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行き場のないものたち

寡黙で口下手で厳しい父と、父親が好きではない弟の話。

父は新聞記者をしている。
毎日夜勤の朝帰り、休日祝日選挙期間は特に忙しそうで同じ家に住んでいても顔を合わせない日が多かった。

弟は私よりも勉強も運動も断トツで出来た。
小学校のマラソン大会は6年連続トップ。陸上では全国大会出場。
勉強では小学生から受験勉強に明け暮れ、全国模試で名前が上がるのは茶飯事。

昔は家の前で父私弟の3人でよくキャッチボールをしていた。

両親が共働きだったせいで弟は大好きだった地元の野球チームを辞めることになった。
読売ジャイアンツが好きで打席順に選手の名前を読み上げる声が家中響いていたが、その声もその日を境にピタっと無くなった。
抽選でゲットしたラミレス選手の大きなポスターも裏向きに掛けられていた。

あんなにやかましかった弟が静かになった。

弟は自分の居場所を探した。
そして勉強に没頭する道を選んだ。

それからすぐ両親は離婚した。
弟は顔には出さなかったが突然のことでショックを受けていた。

月に1回だけ会っていた父親が小学生だった弟に東大の太い赤本を買ってやった。
「1番分厚いのお守りとして持っておけ」
弟は何も言わずそのずっしりとした本を受け取った。

弟は赤本を机の正面に神棚のように置き、早朝から夜中まで部屋から出てくることなく孤独に毎日勉強し続けた。弟の勉強机の引き出しにはインクの切れたゲルインクの赤ペンが50本以上入っていた。

その甲斐あって中学受験にはあっさり合格した。しかし、あんなに志願して行った中学もだんだん不登校になっていった。

弟は再び居場所を探し始めた。

勉強への熱が冷めることはなく、母親に黙って県外の高校のオープンキャンパスに行き、反対を押し切って県外の難関高校に勝手に受験した。

私が大学生になると家族だった4人は見事にバラバラとなった。
いつかは、と思ってはいたが一緒に住んでいた家族が離れるのは寂しい気もした。
すぐに当たり前の日常へとなっていったが。


父は再婚した。
去年帰省した時に2歳の子供がいることを知った。

親だけどもう別の子供の親だという事実を受け入れるのにはだいぶ時間がかかった。
何故か裏切られたような気分にもなった。
そこからは連絡もあまり返さなくなった。

最近父から2022年の挨拶と共に連絡が来た。
弟に読売ジャイアンツのカレンダーを送ったが、つき返されてしまったから私から渡して欲しいとの事だった。

父と弟は恐らく9年近く連絡を取っていなかった。
去年父から弟の住所を聞かれたので私はこっそり教えていた。


父はまだ私と弟の親で、父の中での弟の好きなものは野球少年だった頃に好きだったもののままだった。

それを知った時複雑な感情になった。
何かが掛け違わなかったらまだあったかもしれない家族の姿を思い描いた。

弟にこれをもう一度送ろうとはならなかったが、これを父に送り返すのもなんだか違う気がして、かといって私の部屋には既に2022年のカレンダーが飾ってあるし、、、。

メルカリでジャイアンツファンに届くのが良いとも思ったが、父からのお金に変えられない何かを受け取ってしまった気がしていて、出品も出来ずにいた。

このカレンダーの一年間の居場所は私のクローゼットの中になりそうだ。

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