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東京(母)と熊本(父)のハーフが福岡で育つ①

 かれこれもう50年くらい前、1970年代の話になる。

 僕は福岡市の雑餉隈という町で生まれ、育った。どういう場所かというと、武田鉄矢の故郷と言えばわかりやすいと思う。バリッバリの博多弁エリア、九州男児の育つ場所だ。

 物心ついたころはガソリンスタンドを運営する地主による借家住まいで、周り10棟くらいが全部同じ借家の仲間だった。子どもらは、お互いの家を行き来して遊んでいたけど、しばらくたつとどの家庭も転勤や住宅の購入で引っ越ししていき、どの子とも長く付き合うことはなかった。だから僕には幼馴染というものがいなかった。

 例にもれず、我が家も僕が小学4年の頃に、念願の一軒家を購入して隣の市に引っ越すことになった。小学生なりに仲の良い友人などもいたが、それらもいったんすべてリセットされた。

 雑餉隈は九州男児の育つ場所とはいえ、それでも都会で山も川も田んぼもない町で、遊ぶ場所は神社くらい。僕は母の影響で読書が好きな、ひょろひょろしたもやしっ子だった。そんな僕が、人間関係も遊び場も全部構築された場所に、いきなり一人で放り込まれる。引っ越し前の事はあまり覚えていないが、引っ越し後の事はよく覚えている。それだけ幼心にショックな出来事だったのだと思う。

 引っ越し先の隣の市は自然が豊かな環境で、我が家は山のふもとにあり、坂をてくてくと下って30分ほどかけて歩き、小学校に通うことになった。周りには山もあれば川もある、池もある、田んぼもある。だから子どもの遊びの内容も全く違っていた。パッと思い出すだけで、椿の花の蜜を吸う、グミという木の実を食べる、アリジゴクやアリをオヤツで食べる(お腹の部分)。ザリガニを釣る、クモを捕まえて糸をはかせて遊ぶ、セミに爆竹をつけて飛ばすなど、カルチャーショックしかない世界にいきなり放り込まれたのだった。

 さらに、僕は少しだけ違う子だった。

 父は熊本で生まれ育ち、大学で東京に出て、生粋の東京っ子の母と出会って結婚した。そんな二人に育てられた。それはつまり、福岡という九州男児の世界で育ちながら、中身は標準語と東京の価値観で育てられたという事。当時、男親は仕事に集中し、子育ては完全に母の役目だったので、僕は特に東京っ子である母の影響を強く受けて育った。

 明らかに他の子らと毛色が違ったのだろうし、もともと内向的という事もあり、うまく遊びに参加できずなかなか周りの子らと馴染むことが出来なかった。とはいえ、いじめられるという事もなく、軽く無視されるとか、揶揄われる程度で、心は傷ついたが、今思えばたわいもないレベルだった。

 僕はみなと仲良くなりたかったが、それが出来ずもどかしい時期を過ごすことになる。そのもどかしさが、今の僕に強く影響しているのかもしれない。

その影響か、僕はまんがやアニメなどの物語の世界に傾倒していった。当時から少年ジャンプは人気で、特に「リングにかけろ」が大人気だったが、僕は「うる星やつら」のラムちゃんが大好きだった。

つづく、かも。

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