自分の人生を突き動かすもの

人を傷つけずにいられないお年頃。
30歳になってようやく、僕にも反抗期が到来している。

父親に勘当するよう要請し、母親を罵倒した。
弟を心なく傷つけまくり、しまいには自己満足に浸った。

家族がどう思ったか、僕は知らないし、興味もない。僕を嫌いに思ったかもしれないし、無視することにしたかもしれない、拒否している部分もあるかもしれない。想像すればキリがないが、僕の中で起こった変化は、限りなく逆だった。

不思議と家族が怖くなくなった。そして、家族から入ってくる音が気にならなくなった。僕にはずっと耳障りだった音たちが、不思議と心地いいものに変わる。イライラしかしなかった家族からの外音に、生まれて初めて温かみを感じるようになる。よく父さんは僕を勘当しなかったなと、驚きしかない。

こんなことがあるのかと、自分の変化に驚いた。
自分がこれまで溜めてきた、我慢してきた、理解しようと努めてきた、受け入れようと必死だったものをすべて跳ね返した結果、その努力は全て間違った努力であったと、そこではじめて気づいた。家族の中で、僕の立場がはっきりし、僕との向き合い方も彼らの中でわかったのだと思う。
こうして、僕の一世一代の大爆発反抗期の火蓋が切って落とされた。

家族という最小単位の社会の中で、僕は相手を傷つけることである種の温もりを得られることを覚えた。次にうるさい外音を心地よい音に変えるため、僕は身近な人から順々に反抗していくことにする。

手始めに親友たち。彼らは僕を信頼し、僕も彼らを信頼する。だからこそ彼らは僕のことを心配し、寄り添おうと試みる。だが、それらの全ては反抗期である僕には煩わしい外音以外の何でもない。

次に友人たち、彼らは悪気なく自身の優位性を押し付けてくる。困っていそうだから手を差し伸べようとする、差し伸べた手を取られることを当たり前だと思っている。幸せの共有化を図ってくる。そして、皆が心配した素振りを見せる。
気持ちが悪い、吐き気がする。

全員、一切の情報を遮断したい衝動に僕は勝てない。全てのSNSを外した。ラインは全員ブロックした。一切の連絡手段を立った。

恐らくこれまでの人生で築いた多くのつながりを
僕は一瞬で切り捨てた。
そして、とても静かになった。

外音がない世界はとても心地がいい。
寂しさと孤独はついて回るが、いらん荷物を全部おろした気になれる。
外音がないから、惑わされることも、傷つけられることも、傷つくこともない。
こんな静寂いつぶりだろうか。
この静寂が欲しくて、僕は僕に向けられた愛を全て切り落としたのである。

こんな衝動に身を任せた意思決定をすることを、
できてしまうことはある種の狂気である。
狂気を纏った衝動はときに人生を前に進める。
人のことから目を背け、耳を閉し、口を塞ぐ。
あ、口は塞いでないか笑笑
周りに邪魔されることなく、干渉されることもなく、自分から生まれる狂気の衝動を愛おしく感じ、その衝動に従って生きることを心地よく感じるのである。これまでいかに自分が人の気持ちや考え、趣味趣向に振り回されてきたかがわかる。それによりどれだけ自分で捻じ曲げてきたかがわかる。自分が本当にどうしたかったかもわかる。これらを自覚できることを嬉しくも楽しくも、悲しくも寂しくも感じるところである。

この衝動の先に何も生まれないことを、反抗期を経験した全ての人が知っている。
反抗期は不毛である。自己満足である。
だが経験した人は知っている。その先で初めて、本当の意味で感謝ができる、笑顔にしたいと思える、愛することができる。
それを知らないことが僕にとってよかった時代は終わりを告げ、反抗期を経験すべき段階が来た。
体裁でない、ハリボテでない、虚偽でない、真なる意味で、人生の幸福を信じられるようになるために取り組むべきときが、ようやっと来たのである。

これを好ましく思う。選択は間違っているだろうし、周りから見れば愚かで滑稽で稚拙だろう。
そうだろう。いいんだよ、それで。
あなたに僕の気持ちがわかってたまるかよ。
わかられてたまるかよ。
あなたは僕の人生を生きてない。あなたはあなたの人生生きてんだろう?
干渉すんじゃねぇ、とやかくいうんじゃねぇ、僕がよけりゃ、僕はそれでいいの、わかる?
わかんねぇだろう。

いいんだ、それで。
これを経て僕はようやく、あなたたちのいう通り、僕は僕の人生を生まれて初めて歩めるようになるのだから。あなたたちの抱く、僕への希望を叶える第一歩を踏むことになるのだから。

1人だろうが、孤独だろうが、そんなもの
ずっとそうだ今更だろう。
すべて捨ておけ、我が道進め。
救いようのない愚者であるなら、愚者らしく、
狂気の衝動に身を任せ、滅びるがいい。

それがお前の道だろう。

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