飛び出せ!佐久間探検隊
第二十九回 神無月の出雲大社を探検!
ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
いや~、すっかり秋ですねぇ。
もう10月なんだから、当たり前なんですが。
10月と言えば、別名神無月。
10月は日本中の神社の神様が出雲大社に集まるので、
神社に神様がいなくなるから神無月という説があります。
そこで、ちょっとした疑問が。
大阪の出雲大社の神様は、どーなってるの?
大阪の出雲大社と言っても、知らない人が多いかも。
実は堺市に、出雲大社の大阪分祠があるんです。
分祠と言いますが、ちゃんとした出雲大社ですよ。
分かりやすく言うと、大阪支店みたいな感じです。
果たして、出雲大社大阪分祠に神様はいるのだろうか?
探検隊は南海高野線初芝駅で下車した。
改札を出て左を向くと、
デリカショップとパン屋の間に怪しげな細い通路が。
実はここが出雲大社大阪分祠への参道。
ちょっと薄暗い雰囲気の道へ歩いて行く。
しばらく進むと、道が開けると同時に更に怪しい地下道が。
参道はこの怪しい地下道になる。
ちゃんと看板もある。
「たぶん大丈夫だろう」
根拠のない自信と共に地下道へ向かった。
地下道の入口はこんな感じ。
地下道の天井の出っ張りは、南海高野線の線路。
昼なお薄暗く、怪しい雰囲気が漂う。
複線の地下を潜るだけなので短いはずなのだが、
雰囲気のせいでやけに長く感じる通路を抜けて出口に。
何か得体の知れない解放感を感じる。
まるで地下牢からの脱獄に成功したような感じだ。
出口は西口のロータリー。
寂しい雰囲気が漂っている。
駅前ロータリーと言ってももう一つの東口の方が歴史も古く、
バスも乗り入れているので栄えている。
南側を曲がると、駅前の一等地なのに堂々と空き地が。
言っておくがここは南海高野線の駅、しかも堺市内である。
日中でも、1時間に4本の電車が停車する駅なのである。
ディーゼルカーが1時間に1本停車するかどうかの駅じゃないのだ。
意を決して歩き始める。
ちなみに駅前ロータリーに違法駐車してるクルマは一台もない。
ロータリーの外れに、接続している小道が。
左側にあるそちらの方へ足を進める。
小道はのんびりとした雰囲気。
時間がゆっくり流れてるようだ。
しばらく歩くと、通行量の多い道と交差する。
探検隊は右折した。
通行量が多いので、道行く車に注意しながら足を進める。
歩道は一応存在するけど、申し訳程度の存在。
更に歩くと、信号機のある交差点が。
信号待ちの間、暫しの休憩と洒落こむ。
信号の先には、ナカバヤシ株式会社の本社工場が。
ナカバヤシ株式会社と言えば関西の長寿番組の、
「新婚さんいらっしゃい!」でお馴染みのフエルアルバム。
今はスポンサーを降板してるけど。
デジタルが写真の主流になってアルバムは厳しいだろうと思ったら、
OA機器や育児用品など多種目の事業を展開して好調だとか。
ちなみにここには本社工場の他、堺オフィスもあるそうで。
交差点を渡り、進み始める。
相変わらずクルマの通行量は多いけど、歩道は狭い。
カーブに差し掛かると、車道の反対側にコンビニが。
寄り道をしたいけれど、車道を横断するのは危険なので諦める。
やがて歩道が少し広くなる。
歩道の隣には生垣が。
生垣の中に大きな看板が。
そう、ここが出雲大社大阪分祠なのである。
出雲大社大阪分祠の歴史は、1946年から始まる。
しかし最初は出雲大社の分祀としてではなく、
愛宕大権現の河内文社として創建された。
1948年9月に出雲大社より大国主命の御分霊を拝受し、
1949年4月に出雲大社教・河内教会となった。
出雲大社大阪分祠となったのは、1958年12月。
主祭神は大国主命、火之迦具土神、武甕槌大神の三柱である。
看板を過ぎると、右手に大きな鳥居が。
この大鳥居は1960年12月に完成したもの。
鳥居をくぐると、参道は一直線。
よくある玉砂利ではなくて、大理石が敷き詰められている。
手を清める為に手水舎へ。
よくある竹筒ではなくて、鳳凰なのが珍しい。
出雲大社といえば、縁結びの神様。
境内には特大サイズの絵馬も。
寅年も残り二か月弱ですね。
本殿はかなり大きな建物。
竣功したのは、1962年6月。
本殿の前に到着。
拝礼して、参拝をする。
探検隊はこうして無事参拝を終えた。
で、肝心の神様の件だが、分からなかった。
神社の方に訊ねようにも、見当たらなかったし。
探検隊には神様が見えないから仕方ない。
そのうち
神を見た!
とか
ハレー彗星から俺を操る電波が!
と叫び出すかも知れないが。
「神無月の出雲大社を探検!」
おわり。
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