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飛び出せ!佐久間探検隊

第十一回 柏原のパラダイスは健在だった!


ドモ。佐久間探隊の隊長、佐久間ディックです。

大阪府柏原市…
かつてここに

「柏原のパラダイス」

と呼ばれた遊園地がありました。
その名は近鉄玉手山遊園地
残念ながら1998年5月31日、閉園となりました。
が、敷地を所有するお寺の檀家からの要望により、
柏原市立玉手山公園となって現存しているそうです。
今回はそこへ行ってみました。
出発地は近鉄南大阪線道明寺駅。
改札を出て線路沿いに南へ進みます。

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出発後すぐ左手に見える石碑。
ここはかつて大坂夏の陣の戦場だったんです。
大坂方の主力は槍の名手、後藤又兵衛
黒田家を辞した後も黒田家の奉公構により再就職もままならず、
今日で浪人生活を送っていた。
大坂冬の陣の時に豊臣秀頼に身を寄せて、
摩利支天の再来」と呼ばれる程の名采配。
大坂夏の陣では小松山(玉手山公園そば)に布陣。
僅か2800の兵で奮戦した。
援軍の到着が遅れる中、伊達家など敵は十倍以上になり、
又兵衛は山を下りて敵陣に突撃し、憤死しました。

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ほどなく南大阪線の踏切に到着。
踏切を渡ります。

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踏切を渡ると、石川の堤防に到着。
堤防を上がり、右へ曲がります。

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堤防を南へ進みます。
吹く風は冷たく、早くも帰りたくなります。

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眼前に現れる、大きな橋。
玉手橋という橋です。
1928年に大阪鉄道が玉手山遊園地への通路として建設しました。
今では玉手山の住民の生活路となってます。
2001年、国の登録有形文化財に指定されてます。

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吊り橋なのですが、殆んど揺れません。
自転車と歩行者は白線で分離されてますが、
ごっちゃになりがち。
大阪らしいですね。

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橋を渡り終えると、いよいよ柏原市に突入です。
横断歩道を渡って、さらに南へ進みます。

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すぐに信号の交差点が。
ここで堤防沿いの道とは分かれ、左の道へ進みます。

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道なりに進むと、T字路に。
ここは右に進みます。

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先へ進むと、住宅街の左へ。
道を間違えてないか心配になりますが、
近くに案内の看板があります。

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のんびりとした住宅街を歩くこと、しばらく。
さっき看板があったとはいえ、
「なんか看板に騙されてるのでは?」
と思ってしまいます。

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そうこうするうち、
道が細くなると同時に右折を促す看板が現れます。

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左折して少し歩くと、道が左に曲がります。

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曲がった先の右手に公園への入口が。

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坂を上った先に、やっとこさゲートがあります。
探検隊は苦難の末、パラダイスに到達したのです!

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パラダイスの案内状。
ここから先の冒険に、探検隊は胸を躍らせます。

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探検隊はいよいよ外界とパラダイスを隔てる門を潜り抜ける。
緊張の一瞬だ。

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パラダイスの案内図。
簡潔に歴史も纏められてて、分かりやすい。

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ソーシャルディスタンスを訴える横断幕。
パラダイスでも新型コロナ対策は重要だ。

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ここはふれあい広場…なのだが誰もいない。
触れ合おうにも人っ子一人いないのだ。
誰もいない広場に吹く風が冷たい。

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ボールプールも休業中。
寒空の中、晒されてるゲーム機が痛々しい。

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のりもの広場も休業中。
カバーを掛けられた遊具に、寒々しさを感じる。

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記念写真用の顔出し看板。
ゆかりの小林一茶と後藤又兵衛が並ぶ。
他には豊臣秀吉と淀君、豊臣秀頼と千姫の看板もあった。

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玉手山と所有者の安福寺の由来を表す看板。
行基上人って、あの行基ですね。
第二回の探検で出てきた僧侶の。
手広くやってるんですねぇ。

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お楽しみ館も閉まってる。
これじゃあ何のお楽しみもない。
それより人が全然いない。

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とりあえず展望台を目指してみるものの、
探検隊には苦難の坂道が続く。

