思想デザイン

思想をデザインする。

人はそれぞれ違う価値観を持ち、違う感性を持っている。これまでの成長過程や、日常生活、学校や職場の外部環境によって、人それぞれの人格、思想は形成され、変化していく。これらを日常的に、そのときどきの形を正しく認識できる人は恐らく、ほとんどいないだろう。人格や思想は、目に見えず、耳で聴こえず、手で触れられず、味もわからない。故に人間はこの形を正しく認識することが容易ではない。だが、日常生活のなかで、人に触れ、問題に直面し、自身の感じ方や、考え方、その法則性を読み取ることで、ある程度ふわっと、こんな感じ、みたいなものは誰にでもあるはずである。

人格は生まれ持った要素なども大きく、変えることはできないが、思想はそうではない。考え方や感じ方はある意味で柔軟に変化させることができるものである。時として、変えてはならない、変えたくないと思い、変えないという選択肢も用意されている。人格と思想は、その線引きが難しくはあるが、正確には別階層の事象である。

人格は、生まれた頃から備わっており、幼少期〜小学生低学年ほどまでに形成され、それ以後基本構造が変わることがない。幼少にキレやすい人は死ぬまでキレやすく、楽観的な人は死ぬまで楽観的である。冒険が好きな人は冒険好きだし、リスクを避ける人はリスクを嫌う。幼少の頃を思い出し、恥ずかしいことも嬉しいこともひっくるめて全てあなたの人格である。

人は、この人格の形をベースとして生きているが、他者と触れ合い、お金を稼ぎ、人間社会に順応する上で、そのままの形で受け入れられることは、極々稀である。そのため、人は自身の人格の凹凸を感じとり、意識的に調整幅を設ける必要がある。それが思想である。キレやすい人格の人はキレにくくするために、受け取り方や認識を、意識的に変えることで、キレてしまう事象の発生をある程度抑えられる。思想を用いることで元来の人格の反応を和らげたり強めたりできる、といった具合である。道徳や宗教、親や学校の教育、自己啓発本や哲学書、偉人伝、異文化、自分自身の経験則などあらゆる知識や情報が、思想の材料となる。自身の人格のままでは生きていけない場面に遭遇した時、より生きやすい形に変化するために、それらの材料を用いて外界の枠組みにはまるように自らの形を調整するのである。

ここで、蛇足を2つ述べる。

球体をイメージして欲しい。その球体が凹凸を持ち、ウニのように尖っていたり凹んでいたりするとする。また、それは石のように硬い。その硬い物体を何か枠組みに嵌めようとしたとて、時に、尖っている部分で刺してしまったり、凹んでしまってうまく合わなかったりする。その表面にスライムのようなゲル状の層を纏っているイメージである。その層はとても柔らかく、だがしかし時に石のように硬くもなるとする。石のように硬い歪な球体が人格であり、ゲル状の層が思想である。

次に2つ目。仕事などの社会生活では、その上にさらに、スキルやペルソナなど、全く別の階層が存在する。スキルはその人ができること、成果を約束出来ることである。能力ともいう。社会から求められるのは役割なので、その役割を果たす上で非常に重要な層である。人格と思想だけでは、人は役割に順応することはできない。ペルソナはそのもっと外装。最も外にある、見せかけ、ハリボテの仮面である。仮面を作ることが上手いなと思う人が、あなたの周囲にもいたりしないだろうか。人と円滑なコミュニケーションを取る上で、自身のコアを守る上で非常に重要な役割を果たしている。これらの層が組み合わさり、社会に適合する、役割に合う人物へと形作っていく。
人格を3と固定したときに僕の思想とスキルとペルソナの割合は人格:思想:スキル:ペルソナ=3:5:1:1くらいではないだろうかwww
あなた自身はどうだろうか?

ここまで記述した内容は、思想をデザインすることを述べる上で基本となる考え方である。あくまで考え方なので、納得できない人もいるだろうが。

思想をデザインするというのは、つまり、自身の人格の形を知り、持っているスキルを確認し、外界から求められる役割の形を捉え、その形にはまれるように、思想の側をつくり上げることにある。自分に求められる役割を理解し、それに合うよう思想をデザインし形作る。それにより、社会から求められる枠組みに合わせて生きる苦しみを多少なりとも、緩和することができるかもよ、というお話である。社長の器になりたいが、人格だけではどうしようもないと思うなら、思想で調整すればいい。今の仕事に、順応できないと思うなら自分の凹みを思想で補おう。人間関係で困っているなら、そのトゲを丸く包もう。材料はあなたの周りにいくらでも転がっている。自分が生きやすくなるために、自分の形を変化させることを恐れないで作り上げることが重要である。

思想デザインについて、なんとなくでもわかってもらえただろうか。わからなかった人にはわかりやすく伝えられず申し訳ない。わかったよって人に向けて一つ伝えておくことがある。
たしかに、思想で調整幅を持つことは有用であると思ってもらえたなら嬉しいのだが、思想デザインは万能ではない。外界の形に対して自身の人格が、大きく飛び出ている場合である。その場合、石のように硬い人格をヤスリで削り取り切らなければならなくなり、思想での調整は不可であるからだ。よく磨耗するというが、非常に的を得ていると思う。人格がその役割に対して大きく飛び出ている場合において、人格を削ってまで、順応しようとすることは非常に非衛生であり、鬱になるのでご注意を。潔くその形に順応することを諦め別の道を模索することをお勧めする。

恐らく多くの人の人格は丸みを帯びた形をしているので、問題ないと思うが、時々、自分で気づかず、しんどそうな人を稀に見るので、ちょっと振り返って見てほしい。自分の悩みや必要のない苦労を緩和できたなら幸いである。

氷山モデルと言わないで😂
ありがとうございましたー。

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