飛び出せ!佐久間探検隊
第三十回 阪神なんば線淀川橋梁の今
ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
しばらくお休みしててすいません。
阪神なんば線といえば兵庫と奈良を結ぶ重要なルート。
昔は西九条駅までで、西大阪線と呼ばれていた。
走っていたのも、赤胴車の4両編成が中心。
都会の中になぜかのんびりしたローカル線の空気を感じる、
実に不思議な路線でだった。
その象徴が淀川橋梁。
1924年、大物駅-伝法駅間開業時に建設され、
水面まで低い橋梁として知られていた。
しかし2017年に掛け替えが決定して、工事が進行している。
その工事の様子を見学する為、探検隊は伝法駅で下車した。
駅前を右折して、歩き始める。
緩い坂道。
この時点の探検隊は、まだ意気揚々とした気分だ。
坂を上れば、交差点に辿り着く。
交差してるのは、国道43号線。
阪神間を結ぶ主要国道だ。
探検隊は右折した。
右折した先にも、坂道が続く。
写真はこれでも先の信号が赤だからクルマが少ない方。
主要国道とあって青信号だとかなりの通行量になる。
伝法大橋のたもとの交差点に辿り着く。
淀川を吹く風が冷たく感じる。
探検隊は右折した。
右折した先は、堤防上の道路。
幅が一車線分しかないので、東行き一方通行となっている。
独立した歩道はなく、線で区分けされているだけ。
通行量がそこそこ多いので、探検隊は安全に注意しながら進んだ。
しばらく歩くと到着したのは、淀川東岸踏切。
淀川橋梁の東南端になる。
ここの踏切の特徴は、防潮壁がある点。
堤防を線路が分断している形なので、
水かさが増した時は防潮壁で閉鎖して水害を防ぐ。
勿論、電車は通行止めに。
近年では2018年の台風21号接近時に閉鎖された。
1979年以来、39年ぶりだったとの事。
あとここの踏切、昔から鉄道写真の撮影地としても有名。
このように良い塩梅の直線となっている。
ちょうど阪神1000系がやって来たので撮影。
しかも「阪神なんば線開業10周年記念ラッピング」の編成。
踏切の中央で尼崎駅方向を見る。
左側の建築物は新しい橋梁の橋脚。
新しい橋脚が高いのは、水面からの高さが引き上げられるから。
防潮壁。
厚みがかなりあるので、頑丈そうだ。
踏切の西北には河川監視用のカメラが。
防潮壁の展開を検討するのには必須。
踏切を後にして、国道43号線に戻る。
こうして見ると、ラクガキが酷いモノだ。
今度は伝法大橋を歩き始める。
川面を往く風は、真冬なので冷たい。
渡りはじめて東を向くと、工事の全容が見える。
まだ橋桁はないものの、ぼちぼち完成した橋脚が姿を現している。
橋脚を縫うように渡された足場が印象的だ。
一本目の橋脚。
橋脚単体としては、既に完成している。
二本目の橋脚。
こちらは上部の膨らんだ部分が未完成。
剥き出しの鉄筋が如何にも工事中、といった雰囲気を醸し出している。
橋脚の建設には台船と大型のクレーンが用いられている。
クレーンのアームはかなり長い。
三本目の橋脚。
こちらも完成済み。
近くに足場がなく、ぽつんと存在している。
まるで現代美術の作品のよう。
ちょうど電車が通りかかったので撮影。
鉄道写真としては良くないが、工事の記録写真と思えばまあまあ。
四本目の橋脚。
ここから足場が復活している。
五本目の橋脚。
二本目と同じく、上部が未完成。
何か事情があるのだろうか。
台船とクレーン。
この風景も工事中ならでは。
六本目の橋脚。
こちらは水上部分が未完成。
基礎しか出来てないので、杭で水を防いでるのだろう。
こちらからは見えないので断定できないが、
おそらく杭の内側の水は抜かれているだろう。
もっと大きい橋になるとリング状の橋脚を現地で繫げて沈め、
中の水を抜いて完成した橋脚にする工法もあるそうな。
七本目の橋脚。
六本目と同様上部は未完成だが、こちらは上部の工事が続行中のよう。
手前の船はセメントの運搬船なのだろうか。
2020年10月に撮影した写真。
既報通り現在は手前に橋脚が建設されているので、
このようにすっきりとしたトラスを拝む事は出来ない。
八本目の橋脚。
こちらも現代芸術みたいだが、
足場の存在がここが工事現場である事を表してる。
九本目の橋脚。
こちらも上部が建設中。
十本目の橋脚。
どうやらこれが最後の橋脚のよう。
十本目の橋脚からしばらく歩くと、伝法大橋の北端に。
探検隊は右折した。
右折すると、南端と同じような道幅の道。
但しこちらは西行きの一方通行。
歩道が狭く、通行量が多いので安全に注意を払って通行した。
そうこうするうち辿り着いたのは、淀川西岸踏切。
こちらにも防潮壁が装備されている。
目的も淀川東岸踏切と同じ。
防潮壁のアップ。
こちらもかなり厚みがあり、重そうだ。
踏切の西南部より伝法駅方向を望む。
手前側で線路が東へ曲がっているのは、
福駅高架化工事によって仮線に付け替えられたため。
工事開始前はちょうど撮影位置が、尼崎駅方面の線路だった。
東南部からの写真。
現在西九条駅方面の線路が通ってる場所は、
工事開始前は踏切の外だった。
ちょうど近鉄電車が通過したので、一枚。
線路が曲がってるので、6両編成の撮影が限界のようだ。
線路が付け替えられる前、2020年10月に撮影した写真。
線路はカーブを描いてはいるが、その角度は現在より明らかに小さい。
こうして探検隊は淀川橋梁の今を調査し終えた。
これからも工事の進展によって、淀川橋梁が見せる表情は変わるだろう。
そしてこの記事が貴重な工事中の記録となるのを願いつつ、
探検隊は現地を後にしたのだった。
「阪神なんば線淀川橋梁の今」
おわり。
以下の写真はオマケ。
工事開始前はおろか計画すら存在せず、
まだ西大阪線と呼ばれていた2007年10月に撮影した写真。
阪神最後の片開扉車であった、7861・7961形電車。
なんば線延伸開業は武庫川線に移り、2020年6月に引退した。
1000系電車も2両編成がペアを組んで、4連で走行していた。
現在では尼崎駅で切り離される付属編成、というイメージであるが。
こちらは7801・7901形電車の編成。
1969年年度に増備されたグループで、
両開き扉の他に新製時は扇風機と、
送風ファンのラインデリアを装備していた。
その為屋根が低く、幕板部分が狭いのが特徴。
こちらの編成もなんば線延伸開業後は武庫川線に移り、
2020年6月に引退した。
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