境界線

視えざる境界線

ほぼ真夜中、0:00を時計が指す頃、私のスピリットは南半球のどこかを彷徨うようにとにかく熱くなる。
燃えたぎる・・・と言う言葉がきっと相応しい、この感覚。でも体温計は37度1分を指している。

私にとって37度の真ん中が生命の境界線であるかのように、そこを私は魔のゾーンと呼んでいる。魔のゾーンから2分低い体温ならば多少の無理は惜しまず、逆に1分でも上にずれた時には急速に体を休めるデッドライン、それが37度5分。

今日は高温多湿な一日だったけれど、どうやらそれだけではなく我が家の空調は数年分の埃をめい一杯ボディに溜め込んでいるらしく、少々キレが悪くなっている。
まるで今の私のようではないかと思うと、そのキレの悪さを殊更責めることも出来ず、鈍くとも精一杯六畳の寝室を冷やさんと懸命に作動する天井近くのその物体がどこか愛おしく見えて来るから不思議なものだ。

体温37度の危険レベル1の境界線を越えるとそこは、未知の亜熱帯ゾーンとなる。行ったことのない森林が薄っすらと視界に姿を現し、時によっては木々と雨露の香りまでが鼻の中央を突き刺して来る。
アロマオイルでも焚いたのかと思うほどそれが激しくなると、やや危険レベル2に体が近付いた証拠。用心しつつそれでも若干無茶をする自分が、案外嫌いではない。

ここのところ体温が34度台から37度台(37.5度の境界線未満あたり)を彷徨っていて、私の体をそんな風にさせているものが何なのか・・・を私も又注意深く観察している。
あちらは私に観察されているとはきっと思っていないだろう。ちょっと攻撃してダウンさせてやろう・・・ぐらいに思ってタカをくくっているのかもしれないし、手加減しながら徐々にボディーブローを加えて行く計画かもしれない。

だが私はこういう危機的状況には案外慣れていて、若い時は38度の高熱をおしてコンクールの本選の演目を破れかぶれに弾き切ったこともあったし、同じく38度の高熱とその他の風邪の症状で全く声が出なくなったにも関わらず、2時間のリハーサルとコンサートを完璧にクリアしたことも何度かあった。



一体私たちの敵は何者だろうかと、ここのところ頻繁に起きる私と相方の体の変化を通じて私も傾向と対策を練って行く。
恐怖心さえなければ敵はただの障害物のようでもあり、その状況を回復させて行く方法をただ粛々と考え続けることで私たちも徐々に強くなる。
鼬ごっこかもしれないとは思いつつ、このような生きた妨害壁に倒れて行った人たちの無念を思うと少しかなしくもあり、尚且つ私も生き方戦い方を考慮するようになる。


37度の国境線、そして37度5分の魔の境界線、そしてさらにその先に在る生死の境界線・・・。
最も怖いのは視えざる境界線を視えざる者によって体に刻み込まれ、そうと知らずに崩れ落ちることかもしれない。

某アイドルの最近のヒット曲に「僕たちは戦わない」という印象的なタイトルの付いた作品があったけれど、私は思う。
「戦わない」という戦い方が最も賢い戦法なのではないかと。
特に視えざる者を相手にした時は、尚更・・・。


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