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飛び出せ!佐久間探検隊


第三十七回 泉北高速の電車の長老は健在だった!


ドモドモ。
佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

今月、泉北高速鉄道に新しい通勤用電車、9300系がデビューしました。

試運転中の9300系

泉北高速での通勤車のデビューは、2008年の7020系の2次車以来。
7020系を7000系のマイナーチェンジとして考えると、
第5世代の通勤電車という事になります。
現役最古参の3000系が第2世代、5000系が第3世代、
7000系と7020系が第4世代という具合。
で、第1世代になるのが開業時に登場した、100系です。
100系は、開業時の1971年にデビューした車両。
製造は前年の1970年からでしたが。
登場以来長年泉北ニュータウンの通勤の足として活躍し、
20世紀最後の年である2000年の3月に引退しました。
そしてほとんど解体されたのですが、
1両だけ保存されている車両があるというそうです。
探検隊はその保存された1両を訪れるべく、泉ヶ丘駅に降り立ちました。




改札を出て通路を進み、北口と南口を繋ぐ自由通路を右折します。
取材したのは平日の真昼間でしたが、
流石は泉北ニュータウンを代表する泉ヶ丘駅
人通りはそこそこありました。




自由通路を南へと進みます。
南口は高島屋とショッピングセンターのパンジョ、
主要路線のバス乗り場があるので栄えています。




南口の広場に辿り着きました。
少し先に見えるのは、バスターミナル。
人の多さには、泉北ニュータウンの表玄関といった感があります。




その南口の端に小さな階段が。
案内板の通り、ここがビッグバンやビッグアイへの連絡路です
100系が保存されている場所へは、ここが近道となります。




階段を上がり、案内板に従って進みます。
雨を避けるための屋根が殺人的とも言える夏の日光を遮っていて、
探検隊としては助けになりました。




しばらく進むと、左折します。




そこには道路を渡るための階段が。
階段の後すぐ階段で辟易しましたが、
これは後に訪れる階段地獄の細やかな予告編だったのでした。




厳しいというより殺人的レベルの真夏の直射日光から、
探検隊を守ってくれている屋根は続きます。
頼もしい限りです。




そうしているうち、眼前ににビッグ・アイが。
ビッグ・アイの正式名称は、国際障害者交流センター
障害者の社会参加促進を目指す施設です。
中には多目的ホールや研修室、宿泊室やレストランがあります。

探検隊はビッグ・アイを通り過ぎました。




ビッグ・アイを通り過ぎると。大きい建物が見えてきます。
ここがビッグバン
正式名称は堺市立ビッグバンです。
1999年6月に大阪府立大型児童館ビッグバンとしてオープンし、
2021年3月に堺市へ移管されリニューアル工事を実施。
そして同年6月に再オープンとなりました。
漫画家の松本零士さんが、2021年3月まで名誉館長を務めていました。




ビッグバンの入口に到着。
100系が保存されているのは、「ちょっとバン」。
子供たちの遊び場で、ビッグバンの付帯設備という扱いになっています。
場所はちょうどここの裏手に。
探検隊は右折しました。




屋根から外れたので、夏の日光が容赦なく探検隊を襲いました
茶色く舗装された道を、汗を流しながら歩きます。




舗装が途切れた地点で左折します。
目の前にあるのは、池とその隣の森。




ちょうどビッグバンの西隣を進むカタチに。
平日の真昼間のせいか、道行く人は皆無です。




やがて道は行き止まりのような雰囲気に。
しかし階段と案内板があるようです。




案内板は展望広場と冒険遊び場が、この先にある事を示しています。
目指すちょっとバンも、こちらで間違いないはずです。
しかし探検隊は知りませんでした。

この階段がこれから始まる階段地獄の入口である事を。




階段を上ると、林の中とはいえ角度がそこそこ急な上り坂
階段を上ったばかりだからか、思ったよりもキツく感じます。




ほどなく姿を現す、二つ目の階段。
少しの踊り場を挟んで、もう一つ階段が続きます
探検隊の顔に余裕の表情はありませんでした。




二つ目の階段を上り終えても、坂道は容赦なく続きます。
殺人的な真夏の日光がないとはいえ、
今までの階段と急坂で、探検隊はすでに疲労困憊
何か先に階段らしきものが見えるようですが、
階段でないことを願うのみです。




