見出し画像

飛び出せ!佐久間探検隊


第三十四回 行基の生家、家原寺を探検!


ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。

行基

奈良時代の僧侶であり、優れた土木集団の長でもあった人物。
以前探検隊が訪れた土塔の建設や狭山池の改修、
完成前に亡くなったが東大寺盧舎那仏建立などの業績がある。
そんな行基であるが、出身地は堺なのである。
現在は生家が家原寺となっている
探検隊はその家原寺を探検すべく、阪和線津久野駅の駅前に降り立った。




左折して進みはじめる。
駅前であるが日中の人通りは電車の到着時のみ




小さな横断歩道を渡る。
狭い道だけど意外と車両の通行量は多い
探検隊も安全に注意して横断した。




渡った先は団地の一階にある商店街。
バスターミナルも兼ねている。




商店街兼バスターミナルを抜け、歩道を歩きはじめる。
取材日は天気も良く、人通りはそこそこだった。




最初の信号。
とは言うものの、車道の通行量はそう多くない。
しかし信号はちゃんと守りましょう。




しばらく歩くと、マンションが立ち並ぶ。
道路の反対側はコンビニや葬儀場と、バラエティに富んでいる。




そうこうするうち、大きな交差点に。
横切ってる道路は、府道28号大阪高石線
とは言うものの、地元ではときはま線の別名の方が親しまれている。




信号を渡った先にあるのは、親子の象のブロンズ像。
「どろんこ坊や」という名のモニュメントだそうな。
後方の建物が堺市立総合医療センターなので、
設置されているのであろう。
現在の地に移転・改称して8年近くになるが、
いまだに旧称の市立堺病院と呼ぶ人は年配の人を中心に多い。




交差点を過ぎ、道は緩やかな上り坂に。
左隣にはしばらく総合医療センターの建物が。




やがてバス停が。
屋根付きの立派な造りである。




バス停の名は堺市立総合医療センター前。
津久野駅前行きのバスは反対車線に停車せず、
一つ先の交差点を曲がって病院の正面玄関へ。




ここがその交差点。
小さな交差点だけど、大きなバスが目の前を通過する。




次の交差点の手前では、歩道が広がって緑地が。
緑地の垣根には休憩できるように、ベンチになっているところもある。




ベンチに座って休憩してたら、何やら怪しい大きな扉が。




近くに記念碑と案内板が。
どうやらここは家原城の跡地であるそうな。
1566年2月、ここに立てこもっていた松永久秀配下の兵はこの城を出て、
畠山高政の軍勢と合流し上芝(現:上野芝)の地で三好義継の軍勢と戦い、
岸和田城へと敗走したとか。




案内板のアップ。
現在では城の面影はほとんど残ってない。
住宅街にしては起伏が激しい事が、城であった事の証明となっている。




城跡の交差点を左折し、歩きはじめる。
前の店は自転車店、道路の対岸には大池と呼ばれる池が広がる。




大池には岸辺に体育館が。
周囲は公園として整備されている。




しばらく歩くと金魚と熱帯魚のお店が。
昔からあるお店で、隊長が小学生時代に家で飼ってた金魚は、
ここのお店で購入した金魚
であった。
もう40年以上前の話である。




店頭では1回50円と、格安の金魚すくいが。
値段もあってか、まるで昭和から時が止まっているようにも感じた。




お店の近くには、体育館への出入口が。




少し進むと、交差点が。
信号の左隣に見えるのは、葬儀屋さんの駐車場。




その駐車場の隣に、赤い「駐車場入口」と書かれた看板が。
ここが家原寺の駐車場への入口となる。




赤い看板の近くには、文殊前のバス停が。
バスの場合は先ほどの津久野駅前の3番乗り場から乗車し、
ここで降車する。
系統は212V系統、泉ヶ丘駅(北側)行きになる。
が、日中は約30分に一本なので、津久野駅からだったら歩いた方が早い。




看板の位置から見ると、大きな門が。
家原寺の大門である。




大門と言うと東大寺が思い浮かぶが、
こちらの大門にも金剛力士、仁王さんの像が収められている。
以前あった仁王像は明治の廃仏毀釈で売却されてしまい、
現在はアメリカはワシントンのフリーア美術館に所蔵されている。
ちなみに車で来た場合は、左隣を通るようになっている。




門の右手に鎮座する、阿形像。
口を「阿」と声を発するように開けているので、そう呼ばれている。




門の左手に鎮座する、吽形像。
口を「吽」と結んでいるので、そう呼ばれている。

ちなみに「阿」は呼気、「吽」は吸気という意味であり、
二者が息を合わせる事を「阿吽の呼吸」と言うのは、
ここが由来である。

また密教では「阿」が万物の根源を表し、
「吽」が一切が帰着する知徳を表すとされている。

これは梵語の最初が「阿」に始まり。「吽」を最後に終わるからである。




大門を潜ると、境内の風景が広がる。
建物の手前にはフェンスがあり、
そこから手前は有料の駐車場となっている。
駐車料金は1日1回500円。




フェンスの手前、板塀に設置された案内板。
家原寺の創建は704年。
行基が生家を寺に改めたのが始まりとされている。
鎌倉時代の僧侶である叡尊が1245年に再興したが、
兵火などで衰退した。
江戸時代には帰依した田安家から寺領が寄進されたが、
廃仏毀釈で荒廃した。
三重塔が1989年に再建された。
2018年に真言宗から独立し、現在は行基宗の本山となっている。




