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飛び出せ!佐久間探検隊


第二十七回 ROAD TO SHIGISAN(後編)


ドモ。佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
今回は前回の続きから。
近くにあった展望台などで時間を潰すと、次便のバスがやって来ました。
今度こそバスに乗車します。

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バスは途中、高安山霊園を経由します。
お墓参りの便を図ってるのでしょうね。

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発車時刻になったので、バスは出発します。
信貴生駒スカイラインのうち、ここ周辺は山上鉄道線の廃線跡になります。

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元鉄道の廃線跡なので、カーブは心なしか緩め。
ただ、勾配自体はそこそこ急な感じです。

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信貴スカイラインの交通量は、それほど多くありません。
ドライブだったら楽しいだろうなぁ

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これでもか、とばかりに下り坂が続きます。
これだけ続けば、電車が谷底に落ちても仕方ないですねぇ。

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そうこうするうち、唯一のトンネルを通過します。
唯一のトンネルももちろん、下り坂。

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ほどなくして、信貴山門のバス停に到着。
ここは朝護孫子寺の最寄り停留所になります。
高安山駅からのバスはここで終点。
王寺駅行きなどのバスに乗り換えます。
ちなみに高安山駅からのバスは近鉄バスでしたが、
これから乗るバスは奈良交通
奈良県にやって来たことを実感します。

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奈良交通のバスに乗って、やって来たのは信貴山停留所。
可愛らしい待合室がお出迎えですが、
この建物は東信貴鋼索線の信貴山駅の駅舎でした。
東信貴鋼索線はここ信貴山駅とふもとの信貴山下駅を結ぶ、
全長1.7キロの路線でした。
開業したのは1922年5月16日
信貴生駒電気鉄道の手によるものでした。
1964年10月1日には合併により近鉄東信貴鋼索線となり、
奈良側からの信貴山への足として親しまれました。
しかし乗客減少や道路拡張の障害になる事から、
1983年9月1日に惜しまれつつ廃止されました。

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待合室の中に飾られている、近鉄沿線の案内図。
東信貴鋼索線が現役時代の物でしょうね。
今は無き近鉄あやめ池遊園地など、懐かしい観光地も描かれています

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旧ホーム側から見た、待合室の内部。
時計は駅舎だった時代からの物でしょうねぇ。
窓口や事務室が封鎖された跡が痛々しい。

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旧ホーム側から駐車場横の道を下って行きます。
おそらく軌道跡を歩いてることになります。

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道はだんだん細くなり、人がやっと通れる程の狭さに。
勾配もだんだん急になって行きます。

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駐車場との境界に沿って曲がると、ハイキング道入口を示す看板が。
東生駒鋼索線の軌道敷の一部は、現在ハイキング道となっています。

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看板のすぐ隣に、ハイキング道の入口が。
写真では分かりにくいのですが、そこそこの急坂になってます。
ケーブルカーの軌道敷の跡地だから、当たり前なのですが。

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しばらく下ると、こんな注意看板が。
落石、倒木、イノシシ、マムシ、スズメバチ、更にはカエンタケまで。

これでクマがあったら役満ですね。

しかし道の脇は山林で逃げ場がないから、
いざという時にでも上か下に逃げるしか方法がないと思うけど。

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さっきの看板も注意してたけど、
勾配が急なので思いの外滑りやすい
転倒したら映画「レイダース」に出てきた遺跡のトラップの石みたいに、
ゴロゴロと転がり続けるハメになるだろう。

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ハイキング道の外は基本的に山林なんだけど、
たまに景色が見える空間が。
覗いて見ると今自分がいる場所が、結構な高さであると分かる。

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東信貴鋼索線が廃線になってから約29年。
一応整備されてるとはいえ、軌道敷には結構な緑が生い茂っている。
植物の持つ生命力の強さを感じますね。

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今回自分はハイキング道を下ってますが、当然上る人もいる訳でして。
そういう人はかなりの急坂を上る羽目になります。
そんな人に向けてか、ハイキング道の脇には休憩用の椅子が。
優しい心遣いですね。

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坂は急になり、緑は生い茂り、
まるで探検隊の良く手を阻むように立ちふさがる。
逃げ出したくなるけど、逃げる場所もない。
少しずつでも前進あるのみなのです。

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ハイキング道の脇に、古びた木柱が。
おそらく東信貴鋼索線現役時の架線柱が、信号線柱なのであろう。
無役となって三十年近くなるのに、圧倒的な存在感を放っている。

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こちらはおそらく切り通しであった跡だろう。
東信貴鋼索線を建設した方々の苦労が偲ばれる。

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やがて勾配は平坦な道となり、行く先には階段が。
どうやらハイキング道に別れを告げる時が近づいたようである。

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階段の手前にあった、ハイキング道の案内看板。
約700メートルとの事だが、どうもそれ以上の長さに感じる。

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階段を上がろうとすると、まだ道自体は続いていることを知る。
しかしコーンは通行止めを意味してるだろうし、
気にはなるがそのまま階段を上る。

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そんなに長さはないのだが、今までで疲労した足に凸凹が厳しい。
欲を言えば、コンクリートで整備して欲しかった。

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ハイキング道に別れを告げ、階段を上がった先は雑木林。
すぐ前に見える道路は、信貴山停留所に向かう道路である。

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道路への入口に到達する。
小さく可愛らしいハイキング道の看板だが、
実際は急勾配なので初めての人は面食らうだろう。

