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飛び出せ!佐久間探検隊 


第三十一回 生駒山の地に古のトンネルと幻の駅を見た!


ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
大阪と奈良を結ぶ近鉄奈良線は、
間にある生駒山を長大なトンネルで貫通している。
現在のトンネルである新生駒トンネルは、
1963年7月23日に供用を開始した。
新生駒トンネルという事は、旧生駒トンネルもある
現在近鉄けいはんな線が通ってるトンネルの一部、
東側395メートルが再利用されている旧生駒トンネルである
残りの区間は断層破砕帯に平行してるので、再利用されなかった。
つまり大阪側には今は使われていない旧生駒トンネルが、
眠っていることになる。
さらに旧生駒トンネルの大阪側近くには、駅が存在していた。
駅の名前は孔舎衛坂駅。
1914年7月17日に日下駅として開業し、
鷲尾駅を経て1940年6月に孔舎衛坂駅となった。
前述の新生駒トンネル供用開始時の線路付け替えにより、
1964年7月23日に役目を終えて廃止となっている。
その孔舎衛坂駅の跡と旧生駒トンネルだが、現在も残っている。
探検隊はその目で確認すべく、近鉄奈良線石切駅の北口に降り立った。




改札を出て西を向く。
石切というと住宅街のイメージだが、ここはちょっと寂しい感じ。




駅を出て右折する。
駅前メインストリートだけど、片側一車線ぐらいの道幅。




緩やかな坂を下る。
道の右手にあるのは、駅前の自転車駐輪場




坂はなだらかになり、鄙びた感じの道に。
中国地方の山間部、と言っても通用しそうな。




そうこうするうち分かれ道がありますが、
ここはクランクを描くように直進。




更に歩くと、新しい建売住宅が増えてくる。
左に見えるのは、こども園




なだらかな直線道路と、急な坂道との別れ角に。
直進しても行けますが、遠回りになるので坂道の方へ右折




別れた先にも、比較的新しい住宅が。
坂の上まで立ち並んでいる。




やがて道は右カーブを描き、坂の角度は少し緩やかになる。
しかし絵に描いたような新興住宅街
ドラマの舞台になりそう。




カーブを曲がった先に、物々しい警備の設備が!




施設の入口は当然施錠されたフェンスで、

上には有刺鉄線も。




当然、内部は関係者以外立ち入り禁止。

監視カメラの警告看板も。




ここが何だかお分かりの方もいると思うが、
近鉄鷲尾開閉所なのである。
開閉所とは変圧器がなく、主に母線と開閉装置だけがある設備
早い話、大きなスイッチなのである。
保安上重大な設備であるし、高圧電流が流れてる危険な設備なので、
関係者以外立ち入り禁止になっている。




が、変電所のフェンスから中を覗くと、
普通の変電所には無い設備のホーム状になった物体が。




フェンスの開いた場所から覗き込んでみると、
それがかつて駅のホームであった場所であることがハッキリと分かる。
そう、ここが孔舎衛坂駅のホーム跡なのである。




周囲を見回してみると、開閉所に沿って小道が。
探検隊は歩みを進めた。




小道は細いが、通行は禁止されていないようだ。
当然右側のフェンスの内部は、立ち入り禁止である。




諄いようだがフェンスの内部は立入禁止。
このように至る所に注意を促す看板が。




そんな中、なんとか隙間を見つけて撮影。
開閉所の建物は年季の入った物なので、生駒トンネル開通時の物か。
なんでこんな場所に開閉所がある理由だが、以下のようである。
生駒トンネルでは断面が小さかったので、
架線に電力を供給するき電線を線路上に設ける事が出来なかった。
そこでき電線は生駒山の山越えをしていたのである。
その為ここに開閉所を設け、有事の際にき電線の電力を遮断していた
これが理由である。




孔舎衛坂駅の上りホーム跡地。
新生駒トンネルによって奈良線の車両限界が拡大される前の設備なので、
15メートル車2連か3連が停まっていたようです。
奈良線近代化の第一弾である800系は19メートル車で4両編成の為、
特急として通過してました。




上りホームの奥には神社が。
この神社の名前は白龍神社。
布施の駅前にも白龍大神があるので、何か関係があるのかも。
この場所に神社があるのは、
おそらく生駒トンネル建設時の犠牲者の鎮魂の為であろう。
1913年1月26日に発生した落盤事故では、
19名の方が亡くなっている。

また開通後の1946年4月16日にはトンネル内での車両火災により23名
1948年3月31日の暴走事故では49名の犠牲者が出ている。




上下ホームの間に今も見える、生駒トンネルの入り口。
生駒トンネルは先程述べた犠牲者だけでなく、
近鉄(当時は大阪電気軌道)の金銭的負担も大きかった。
実際、開通後には社員の給料支払いに困り、
生駒山の宝山寺へ賽銭を借りに行ったという話も。
また建設した大林組も、建設費支払いの遅延により経営危機になっていた。




下りホーム跡地。
現役時代は駅舎が下りホーム側にあり、
上りホームとは構内踏切で結ばれていた。
近鉄の駅ではお馴染みの構造である。




続いていた細い道もここで終了。
奥側の道への階段があるので、探検隊は階段を下りた。




下りた先には急な坂道が。
近くにはかつて日下遊園地と呼ばれる遊園地があったそう。




坂道を少し上って、駅の跡地の全景を見てみる。
こうやって見ると駅の大阪側は急カーブであり、
奈良線車両の大型化への障害となっていたのは明らか。
孔舎衛坂駅がその使命を終えたのも、歴史の必然だったろう。
最後にもう一度書くが

フェンス内は関係者以外立ち入り禁止

現地を訪問する際は、厳守するようお願いする次第である。

「生駒山の地に古のトンネルと幻の駅を見た!」

おわり。











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