そんな探検隊のささやかな願いを裏切るように、三度現れた階段
やはり踊り場を挟んで、もう一つ階段があるタイプです。
頭を半ば朦朧とさせながら、探検隊は階段を上りました。




やっとこの体で上り終え、しばらく歩くと平地に。
どうやら階段地獄は終わったようです。
ほっとしながら歩いていると、坂道の交差点に。




交差点にあった看板。
目指すちょっとバンは右折した先になります。




道は今までとは一転して、下り坂に。
疲労の溜まった足が転倒しないよう、注意しながら歩いていきます。




やがて坂道の角度は緩やかに。
先には終点も見えてきました。




坂道の途中にある案内看板。
手書きの文字が良い味を醸し出してますね。




そして到着した、フェンスに囲まれた広場。
ここがちょっとバンになります。




入口横には手書きの看板がたくさん。




ちょっとバンは利用料が無料の児童公園。
オープンされている日時が決まっていて、

水・土・日・祝日の10時~17時となっています。

ただし祝日の次の日は休みとなってます。




ちゃんと開園日のカレンダーも用意されてます
開園日が一目で分かって便利ですね。




では、入口から入ってみます。
なんか既に見えてますけど、取り敢えずは気にしないという事でw




と言う訳でこれが588号。

泉北高速鉄道100系唯一の生き残りです。

100系は泉北高速鉄道の開業に備えて、1970年から製造されました。
車体外販のみがステンレスを用いていて、
骨格は普通鋼が用いられたセミステンレス車でした。
1971年4月1日の泉北高速鉄道開業と同時にデビュー
1983~86年にかけて冷房化と下枠交差パンタへ交換をしました。
同時に所謂前パンだった車両は、パンタが連結面へと移設されました。
1988~1989年に先頭に立っていた車両に行先表示器が取り付けられ、
同時にヘッドライトが貫通扉の上から前面窓下部に移設されて、
3000系や南海6200系のような顔になりました。

廃車は1995年から始まり、2000年3月2日に全廃されました




保存されている588号は1972年に製造されました。
増結用の2両編成としてです。
全廃の日まで現役として活躍し、
ちょっとバンの開業時からここで保存されてます。

現役時代の塗装は、3000系と同じステンレスに青帯でした。
今の塗装は以前に5000系の5505Fにラッピングされていた、
ハッピーベアル号と同様の塗装がされています。




これがそのハッピーベアル号。
ビッグバンの名誉館長が松本零士さんだったので、
松本さんデザインの同館のイメージキャラクター、
「ベアル」と「メロウ」がデザインされてます。

1999年5月5日から2017年10月1日までの長期に渡り、運行してました。

ハッピーベアル号




588号以外の100系は解体されましたが、
使われていた部品はまだ現役で使用されている物があります。
運転台機器の一部は、3000系の中間車改造先頭車で使われています。

3000系の中間車改造先頭車




100系で使われていた台車は6100系を6300系に改造する時、
オリジナルのパイオニア台車から変更されるのに使われました。

パイオニア台車は高速域で乗り心地が悪く、
6000系や6200系と併結出来なかったからでした。

6100系
パイオニア台車
6300系




三菱電機製の冷房装置はことでん600形と700形、
上信電鉄1000形に使用されています

他に補助電源装置の静止型インバータが、
富山地方鉄道に譲渡されています。

ことでん600形




さて100系ですが1521系から続く南海通勤電車のデザインに於いて、
6100系(6300系)と6200系を繋ぐ存在
なのでした。
行先表示器が取り付けられる前の100系は、こんな顔でした。

で、6100系がこちら。

6100系

で、こちらが6200系。

6200系

100系は6100系を6200系のような角っぽい折妻したような、
6200系の行先表示器の位置にライトを移設したようなデザインですね。
それだけでありません。
100系は難波側から見るとモハ+サハ+サハ+モハの4両編成
若しくはモハ+クハの2両編成という編成の構成は6100系と同じでした。
しかも冷房化前はパンタグラフが難波側に揃えられていた点も、
6100系と同じでした