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道路に出ると、学校が。
道路からハイキング道に来る場合、この学校が目印になる。

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道路上の看板。
東信貴鋼索線は信貴山下駅が起点だったので、この先左折する事になる。

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道路に出てすぐにある交差点。
東信貴鋼索線は左側へ行った先の信貴山下駅まで通っていたそう。
探検隊も線路跡へ向かう。

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横断歩道を渡る。
写真では写ってないがちゃんと信号があるので、
安心して横断出来る。

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2本目の横断歩道を渡る。
写真では写ってないが、クルマの交通量はそこそこある。

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そうして坂道を歩きだす。
ハイキング道ほどではないが、ここもかなりの急勾配
ただ舗装されているので、滑らない分こちらの方がマシ。

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少し歩くとバス停が。
万葉荘園バス停。
シンプルな昔懐かしい形。
某特撮番組に「田舎のバス停に憧れる都会のバス停」が出てたけど、
ここは彼の理想に近いだろうなぁ。

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急な下り坂なので、麓はかなり下。
麓が見えた時に撮影してみたけど、結構な山。
上りだったら、しんどかっただろうなぁ。

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しばらく歩くと、道路が不自然なカタチに。
中央の緑地を挟んで、細い道とセンターライン有りの道に。
センターライン有りの道が西信貴鋼索線の軌道敷で、
細い道が本来の道になるそう。
つまりここから先もハイキング道同様、西信貴鋼索線の廃線跡になる。

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道路の境界の緑地。
しかし安全対策が心もとない。
高速道路の分岐点でも、クルマが突っ込む事故が結構あるのに。
なのに高速道路の分岐点と比べてかなり地味。
大丈夫なのかなぁ。

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そして信貴ケ丘バス停に到着。
しかしバス停前だけど、店舗の類は何もない。
住宅街のど真ん中。

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相変わらず信貴山下駅へは結構な下り坂。
デブだから歩くより転がった方が速いかも、なんて考えが頭を過る。

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そういう事を考えてると、白い建物が麓に見えてきた。
信貴山下駅の駅舎だ。
長かった下り坂も、いよいよラストスパート。

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やっとこさ信貴山下駅の駅前へ。
左が生駒駅方面、右が王寺駅方面になる。
駅舎の前には小さめの駅前広場。
信貴山下駅が開業したのは、1922年5月16日。
信貴生駒電気鉄道の手によるものだった。
当時は山下駅という名で、終着駅だった。
鋼索線も同時開業。
1926年10月21日に元山下駅まで延伸されたので、
中間駅となった。
駅名が信貴山口駅を経て信貴山下駅になったのは、1956年9月10日。
その後1964年10月1日に近鉄生駒線の駅となった。

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駅前に鎮座してるのは、コ9形9号
東信貴鋼索線で廃線まで使われてた車両。
全長10.4メートル、全幅2.4メートルで定員116名。
1933年に藤永田造船所で作られた。
廃線後は三郷町立三郷北小学校の中庭で保存されてましたが、
2020年3月にこちらへ移設された。

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駅前ロータリーには、もう一つ名物が。
一見普通の水車なのですが実はオルゴール水車で、
8~21時の正時に動いて童謡「きらきらぼし」のメロディーが流れます。
なぜ「きらきらぼし」なのかという理由は、
作詞したのが地元の三郷町在住の児童文学家、武鹿悦子さんだから。

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オルゴール水車の案内看板。
設置されたのは2016年
その年の12月20日に武鹿さんの米寿のお祝いとして、
お披露目会が行われました。

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別アングルからのコ9形9号。
西信貴鋼索線の車両同様、車体が斜面用になってます。
正面窓の枚数は違いますが、その上に明かり窓があるのは似てますね。

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コ9形9号と東信貴鋼索線の説明看板。
この地図だと廃線跡が分かりやすいですね。

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車内公開についての説明板。
おにょれコロナめ。
今は規制が無いから再開して欲しいけど、患者数は増えてるからなぁ。

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場所は変わって信貴山下駅の2番線ホーム
東信貴鋼索線のもう1両の車両だった、
コ9形10号の車輪などが展示されている

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東信貴鋼索線についての説明看板。
見物している人もなく、ひっそりとしている。

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展示されているさよなら運転の時の写真。
色褪せたままなのは残念。
新しいプリントに換えればいいのに。

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併せて展示されている、マスコンのパネル。
右のスイッチに「CAR9⇔CAR10」の表示があるので、
おそらくコ9形10号についてた部品だと思われる。

これで今回の探検は終了だけど、
「行ってみようかなぁ」と思った人へひとこと。

歩きやすい服装で、虫対策も忘れずに

ホント、ケーブルカーの線路敷だっただけあって、
道はかなりの急勾配
しかもハイキング道には、かなり滑りやすい場所も
スニーカーでも行けなくはないと思いますが、
出来ればトレッキングシューズを履いた方が宜しいかと。
それと、虫除けスプレーは必需品
携帯の蚊取り線香でも良いのですが。
とにかくハイキング道は虫が多い
撮影時に蚊に血を吸われかける事は、日常茶飯事。
何回も虫除けスプレーを塗りました。
でも良い場所でしたよ。
ハイキングがてら、行ってみるのも良いかも知れません。

「ROAD TO SHIGISAN(後編)」

おわり。

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