こちらの看板も、行基宗の本山である事を表してる。
開門時間以外はフェンスが閉められ、境内に入る事は出来ない。




またこの看板にあるように、境内にはトイレがない。
参拝前に済ましておこう。




参拝入口にある小坊主さんの看板。
絵柄自体は可愛らしいのだが汚れているので、
不気味さを醸し出している。
綺麗にすれば印象はかなり良くなると思うのだが。




境内の風景。
本堂へは手前の放生池に掛かっている橋を渡る事となる。
放生池が三途の川で、
渡った先の本堂は極楽浄土と言うことだろうか。




橋を渡り、本堂へと向かう。
幸いにして

「このはしわたるべからず」

と書かれた看板はないようだ。




本堂に到着。
この本堂は1648年に再建されたもの。
5月の真昼間とあって、周囲は閑散としている。
家原寺は合格祈願で有名な寺なので、
受験シーズンには今日の風景が嘘のような大混雑となる。




合格祈願の方法はハンカチを寺で購入し、
自分の名前や志願校の名前を記入して本堂に押しピンで張り付ける

というもの。
合格御礼だが下の写真のような感じとなる。
下部には個人名があったので写さなかったが。
受験シーズンとなると一部の張り出し禁止区域を除き、
本堂が白いハンカチで覆われてしまう。

だからこの寺は「ハンカチ寺」とも呼ばれている
昔はハンカチではなく本堂に直接書き込んでいたそうだが、
管理の関係で今の形となったようだ。




最近は受験だけでなく、昇進試験の祈願もあるようで。
そこそこの枚数のハンカチが。昇進試験のものだった。




先に述べた通り張り出し禁止と明記されている場所以外は自由なので、
本堂の西側にもこうして何枚かのハンカチが張り出されている。
くどいようだが5月でこれなのである。
受験シーズン真っ盛りの2月となると、
まるで本堂が白い布で覆われているのかと思うほど、
数多くのハンカチが本堂に張り出されている。




家原寺のもう一つの名物が、大とんど
正月のしめ縄や古くなったお守り・お札、
書初めの書などを巨大な炎で炊き上げ、
1年間の家内安全と無病息災を祈願するもの。
毎年1月の最終日曜日に行われている。




境内には本堂だけでなく、様々な仏様が祭られている。
こちらはぼけ除け観音像。




探検隊も観音様に手を合わせた。




こちらは地蔵堂。
納められているのは、水かけ地蔵




本堂から西の奥には、「行基菩薩誕生塚」の碑が。
どうやらここが行基誕生の地であるようだ。




塚の上にあるのは、行基菩薩御影堂。
中に行基の像が安置されている。
行基は668年生まれ。
682年、15歳で出家して法行と称した。

691年に24歳で受戒し、薬師寺などで法相宗を主に学び、
行基と名を改めた。
行基の師であった道昭は唐で玄奘の教えを受けた人物であり、
共に土木事業を行って影響を与えたとされている。
704年、生家を家原寺に改め、大和国の佐紀堂で生活した。
行基は知識結とも呼ばれる僧俗混合の宗教集団を形成し、
各地での土木事業を行った。

朝廷は最初民衆を惑わしていると弾圧した。
が行基の集団が大きくなり、事業の成果を出し、
反朝廷的な集団ではないと明らかになってからは力を利用した。
738年には朝廷より「行基大徳」の諡号が授けられた。
740年に天武天皇より東大寺盧舎那仏建立の協力を依頼され、
743年に造営のための勧進に起用された。
745年に朝廷より「大僧正」の位を日本で最初に贈られた。
その後も建立に尽力するが、749年に81歳で入滅した。
入滅後に朝廷から菩薩の諡号を授けられ、行基菩薩となった。




こちらの建物は、薬師堂。
本尊として薬師如来像が納められているが、非公開となっている。




薬師堂から上った先にあるのが、三重塔。
前述通り1989年に再建されたもの。
塔の周りには様々仏像が。




放生池の西から見た風景。
受験シーズンから外れているせいか境内は落ち着いた雰囲気で、
時間がゆっくり流れているように感じた。




こうして探検隊は家原寺の探検を終えた。
すぐに飽きが来てしまうかと思ったが、
様々な仏像やお堂があってかなり長い時間楽しめた。
特に境内をゆったり流れる時間の雰囲気が良かった。
正直、また来たくなった。
受験シーズンの期間以外に。

「行基の生家、家原寺を探検!」

おわり。











































































































































































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?