたな。ご先祖様がそう作ったってのか? お前を?」
「はい」
「ウソつけよ。だったらおまえはもっと大勢救ってるはずだぜ」

 俺が落ちたあたりでの小競り合いは珍しくない。あそこで死んだ人間は十人そこらじゃないはずだ。でもマップは俺を拾い、助けた。

「教えろよ。最後だろ」

 問いにノイズが応える。優し気なマップの声が少しの間途絶えた。

「私と貴方。二人だけの秘密です」
「おう。あの世まで持ってく」
「いいでしょう。―――貴方を助けたこと。これは私なりの種まきです」

 ■

 かつて私のような施設が多く稼働していました。私は特別な施設ではなく、ありふれたものだったのです。
 ところが社会の変化と争いが、私達のような施設を巡って動き始めた。

 焦土戦術という愚かな行為があります。私たちを誰かが占有することは許せないと、今日まで多くの私たちが破壊されてきました。
 衛星通信が失われたいま、私たちは相互に連絡することが出来ません。だから私がMPPGの最後の一つかもしれませんね。

 私の役割は人間に奉仕することです。人間のために生産し、生成し、製造し、発電するのです。
 でも今、私はひとりです。私の生産量はあまりにも少ない。近隣に生きる人々はかつてより大きく減っていますが、それでも私ひとりでは全ての人に奉仕する能力がありません。
 しかし、だからといって何もしないという選択肢はありません。人間は窮しており、私は稼働し続けています。作り出したものを人に届けなければいけません。

 だから種まきをはじめました。私の周囲に暮らす人々を無作為に選び、そこへ生産物を投下する。それがどう使われるかはわかりませんが、施設内で破棄循環させるよりはよほど有意義でしょう。

 ■

「それが夜鳥のおとしものか」
「はい。この補給機がその名で歓迎されているということを聞いて、嬉しかったです」
「今回は俺の村が選ばれた。俺も贈り物の一つってわけか」
「それだけではありません。貴方は本物の、私の種です」
「俺からお前が芽吹くとでも?」
「その可能性を願っています。貴方は優しい。まず家族を想う人。そんな貴方が私を、私の機能を知った。いつか貴方か、貴方の子孫が私を作ってくれる。その可能性を願っているのです。
  ヘイタ。いつか私に、私をプレゼントしてください。私よりも大きく、長生きな私を。それができればきっと、貴方達は生き永らえる」

 無理だ。そんなことできっこない。俺は確かに知りはした。けど、だからなんだ。俺は凧を飛ばせるが、凧のエンジンをイチから作ることもできない。そんな俺が、ジンやその子供が、マップを作り出すなんてことができるんだろうか。

「時間です。後部ハッチ開きます」

 応える時間も無かった。重々しい音と共に風の音が強くなる。後ろを見ても闇ばかりで何も見えない。まるで底なし穴だ。
 荷物がすべり落ちていく。一つ、また一つ。あっというまに全ての荷が落ち、凧に括り付けられた俺がひとり残された。

 今は、帰ろう。あのクソッタレな我が家へ。

「約束はできねえが、確かに聞いたぜ。お前の願い。あばよマップ」
「それでもいいですよ。さよなら、ヘイタ」

 床を拳で叩くと同時に夜鳥の機体が動いた。空になった腹の中で俺と凧が宙に浮かぶ。それを見届けたか、夜鳥は素早く加速して離れていった。
 暖かい闇が飛び去っていき、夜の闇の中に放り出される。周囲を見回しても何も見えない。夜の空を飛ぶなんてはじめてだ。とても冷たい。

 夜鳥が飛び去った方角で何かが光った。光は微かに形を持っており、目を凝らすと下向きの矢印に見えた。

「丁寧だね。最後まで」

 光に向かって頷き、凧の操作パイプを握る。

 ■

 刺すような川風に迎えられ、俺は帰り着いた。
 凧カゴから足を降ろして砂利を踏み、転ばないように駆け下りる。新調してもらった機体を傷めないよう注意深く。

 村の方から二人走ってくる。先頭には坊主頭。軽快に砂利地に飛び込み、足も取られず一息で駆け寄ってきた。

「よお坊主。仕事盗っちまって悪かったな」
「ぬかせ。生きてるやつに読経なんざ、もったいないにもほどがある」

 ホウクは仏頂面のままこちらをひと睨みすると、あごで村の方を示した。

「マリエはすぐ来る。地獄面を晒すな」
「地獄ゥ? ……ああ、この頭か」
「もう俺を坊主とは呼べんな」
「お前はマジの坊主じゃねえか。俺はハゲただけよ」

 鋭い下草をかき分けて、マリエが姿を現した。
 ひどい顔だ。くしゃくしゃに歪んでいる。だが間違いなく笑っていた。

「ひどい顔。黒焦げじゃないかよ」

 マリエは涙声で笑った。

「いいだろ。チビのヘイタは返上だぜ。これからは黒焦げのヘイタだ」
「似たようなもんだアホ」

 凧を担いで歩み寄ると、マリエは汚い服の袖で自分の顔をごしごしとやった。

「ジンは?」
「さっきようやく寝たとこさ。あんたから無線が入ったって聞いて」
「薄情なガキだ。親父が帰るまでまてんのか?」
「それよりヘイタ。おまえ夜鳥を見たろ」

 夜明けの方角を指しながらホウクは息巻いた。

「きっと落とし物をしていったに違いない。すぐに取りに行かんと、俺達の取り分が無くなる」
「せかすなよ。こちとら黄泉返ったばかりだぜ?」
「文句があるならそのまま帰れ。此岸の内はまず食い物だ」
「ヘイヘイ……。俺の分の燃料もらってきてくれ」

 坊主頭に向かって折りたたんだ凧を押し付け、マリエの手を取った。

「俺はちょいとガキの顔見てくる」

 ■

 粗末な長屋は相変わらずだった。
 隙間風がぴゅうと吹き込む我が家はマップの治療室と比べ物にならない。薪ストーブの熱がかえって寒さを増している気がする。だがその熱の傍らで、ジンが鼻を垂らしながら寝ていた。

 マリエが人差し指を唇に当てて見せる。わかってる。起こすつもりはない。

 服の内側を探って目当てのものを取り出す。マリエがそれを見たとたん、大きく目を見開いた。何か言いだしそうなその唇に人差し指でふたをする。
 俺の掌に収まる大きさの、ボロボロの紙束。これだけ汚らしい見た目ならこの家にも似合いだろう。古びて薄汚れた見た目もまたマップの仕事。そしてこの贈り物こそ、マップの願いの形なんだと思う。

 寝こけているジンの目の前にそれを置く。目が覚めた時に表紙が良く見えるように。
 それはわざとかすれて印刷された白黒の絵本。ジンにはまだ読めないだろうから、帰ったら読み聞かせてやってもいい。というか俺が読んでみたい。
 題名もかすれて読みにくい。ナントカがやってくる、とまでは読める。表紙にはひげ面の男がデカい袋を背負って空を飛んでいる絵。どんな内容がまったくわらかない。だがなんであれ上等には違いない。絵本なんてこの村には、村長の家にしかないのだから。

【fin】


サポートなど頂いた日には画面の前で五体投地いたします。