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恩返しに来ました

※創作小説
※某サイトのホラーコンテストに出したヤツ
※なめくじへの憎しみをぶつけたおはなし

■■■

「げっ」

 と、私は思わず声に出していた。
 時間は深夜、お風呂に入って夕飯も終えて、ダラダラテレビを流しながら趣味の読書をしていた。なんとなくくたびれて伸びをしながら棚のフクロウの形をした時計に目をやると一時を回ろうとしている。明日 (というか正確には今日) も朝から講義があるしバイトにも行かなくちゃならないってんで、ちょうどいいところに差し掛かっていた小説にしおりを挟んで私は寝る準備に取り掛かった。
 に出くわしたのは、歯を磨きに洗面台に立った時だった。

「やだっ、なんでこんなところにいるの!?」

 洗面台のフチに、がいた。
 ほんの小指の先くらいの小さななめくじ。うっかりすると見落としそうなサイズだったけど、なめくじが大嫌いな私のアンテナは敏感にヤツの存在を察知して視界に入れてきたのだろう。あー気持ち悪い。
 口の中はまだ泡だらけだったけど歯ブラシを持ったままドタバタと洗面台から距離を取った。うっかりいつも通り何の疑いもなく歯ブラシを口に入れたけど、もしかしてヤツが触ったりしたのでは……という思い込みと被害妄想が瞬時に脳内に湧き上がり気持ちが悪くなってきて、夕飯のカレーライスを足元の床にブチ撒けそうになった。
 なんでマンション上階のこの部屋にいるのだろうか。
 一体どうやって入ってきたんだろう。
 壁を一生懸命這い登ってきたのだろうか? だとしたらご苦労なことである。
 私はあわててキッチンに塩を取りに行った。なめくじと言えばこれでしょ。スイカに塩、うなぎに梅干し、ツーと言えばカーみたいなもんよ。絶対違うけど。

 塩の瓶を両手に抱えて戻ってくると、さっさと逃げてりゃいいのにヤツはまだのんびりとそこにへばりついていた。
 あまり気は進まないけど好機だとばかり、私は塩の蓋を外した。瓶をさかさまにして薄茶色の体へ塩を振りかけようとしたとき──「待ってください!」

「え……?」

 なにか可愛らしい声が聞こえて私は手を止めて周囲をきょろきょろと見た。でも、今この部屋にいるのは私だけ。私の声はどっちかと言えばハスキーな方で、あんな高い声じゃない。じゃあ何? 幻聴?
 首をかしげていると今度ははっきりと聞こえた。
 声は、なめくじのほうからしていた。

「待ってください、ここです。私です」
「うそ……なめくじが喋ってる……キモチワルイ」
「そんなこと言わないで。そして落ち着いて話を聞いてください。確かに私はなめくじです、この見た目ですから私を好く者は少ないでしょう。だからってなにも悪いことをしていないのに個人的な好悪だけで命を奪おうだなんてそれはあまりにも惨い、傲慢、野蛮の極みですよ。私たちなめくじは中国医学では蛞蝓かつゆという名称で生薬として使用されたり、生きたまま丸呑みにすると心臓病や喉に良いという民間療法があるんです。人間の役に立ってるんですよ、日がな一日ぼーっと過ごして生産性のないあなたなんかよりもね」

 随分と上から目線でクソ生意気ななめくじだ。確かにいきなり塩をかけようとしたのは悪かったかもしれないけれど、進化の過程で殻を退化させたカタツムリモドキ、たかだかコウガイビル程度に負ける欠陥生物がよくもまあ。好き嫌いとかそういう感情とは別に殺意が募ってきた。塩の瓶を再び振り上げると、なめくじは「きゃあ」と身を縮めた。

「やめて! 塩なんて最低ですよ!」
「うるせえ! 人の家に勝手に入ってきた挙句生意気な口利く奴が悪い!」
「許してください! 悪気はなかったんです!」

 なめくじはフルフルと身を震わせながら頭の部分(?)を折り曲げてみせた。謝罪の姿勢を見せていた。私は塩の瓶を下ろしてやった。

「コウガイビルに追われていて……咄嗟に目についた部屋に逃げ込んだんです。それがまさかこんな……なめくじ差別の酷い人間の部屋だったなんて──あっ、いえ、なんでもないです。どうかお願いです、命までは取らないで。外の植木鉢に離してくれたら大人しく出ていきますから……」

 とのことだったので、出て行ってくれるならそれに越したことはない。私はキッチンに塩の瓶を戻して菜箸を取ってくるとその箸の先でなめくじを摘まんだ。ぐにょっとしてて嫌な感触。私は小走りでベランダまで行くと、枯れたポプラの鉢植えになめくじを下ろしてやった。

「これで満足だろ。もう二度とウチに来るなよ」
「ああ……ありがとうございます、この恩は必ずお返しします」
「いや返さなくていいから! もう二度と私の前に姿を現さないのが何よりの恩返しだよ、他の仲間にも言っておけ!」

 なめくじはまだ何か「コウガイビルをこの世から駆逐してやりますよ! 一匹残らず!」だの「恩返しは絶対にします!」だのと騒いでいたが無視した。菜箸は気持ち悪いのでくずかごに叩き捨てた。

 
 
 ──と、そんなことがあったことも忘れはじめた頃。
 外は朝からシトシトと雨が降り続いている。梅雨だった。

「雨、やまないかなー……」

 この雨の中、大学に行ってバイトにまで行かなきゃいけないのは憂鬱だった。窓の外をしばらく眺めてから読み終わった文庫本を閉じる。棚のフクロウの時計を見ると時間は一時を回っていた。

「寝るかァ……」

 ふあ、と欠伸をしながら立ち上がったとき。
 ぴんぽぉんと、来客を告げるチャイムが鳴り響いた。こんな時間に?
 私は舌打ちをした。こんな真夜中に尋ねてくるような常識知らずは一体誰なんだ? 頭のおかしい犯罪者の可能性もあるが、しつこくチャイムを連打し続けるのでしかたなく様子を見に行くことにする。ドアスコープから覗くと、目の前は何だか真っ暗だった。「?」
 ぴんぽぉん、ぴぃんぽぉん。チャイムは鳴りつづけている。

「あーもうっ! うるさいな、真夜中だよボケナス!」

 もうなるようになれ、だ。もしも犯罪者だったとしても泣きわめいて大騒ぎすれば隣の男が様子見に出てくるだろう。私は苛立ち紛れに乱暴にドアを開けた。【ぶにっ】とした何かにドア板が埋もれる。

「は?」
「恩返しに来ましたよ!」
「……は?」

 目の前には【山】があった。頭上から声がする。
 私は恐る恐る【山】を下から上まで見上げ……そしてその場で意識を喪いブッ倒れた。
 【山】はなめくじだった。小指の先サイズから体高三メートルほどに大成長を遂げたなめくじが私を見下ろしてニコニコ笑っていた。


 

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