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しかも看板にはさらりと

「マムシ注意!!」

の文字が。
探検隊は早くもここに来たのを後悔し始めていた。
冬なので大丈夫とは思うのですが。

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長い坂に苦戦しつつ、たどり着いたのは小林一茶の句碑。
この地を寛政七年四月に訪れ、二首の句を読んだそうな。

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展望台への角に建つ、おもちゃ・歴史館と昆虫館・貝・化石館。
どうやら人気はないようだ。

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両館に別れを告げ、展望台への道すがらにある、
アンティックな音楽堂。
明治41年玉手山遊園地開業時の建物で、
屋根上の方位指示器には河南鉄道の社紋がデザインされてるそうな。

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様々な苦難の末、やっとたどり着いた展望台。
休憩所も兼ねているようです。

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展望台から見た風景。
大パノラマ…と言うには少々物足りない。
まぁこんなモンでしょ、という感じ。

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来た道を戻り、今度は東側へ進みます。

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今まででかなり疲れてるのに、トドメを刺すような坂道。
こうなったら上るしかありません。
探検隊は持てる力を振り絞ることにした。

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坂の途中から分岐する、冒険の広場への入口。
行ってしまうとそれこそ大冒険になり、疲れ果てる恐れがありました。
そこで探検隊は泣く泣く断念しました。

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また、屋外劇場を見下ろすカタチになります。
この劇場、遊園地時代にはショーが開催されたが、
予算の都合で戦隊はレッドのみ、
セーラーチームはセーラームーンのみだったそうで。
しかもステージが狭いので、アクションはなく握手会が主体だったとか。
見てみたかったなぁ。

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急勾配で虫の息になりつつ、探検隊は頂上の歴史の丘に到達した。
ここまで来れば、麓からはそこそこの高さにはなっていると思う。

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歴史の丘にある、一本の桜。
「後藤又兵衛しだれ桜」
という桜だそうです。
春に訪れたら、見事な花が咲いてるでしょうね。
今はただの木ですが。

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ここにも大坂夏の陣に関する案内板が。

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そしてどーんと鎮座する「後藤又兵衛基次之碑」。
題字は河内を愛した坊さん作家、今東光によるものです。
今東光は勝新太郎の代表作「悪名」の原作や、
瀬戸内寂聴の名付け親で有名です。

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あたりを見回すと何やら怪しいアンテナが
実はココ、
かつてツーカーホン関西の基地局だった施設です。
アンテナが健在であることから、今はauの基地局の模様。
なんでそんなこと知ってるのかって?

かつてここに仕事で来たから

なんですよ。

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もう一つ怪しいアンテナ施設が。
ここはテレビの中継局。
テレビの電波って生駒山の上から飛ばしてますが、
ここが無いと周辺でテレビを見る事が出来なくなっちゃいます。
山が生駒山からの電波を遮断しちゃうんです。

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近寄ってみる。
ね、ちゃんと看板があるでしょ。
デジタルになっても健在のようですね。

個人的な憶測ですが、
この2つの施設が玉手山公園存続のカギとなってると思います。
この2つの施設を潰すと、
テレビやスマホが使えないという直接的なデメリットの他、
経済的なデメリットがあります。

それはこの施設の家賃。
結構こーいう施設の家賃ってお高いんですよ。
どこに建てても良い、って訳じゃありませんから。

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丘から一段高くなった場所に上がってみる。
ここが公園の最高地点のようです。
目の前の塔は、大坂夏の陣での戦没者慰霊塔だと思います。

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そこから下界を望んだ風景。
改めてその高さに驚くとともに、
かなりの所まで住宅が迫ってるのにも驚きます。

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下りる時にあった看板。
どうやらさっきの場所は、古墳だったようです。

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出口に到達しました。
長かった今回の探検もこれで終了です。
コロナの影響で遊戯施設は閉まっていたものの、
玉手山公園はまだまだ健在でした。
探検隊はパラダイスの健在ぶりに胸を熱くしながら、
帰途に赴くのでした。

「柏原のパラダイスは健在だった!」

おわり。

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