飛び出せ!佐久間探検隊
第十四回 南海和歌山港線にかつてあった三つの中間駅は今!
ドモ 佐久間探検隊の隊長、佐久間ディックです。
ここは南海和歌山港線の和歌山港駅。
南海フェリーのターミナルである和歌山港の最寄り駅。
和歌山の中心にある和歌山市駅は、隣の駅である。
今は、であるが。
かつては三つの中間駅があった。
が、2005年11月27日に廃止されてしまったのだ。
今年で廃止から16年。
現状はどうなっているのだろうか?
探検隊はふと疑問に思い、和歌山港駅へ降り立った。
和歌山港線といえば1日2往復しか列車が来ない終着駅、
水軒駅を思い浮かべる人も多いだろう。
ここ和歌山港駅にも面影は残っていて、
水軒方面へ通じていた1番ホームの線路は少し残っている。
しかし和歌山港駅の凋落は著しい。
平日の昼間とはいえ、フェリーから乗り込む乗客は殆どいない。
まるで空気を運んでいるかのよう。
和歌山市駅からはそこそこ乗客がいるとは思うが。
ホームから下った改札内にある案内板。
現在の時刻はまだ10時半前。
約3時間の間、列車が来ないというのだ。
探検隊は唖然とした。
駅前に出てみた。
左へ行くと水軒駅の跡地。
探検隊は右へ進路を取った。
右へ向くと跨道橋が目に入る。
フェリーターミナルと桟橋を結ぶ跨道橋だ。
時期によっては今でもかなりの人が行き来すると思うが、
この日は渡る人影はなかった。
跨道橋を潜った傍にある、フェリーターミナル。
四国の徳島への玄関口なんだけど、
徳島側が市街地から離れている事がネックのようだ。
連絡バスが深夜便でも対応している、神戸-高松航路の方が有利だと思う。
大きなカーブを描く道を少し歩くと、和歌山港線がオーバークロスする。
非常にダイナミックな風景である。
列車が走る風景は絵になるだろう。
が、念の為言っておくが、
2時間以上待たないと次の列車は来ない
のである。
オーバークロスを過ぎて少し歩くと、築地川を渡る港橋の交差点。
ここで和歌山港線は道路と別れる。
と言ってもほぼ並行するのだが。
道路を東へ進んで行く。
沿線で目立つのは、ボートの取扱店と自動車ディーラー。
ボートの取扱店は港が近いせいだろうが、
何故に自動車ディーラーが林立しているのだろう?
大きな道沿いのわりに広い土地が確保出来るからなのか?
そう思いながら歩くと、築港五丁目の交差点。
ここで探検隊は左折した。
左折してすぐにあるのが、和歌山港線の踏切。
和歌山市12号踏切である。
かつては築地橋5号踏切だったが、中間駅廃止後に改名されたようである。
そして踏切の傍にあったのが築港町駅であった。
ホームはちょうど砂利がある位置辺りにあったようである。
1956年5月6日に開業したのだが、
当時はもう少し西に在って和歌山港駅だった。
1971年3月6日にフェリーターミナル移設に伴い、
現在の和歌山港駅まで延伸されたのに伴って築港町駅へと改名。
この地に移設された。
乗降人員減少に伴い、2005年11月27日に廃止となった。
2004年度の一日平均乗降人員は38人であった。
踏切を起点にして和歌山港線の南を通る道は、
駅を避けるようにして東へ続いている。
線路沿いの道をひたすら歩く。
しかしこの線路に毎日8両編成の特急が走ってるとは、
俄かには信じがたい。
耕作物に対する南海電鉄の看板。
自分が見た限りでは花はそこそこありました。
でも野菜はなかったみたいですね。
のんびりした空気が流れる。
たまに出会う現地の人も、お年寄りばかり。
他の南海の支線とは違う空気が、和歌山港線には流れてる。
そうこうするうち、少し大きめの踏切に到着。
ここは和歌山市8号踏切。
かつては築地橋1号踏切と呼ばれていた。
そして踏切の傍には、築地橋駅の跡地が。
ホームは信号機の先辺りからの場所にあったようである。
開業は他の駅と同じく、1956年5月6日。
廃止となったのも他の駅と同じ、2005年11月27日であった。
2004年度の一日平均乗降人員は45人。
和歌山市8号踏切から、線路の北の道を歩く。
暫くしたら築地川に当たるので、右折して和歌山市7号踏切を渡る。
川沿いに暫く歩き、和歌山港からの県道16号線に再び合流する。
築地川を渡る。
県道とはいえ主要道路だから、交通量はかなり多い。
橋を渡り切ったら、小道を左折する。
ちょうど川沿いを歩くカタチになる。
川沿いの道は、大らかな雰囲気。
時間がゆっくり流れる。
探検隊はのんびりとした気分になった。
道をかなり進むと、川からは少し離れる。
T字路に差し掛かったので、右折する。
右折して目に入るのが、県道752号線の高架橋。
この先で紀ノ川を渡るのである。
探検隊は左折した。
その先に見えるのは、久保丁の交差点。
県道の高架はここで南からの高架と合流する。
探検隊も後をついて行くように左折した。
視界に入ったのは、和歌山市2号踏切。
昔は久保町1号踏切という名前だった。
その名前の通り、すぐ傍に久保町駅はあった。
現役時代は他の駅同様、ホームだけの簡素な造りだったが、
県道の高架が雨よけになるせいか、ホームには屋根が全く無かった。
駅は他の駅同様、1956年5月6日に開業し、2005年11月27日に廃止された。
2004年度の一日平均乗降人員は、82人。
ただこの久保町駅跡が他の駅とは違う点が、一点ある。
あまり知られていないのだが、
南海和歌山港線はここを境に線路や施設の所有者、
第三種鉄道事業者が変わる。
和歌山市駅からここまでは南海電鉄、
ここから先の和歌山港駅までは和歌山県なのである。
南海電鉄が敷設免許は持っていたが、
和歌山県が代行して建設した為である。
だからここの正式名は、県社分界点という名前。
久保町駅跡に別れを告げ、探検隊は和歌山市駅まで戻ってきた。
今回の探検で感じたのは、和歌山港や和歌山港線の凋落ぶり。
もう南海フェリー連絡しか役目がなく、その役目にも影が差している。
以前のように賑わう事は、
余程の事がない限り現状では有り得ないだろう。
滅びゆく白亜紀末期の恐竜みたいだ。
どこからか「荒城の月」が聴こえるような気がする。
探検隊はそんな思いを胸に秘め、
和歌山市駅へと進んで行ったのであった。
「南海和歌山港線にかつてあった三つの中間駅は今!」
おわり。
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