欲しいものを手に入れるために、お金を稼ぐは正しいか

仕事への行きの電車が、1時間20分くらいかかって暇だから、今朝考えたことをつらつらと述べます。

人は誰しも欲望を持っていて、それ自体は生きる上でとても重要なことだと思います。
欲望とうまく付き合いながら、自分を満たして生きていくことが生きる上では重要です。

欲望を満たそうと思ったときに、現代社会で必要になるものはお金です。誰しもがお金がたくさんあるに越したことないと思っていることでしょう。お金を稼ぐために時間を費やし、お金を稼ぐために心を磨耗し、お金を稼ぐために多くのものを犠牲にします。現代人の多くが、お金があれば欲しいものが手に入ると勘違いしているように思います。

高度経済成長期後の日本では、ものを生産し、お金を稼ぐこと自体が幸せになる道と誰もが信じてやまなかったし、バブルが弾けて、平成、令和まで、この資本主義神話は日本に未だ根深く残っています。

僕は、資本主義を否定したいわけでも、お金を稼ぐことを否定したいわけでもなく、なんのためにお金を稼ぐのかを問題提起したいのです。

お金を稼ぐという言葉が一人歩きしているように思える社会的風潮が僕には馴染まないと幼少期から考えていました。お金を稼ぐということが本質ではない気がしていたからです。
経済活動のスタートは本来、物物交換でした。特に初めは食料、水です。より多くの人間が食料、水に困らぬように、物物交換することでみんなの手に届くように流通させる仕組みだったように思います。人間の生態系が発展するにつれて、それがより複雑になり、馬車や家畜、不動産、科学技術など、食料や水と同じ基準で判断できない産業が高度に発達し、それらの基準を合わせるために生まれた画期的なツールが貨幣です。つまりお金。

であれば、本来のお金はあくまでもツールであり、目的ではなかったはずです。お金を稼ぐという目的は、この本質を理解できない馬鹿からお金を巻き取るため(この手の本はよく売れるんでしょ?知らんけど)に生まれた経済を狂わす言葉に思えてなりません。物物交換の仲介者としてのお金を意識するのであれば、本質はお金を稼ぐではなく、欲しいものを手に入れるために欲しいものと限りなく等価と思われる価値を交換することにあると思います。
お金を稼ぐこと、手に入れることを目的に置いてしまうことで、人を騙してお金をせしめる奴、お金を盗んでしまう奴、お金を独占しようとする奴、お金を溜め込む奴が出てくるわけです。結果として、本来の経済活動の目的である物物交換は阻害され、行き届くはずだった食料や水が一部の人間に集中し、行き届かない人が生まれてくることになります。日本に住んでいる我々は、自分では認識してませんが、限りなく贅沢であると僕自身、自省します。

経済活動の本来の目的に立ち返り、より良い未来を志向するなら、お金を稼ぐことを目的に置くことは本当に正しいでしょうか?僕は、ここに疑問があります。お金を稼ぐことよりも、自分の欲望を満たすために、欲しいものを手に入れるために自分が提供できる価値がなんなのかを考える必要があるように思います。欲しいものと等価な価値を時間で支払うのか、お金で支払うのか、スキルで支払うのか、商品で支払うのか。もっと自分自身が周囲に提供できるものを自分なりに見積もった方がいいのではないでしょうか。会社に勤めて上司のご機嫌取りをして成果を出さずお金をもらっていいのでしょうか。会社に勤めて右も左も上も下もわからなくなるほど上司の命令だからと身を粉にしてくだらない仕事に時間を費やしてていいのでしょうか。
自分にできることには限界がありますが、自分のできることでしか、価値は提供できません。自分にできることを何より大切にして、それを商品価値として、物物交換することは、本当にできないのでしょうか?

何かを欲したとき、それに等価な価値を提供することが仕事です。お金を稼ぐことが仕事ではありません。仕える事と書いて仕事です。どうか、お金に仕えないでください。自分自身に仕えてください。

もっと欲望と上手に付き合い、お金との向き合い方を考え、自分にできることを精一杯やって、その対価としてのお金を受け取る。そんな生活をする中で、僕が提供した価値がどこかで誰かの水になる、どこかで誰かのごはんになる、そんな未来があったらいいなぁ。

1時間で書ききれた!!笑
あースッキリした笑笑
ご覧いただいた皆様、誠に有難うございます。
また読んでくださいね☺️☺️☺️

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