パンタグラフそのものは、6100系と違って菱形でしたが。
つまり6100系のマイナーチェンジが100系で、
100系のマイナーチェンジが6200系なんです。

なんでこうなったかは想像なのですが、一つの仮説があります。

泉北高速鉄道は1971年の開業当時、
自社の職員さんは皆無で南海に業務を委託してました。
車両を持ってる神戸高速鉄道、そんな感じでした。
電車は難波まで乗り入れを行いますし、
職員さんをわざわざ育成するより委託する方が手間も時間も省けます。
そうなると電車は同じ方が運転がしやすい
泉北高速は第三セクターだったので入札をしなければならないから、
6100系のようにフルステンレス車には出来ませんでしたが。
当時フルステンレス車を製造出来たのは、
東急車両(今の総合車両製作所横浜事業所)だけ
だったのがその理由でした。
では泉北高速3000系のように6100系の兄弟車を作ればと思いがちですが、
6100系は前面部もステンレスで出来ています。
そうなると丸い前頭部が問題に。
ステンレスは曲げにくく角度の急なカーブは作りにくいので、
丸い前頭部は6000系製造時から製造上のネックとなっていた場所でした。
しかも100系は1970年製造。
大阪万博で大量輸送が必要なこともあり、
国鉄や関西私鉄を中心に新車の需要が拡大
していました。
東急車両も大忙しだったに違いありません。
手間暇かかる前頭部を折妻にすれば、製造するのが簡単になります。
しかも新しい会社に相応しい、新鮮なデザインになるという一石二鳥。
そこで100系のデザインが生まれたのだと推測します。
因みに現在のステンレス車は、
前頭部を普通鋼や強化プラスチックで作っています
9300系が運転台付近だけ白いのも、このためです。
そうする事によってデザインの自由度が増したり、
製造の簡便化がなされています。




ヨタ話はこれくらいにして、実車を見てみましょう。
前からの写真ですが、3000系と似たような雰囲気ですね。
派手な塗装が施されているため、ちょっと分かり難いですけど。




狭いので厳しいアングルになってしまいましたが、台車です。
ハッキリと住友のマークと、台車の名前が刻まれてますね。
という事は6300系も同じという事ですね。
秋に千代田工場の公開があったら、確認してみるのも良いかも。
普段は確認出来にくい場所ですからねぇ。




後ろに回って右側の銘板です。
形式や自重、定員や製造年の他に重要部検査のプレートが。
千工とは千代田工場の事ですね。
今でも泉北高速の車両の重要部検査は、千代田工場で行われています
当然、入出場時は普段の営業運転では走行しない、
高野線の中百舌鳥以南を走る事になります。

大阪府都市開発株式会社は泉北高速の、第三セクター時代の正式名称。
本来はトラックターミナルの運営など、物流の会社でした。
泉北高速の建設時に南海に建設を断られたので、
「物を運ぶんだから人を運んでもいいだろう」
となって泉北高速の引き受け先にしたようです。
今は南海の子会社ですので、泉北高速鉄道株式会社が正式名称です。




左側にある、東急車両の銘板。
今の総合車両製作所横浜事業所(本社)ですね。
前述通り泉北高速は第三セクターだったので、
100系の制作にあたり入札を行う必要性があった
ので、
100系はセミステンレス車になりました。
でも結局、落札したのは東急車両
う~む、大人の事情ですねw





さて内部を見学と行きたいところですが、

新型コロナウイルスの感染予防対策のため、
車内は立ち入り禁止になってます(8/2現在)。

残念ですが仕方ないですね。
公開再開の日を待つことにしましょう。
ちなみに車内は毎度おなじみ赤いモケットのシート
天井には100系のみに採用されたスィープファンがありました。




ドアの窓には、懐かしい指詰め事故防止用のステッカーが残っています。
このステッカーは鉄道各社ごとに個性があって、結構面白いんですよね。
乗車の際に、観察してみるのをオススメします。




そんな訳で内部の見学はかなわなかったものの、
探検隊は無事100系に再会出来ました。

ただ途中の山越えはオッサンには厳しかったよなぁ、
探検隊はそう思いながらちょっとバンから去っていくのでした。

「泉北高速の電車の長老は健在だった!」

おわり。




追伸

遠回りになるのですが泉ヶ丘駅から茶山台1丁交差点を左折し、
大蓮公園前交差点を左折すればちょっとバンに辿り着くことは可能
です。
ちょうどビッグバンを巻き込むように移動するカタチですね。
こちらのルートの方が坂の角度が緩やかで階段もないため、
体力に自信がない方にはオススメです。











































































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