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飛び出せ!佐久間探検隊


第三十五回 古の決闘の地で武蔵を偲ぶ!


ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

宮本武蔵


「史上最強」と称される剣の達人。
佐々木小次郎との決闘である「巌流島の決闘」が有名だが、
彼にはもう一つ有名な決闘がある。
それが

一乗寺下がり松の決闘。


京の都で「剣法兄弟」と名を馳せていた、吉岡兄弟一門との決闘である。
一説によると武蔵は数十人を一人で相手し、勝利したという。
小説や時代劇でも有名な決闘である。
特に1964年の映画「宮本武蔵 一乗寺の決斗」が名作と言われている。
そんな決闘の舞台となった一乗寺下がり松だが、
京都市左京区に現存していることはご存じだろうか。
探検隊はその地を訪れ、
武蔵の足跡を偲ぶために叡山電鉄一乗寺駅に降り立った。




一乗寺駅のホームを下りると、すぐそこは曼珠院通。
駅前の自転車屋がなかなか良い味を醸し出している。
探検隊は左折した。




曼珠院通を東へ向かう。
広くはないが如何にも京都らしい小道だ。




通りは緩やかな坂道になっている。
山が傍まで迫っている。




緩やかな坂道だが、傾斜はやや急に。
天気は曇りなのだが、やや蒸し暑さを感じる。




しばらく歩くと、お豆腐屋さんが。
その名もズバリ「一乗寺とうふ」。
職人の御主人と販売の奥さんの御夫婦二人のお店だが、
豆腐はかなり美味しい。
それもその筈、御主人は北野の豆腐の名店である「とようけ屋山本」で、
長年豆腐を作ってこられた人。

体調を崩して退職したのだが、奥さんの勧めでここに開店となった。
営業時間 10時~16時
定休日 日曜日及び月曜日




「一乗寺とうふ」のもめん豆腐、250円。
如何にも豆腐らしい、大豆の味が生きている。
あまり手を加えず豆腐の味が出る、冷奴か湯豆腐が良いと思う。




更に歩くと、信号のある交差点へ。
交差しているのは、白川通




青信号を確認して、横断歩道を渡る。
前を歩くおじいちゃん、良い味出してるな。




信号を渡ると、坂が急に。
あと沿道には住宅が増えました




更に進むと見えるのは、角度が急になった左カーブ。
カーブの曲がり具合も急なようだ。




坂の途中に開けた場所が。
大きな鳥居も見える。




八大神社の看板の前に何やら登り口が。




ここが一乗寺下がり松なのである!


登り口の前には、決闘の地を記念した石碑が。




石碑単体での写真。
ここが決闘の地であることを表した石碑なのであるが、
何かに似ているような気が。

結婚式の会場の前に出してる看板だ!





京都市による説明看板。
ちなみに石碑を設置した堀正平だが1929年と1940年の2回、
天覧試合に出場している。
結果は2回とも準々決勝敗退。
天覧試合で準々決勝まで進むとは、かなり腕が立ったのだろう。
そして1963年に亡くなっている。
石碑を建立した当時は、まだ吉川英治の「宮本武蔵」が出版される前
寂しい村にポツンと立っていたそう。
しかも村人はこの碑の建立に疑問を持っていたとか。




武蔵が決闘をした当時は京の外れの寒村だったであろうが、

現在では住宅街のド真ん中。


決闘をしようと吉岡一門が集まった時点で通報され、
凶器準備集合罪で逮捕される事間違いなし
である。
それ以前にこんなに狭いから、何十人も集まるのは不可能である。




後ろ側から見た石碑。
「慶長九年」という文字が読める。
「五輪書」によると武蔵は天正十二年生まれ。
西暦で言うと1584年になる。
また同書に21歳の頃に京で天下の兵法物と戦い勝利とあるので、
1604年である慶長九年が石碑に刻まれたのだろう。




一乗寺下がり松には、もう一つ石碑が。
大楠公こと楠木正成の陣所跡を表している。
武蔵同様に時代劇などで人気が高い楠木正成の石碑があるのは、
なんだか不思議な縁を感じる。




一乗寺下がり松の全景。
だいたい建売住宅ぐらいの大きさしかない。
おそらく今は住宅になっている周囲も、
当時は下がり松の一部だったのであろう。
でないとこれだけでは、吉岡一門が何十人も集まるなんて到底不可能。




先ほど見えてた鳥居の全景。
曼珠院通はここから勾配が更に急に。




鳥居に掲示されていた看板。
八大神社、そう遠くなさそうなので行ってみる。
しかしこの絵の武蔵、

どう見ても21歳には見えないのだが。





東側から見た鳥居。
通の反対側に見えているのは京漬物で有名な、
おゝみや児島の一乗寺店。




鳥居を後にして曼珠院通を登り始める。
もう山に近いので、かなり急な坂。




急坂に苦戦しながら、歩を進める。
周りは完全に住宅街になっている。




しばらく歩くと、少し大きめの交差点に。
ここを左折すれば、庭園が有名な圓光寺がある




交差点を超えると、坂は更に急になる。
歩くのに少し難儀しそうだ。




その急坂の途中にあるのが、詩仙堂
1641年、徳川の家臣であった石川丈山が造営した山荘。
後に寺院化され、丈山寺となった。
造庭家として名高い丈山自身の設計による庭園、
百花塢は春の皐月と秋の紅葉の季節には多くの観光客で賑わう




やっと八大神社の入口に辿り着く。
決闘当時の下がり松があるそうだ。





八大神社は1294年、一乗寺の守護神として祇園神社から勧請された。
武蔵は吉岡兄弟との決闘前に八大神社で神頼みをしようと思ったが、
神仏に頼ろうとした自分の弱さに気づき、寸前でやめたとされる。




鳥居をくぐると、また坂道が。
辺りには静寂が。




人影がないので、荘厳な雰囲気が漂う。




途中にあった掲示板に掲示されていた、映画のポスター。
先ほど述べた、「宮本武蔵 一乗寺の決斗」のポスターである。
若き中村錦之助が演じる武蔵の姿が凛々しい。
しかしポスターのコピーに
「松風騒ぐ、一乗寺下がり松!眼下の敵七十三人!」とあるが、
現在の一乗寺下がり松であったなら、

鮨詰めになって、身動き取れなくなる


事間違いなしである。




坂を上り終え、社務所の前に辿り着く。
自動販売機に対する配慮が、如何にも京都らしい。




八大神社の本殿。
厳かな空気が漂う。
本殿の左に決闘当時の松が、一部ではあったが保存されていた。
隣には若き日の武蔵像も。
探検隊は疲労感を覚えつつ、休憩をするのであった。

「古の決闘の地で武蔵を偲ぶ!」

おわり。
































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