飛び出せ!佐久間探検隊
第二回 堺市中区にピラミッドは実在した!
ドモ 佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
今回は堺市中区に実在する、
「ピラミッド」
へと行ってきました。
最寄り駅は、またしても泉北高速鉄道の深井駅。
前回と反対側、東側のロータリーがスタートです。
ロータリーを抜けると、駅前のマンション街に。
左奥のマンションみたいな建物は、
昔からある堺フジタ病院。
1つ目の信号機。
左の白い建物のうち、奥側はパン屋さん。
プチジュールってお店。
結構有名で、お客が絶えない。
2つ目の信号機。
ここまで緩いとはいえ、ずっと上り道。
交差点から先は更に勾配が急になり、
探検隊を苦しめる。
突如現れたバス停。
そう、この道はバス通りなのだ。
堺東駅前とあみだ池を結ぶ、
南海バス田園線の路線。
3つ目の信号機。
駅前のロータリーから続いた緩い坂道も、
ここらでひとまず終了。
緩い下り坂と再び緩い上り坂が続く。
4つ目の信号機。
手前には、またバス停が。
ここで緩い下り坂は終了。
交差点を渡る、南海バス。
ただ日中は40分間隔なので、
至極便利とは言い難い。
交差点を渡ると、傍に5つ目の信号機。
ちなみにバスは、次の交差点を左折する。
5つ目の信号機の交差点傍に、
何やら怪しい門が。
門を眺める。
奥には怪しい建造物が!
門をくぐる。
そこにはまごう事無きピラミッドの姿があった!
ピラミッドに近寄ってみる。
どうやら瓦で装飾されてるようだ。
更に近づいてみる。
瓦の装飾は、幾何学的な模様を作り出している。
まるで何かのアートのようである。
右に回り込んでみる。
荘厳な建造物だ。
?
???
どうやら瓦で装飾されてるのは、
残念ながら全部の面ではないようだ。
こちら二面は草ボーボー。
これではなんだか小山に見える。
石碑があった。
どうやらここは、土塔という国の史跡のようだ。
説明板があった。
この土塔は727年(神亀4年)行基という僧によって、
大野寺の仏塔として建築された。
目的は仏舎利(お釈迦様の骨)を納める事。
三重塔や五重塔の原型なのだ。
行基は堺の生まれ。
現在生家は西区の家原寺となっている。
僧としてだけでなく土木技術者でもあり、
狭山池や昆陽池、久米田池を建築した。
また有馬温泉や湯河原温泉の発見者とする伝説もある。
しかし最大の業績は、
東大時盧舎那仏(大仏)の建立を指揮・監督した事であろう。
当時の装飾に用いられていた、瓦の破片。
周辺からは出土品も多く、
国指定の重要文化財となっている。
どうやら事前に申請さえすれば、
断面の部分も見学可能のようだ。
お好きな方は、予約してみては如何だろうか?
復元模型もあった。
創建当時の姿は、ここ土塔が三重塔や五重塔の原型である事を、
如実に物語る。
とまぁ実は貴重な遺跡だった、ピラミッドこと土塔。
探検隊はガキの頃に滑って遊んでた事を思い出し、
知らぬ事とはいえ、大胆な事をしてたなぁと思うのであった。
もう40年以上前の話だから、時効でしょw
「堺市中区にピラミッドは実在した!」
おわり
オマケ
土塔の本体ともいえる大野寺ですが、
かつての大寺院の姿はなく、
小さな門と本堂が、ひっそり向かいに残るのみです。
オマケ その2
土塔の観光案内
※この記事は以前Twitterに於いて連続ツイートとして発表したものに、
修正を加えたものです。
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