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危うさと凶暴性の共存 - Coexistence of danger and ferocity

表面的にはこの二か月間以上、「世界の音楽」の新譜チェックとプレイリストの更新を止めていますが、水面下では色々と動きが活発で若干忙しくなっている私です。
 
私自身の音楽の今後を見据えている時期と重なるように、各方面のタレント系或いはパフォーマンス系の裏方からのアクセスも増えています。
ですが私は自身の創作活動を最優先している為、今後「裏方」の仕事に絡む気が全くないことを、一先ずここで公言しておきたいと思います。
 
世界が負のエネルギーに強く揺さぶられ、明らかにマイナスの方向へと突き進んでいる現状に比例するように、ネット上に更新されて行く音楽も「負」の面を表にしながら後退しているように私には見えて仕方がありません。
特にピアノ・インストゥルメンタル系やLo-Fi系の新作の多くが音質及び楽曲構成に「歪み」を生じさせていて、何故そのような方向性に多くの同系統の音楽家たちが一気に突き進んで行こうとするのか、私はその状況に一種の恐怖を感じます。
 

 
最近知ったのですが、昭和のニューエイジ・ミュージックの先頭を切って走っていたカナダのアーティスト、アンドレ・ギャニオンが2020年12月3日にひっそりとこの世を去っていました。
残念なことに日本国内に、彼ほど良質なニューエイジ・ミュージックを生み出すアーティストが存在しません。
ですが類似品や模造品のようなものを作り続けているアーティストは若干居て、この「誰もが対等なスタンスで音楽配信の出来る」今の環境下で彼らは競うように切磋琢磨しながら、歪みの深い不可解かつ不快な音楽が多く配信されています。
 
特にアカデミックな教育を受けた人材が一度道を踏み外すと、ある種の自信や自負の念が悪い意味での拍車となりどこまでも転がり落ちて行ってしまうのは、傍から見ていて胸が詰まります。
自身が持つ「アカデミック」がつまらなく見えて来る瞬間があるのか、元々持っている秀逸な才能を破壊衝動の側に向けてしまう人たちが後を絶ちません。
 
ですが忘れてはいけないことを一つ挙げるとすれば、たった一曲の作品と百万曲の商材音楽とでは数の上では後者が有利だとしても、最終的に後世に受け継がれて行くのが圧倒的に前者であると言うことです。
その「たった一曲の芸術作品」を生み出す人の人間性もおそらく寡黙で頑固な故に、多くの商材音楽を生み出す人の「華」に圧されて負けてしまうような錯覚に瞬時的には陥るとしても、最後の最後は亀の速度で全ての小走りなうさぎたちを圧倒して行きます。
 

 
上の動画は亡くなったアンドレ・ギャニオンの作品の中で私が最も好きな一曲『Épilogue』ですが、原曲のリリースが古い為、サブスクリプションからの配信が遅れているようです。
 
アンドレ・ギャニオンのヒット作品と言えばめぐり逢い明日等が挙げられると思いますが、あくまで上に挙げた2曲は「商品」であり、「作品」と言うには出来栄えが悪すぎます。
にも関わらず、いかにも目立ってメディアや広告業界が推している作品の方へとリスナーを誘導して行く流れは相変わらず止まることが無く、いずれそれがどこかの時点で決定的な音楽文明の消滅の引き金を引く日が来ることを、私はとても危惧しています。
 
多くの人々は目に見える「滅び」に直面しなければ、のらりくらりとそれまでの物事の流れを維持出来ると思っているようです。
私自身、こうして自分以外のアーティストの作品を紹介したり評論したり‥ と言うアクティビティーで、衰退の一途を辿って行く音楽文化の維持に手を貸している一人なのかもしれません。
ですが少なくとも「正しい音楽」或いは「良質な音楽」の紹介や、それらの見分け方のヒントを丸ごと公開しており、少しでも良い感覚を持ったリスナーが自信を持って他の人たちに胸を張ってその旨を伝えられるよう、沈み行く音楽文化の下支えの一端を担えれば良いと考えています。
 

先日、少しだけプレアデス星のセムヤーゼ女史と「音楽」の話になりました。
彼女こそ地球上で当時最もヒットを飛ばしていたビートルズのロックンロールに傾倒した一人でしたが、或る件で長い長い眠りに落ちてそこから目覚めた時に最も聴きたい音楽がビートルズでも何でもなかったと、私に話してくれました。
先日崩御されたエリザベス女王に関してはと言えば、女王の中で今も生前の記憶として残っているものを挙げるならば「パイプオルガン」と「クラリネット」の音色だそうです。

両女性共に単旋律を聞き取る力は備わっているものの、コード(和声)やコード・プログレッションを聞き取るには至らないようです。
 
つまり人間の場合(プレアデス人も含む)、一個の音楽を聴く時に最初で最後に心と記憶に残るものは歌詞でもコードでも表現者の声色でもなく、単旋律の美しさのみだと言っても過言ではないようです。
 
いつか訪れるその日があるならば私は、是非プレアデス星のセムヤーゼに自身の音楽を届けたいと言う夢を抱いています。
それは私の創作の目下の課題の一つであり、今世で辿り着く可能性のある最終ゴールとなるかもしれません。
揺れる黄色いテープを目指し、これからも預言や予言、或いは自然神の声をそっと封印しながらの私の音楽作りの人生は止むことなく続いて行くでしょう。
 


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