僕が進学先に東京都立大学大学院を選んだ深いワケ
はじめに
僕は2017年3月に首都大学東京(現在の東京都立大学。以下、都立大に統一)大学院を修了し、博士(経営学)の学位を取得しました。都立大には僕が修士課程に進学した当時から、経歴も業績も素晴らしい先生方が多数所属されており、その当時いらした先生の殆どが今も在籍されています。
他方で、僕が博士課程に進学した当時、経営学の領域で博士学位取得者を輩出した実績が殆どありませんでした(ファイナンス系などを除く)。事実、指導教員からはマネジメント系は僕が第1号だとも聞きました(厳密に正しいかどうかはちょっと置いておきます)。
それにもかかわらず、僕が都立大を選んだ理由は、①そもそも修士課程(ビジネススクール)修了後に博士課程に進むことを全く考慮に入れていなかった点、②その修士課程の入試問題でとんでもない縁を感じ、他の大学院を全て選択肢から除外した、という2つの事情が関連しあっています。
上記2つの理由のうち、①について、つまり、「なぜ修士課程を終えて大学から離れる予定だった人が、博士学位取得を経て大学教員になっているの?」という話は、何らかの機会にまとめることとし、このエントリでは、主に②について書いていこうと思います。実は、これまで誰にも話したことが無かった気がしています。
働きながらの大学進学と卒論
僕が国内ビジネススクールへの進学を視野に入れたのは、2009年から2010年にかけてのことでした。僕には、家庭の事情により現役での大学進学を断念し、自費で専門学校を卒業した後、2003年にIT系の企業で正社員としての勤務を開始し、ほぼ同時に大学での学びを開始したという背景があります。その後、大学在学中に(主にIT技術面を買われ)運良く大きな事業会社に転職し、信じられないくらい順調に大きな仕事を任せてもらえるようになりました。
しかし、その当時僕が担当していた事業(BtoB)は、差別化要素が無くなり価格競争に苦しんでいただけでなく、市場のローエンドから迫りくる破壊的イノベーションにも適応しなければならない状態でした。もっとも、当時の僕は、当時の状況を上述したような表現を用いて説明することなど到底できなかったと思います。
そんな僕に一番最初の転機が訪れたのが、確か2009年の夏だったと思います。卒業論文のテーマを探しに市ヶ谷駅前にある文教堂を訪れた際、何気なく手にとったのが『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』だったのです。有名すぎる本なので、今更この本の内容を紹介する必要はありませんよね。しかし、当時の僕にとっては衝撃すぎる内容でした。
それは、「企業が置かれている状況と、それが生じる原因をこれほどまでに明確に説明することが可能なんだ!」という純粋な驚きと喜びでした。20代の会社員かつ学部生レベルの知識であったのでご容赦ください^ ^;
国内ビジネススクールへの進学を志したきっかけ
その後、卒業論文では、クリステンセンが指摘するような現象(すなわちイノベーターのジレンマ)が生じる要因として組織文化に焦点を当てて「A」評価を頂いたと記憶しています。もっとも、当時の僕は、既に学部の卒論は当たり前に書き上げて、院試の準備のためにもっと知識を深めなきゃなんてことを考えていた気がします。
僕が具体的に進学を視野に入れたのは、働きながら経営学が勉強できて、実践にも役に立つ(かもしれない)という条件で、国内の夜間開講のビジネススクール(BS)でした。卒業論文を書きながら、2011年4月入学を目標として、様々な大学のカリキュラムや学費、立地などを考慮に入れながら選択肢に上がったのがWBSや都立大BSでした(KBSや一橋ICS(当時)は昼間開講だったので最初から選択肢にありませんでした)。
なかでも、都立大は、BSの授業が東京都庁で開講されており(その後2016年に大手町に移転)、品川区で勤務していた僕には大変アクセスしやすい立地であり、(うろ覚えですが)学費もWBSの半分以下であったため、大変好印象でした。
もっとも、最初から都立大BSが本命であったかというと必ずしもそうではありません。良いか悪いかはさておき、社会人がBSに進学するきっかけとして、「知識を身につけたい」、「思考力を高めたい」という動機だけでなく、「ネットワーキング」や「箔を付けたい」という動機があることは、必ずしも否定できないでしょう(あくまでも当時の僕の話です)。そうした観点に立った時、都立大は、どちらかというと「いぶし銀」のような存在であり、WBSのような知名度や派手さが欠けていたことは否めません。
とはいえ、最終的には都立大のBSに入学することを決めたわけですから、実際のところ都立大BSの入試で何が起こったのかについて話していくことにしましょう。
現在の都立大BSの入学試験問題
都立大のBSの入試問題は、①経営戦略論、②経営組織論、③マーケティング、④会計学、⑤データサイエンス、⑥数学、から1つを選択し、設問に対して回答するという記述式の試験です(僕の受験当時は⑤データサイエンスは無かったと思います)。過去問は全てインターネットで公開されているので、参考までに、2023年度入学生向けの経営組織論の過去問を引用します。
・・・いかがでしょうか?
念の為に補足しておきますが、これは修士課程の入試問題です。つまり、社会人とはいえ、学士のレベルに対して出題する問題です。しかも、筆記試験なので、持ち込みは不可です。正直なところ、上記の問題に対して何の資料も参照せずにしっかりと記述できるのは、出題範囲が研究テーマとドンピシャな博士後期課程の院生レベルではないでしょうか。。
恐らくですが、筆記試験のウェイトを下げて研究計画書のウェイトを上げているか、採点の基準を少し変えているのかもしれません。
2010年以前の都立大BSの入学試験問題
既に述べてきたように、都立大BSの入試問題は、けっして易しいとは言えないのですが、僕が受験した当時の入試問題には、ある「法則」がありました。それは、経営組織論の問題は必ず、都立大BSの中心的な立場を務められていた桑田耕太郎先生が執筆されたテキストである『組織論(桑田・田尾, 1998)』から出題されていたという点でした。
そのことに気がついて以来、僕は過去に入試問題が出題された章を消去し、まだ問題が出題されていない章を一生懸命読み込みました。誤解のないように言っておきますが、基礎知識を身につけるために他の本でも勉強しましたし『組織論』の他の章も読みました。しかし、まだ出題されていない章のどこかに、次の問題が潜んでいると思うと、どうしても未出題の章のトピックばかりが気になってしまっていたのも事実です。
かくして当時の僕は、『組織論』がボロボロになるほどページをめくり、線を引き、入試の日を迎えたのであります。
入試当日に起こったこと
入試当日は、筆記試験の前に志望する研究領域の先生と研究計画書についての面接を行いました。特に決定的な手応えは無かったような気がしていますが、比較的テンポよく、大きな地雷も踏まなかったようにも記憶しています。はっきり覚えていないのは、面接の後が筆記試験であったため、そのことで頭がいっぱいだったからだと思います。
そんなこんながあり、かくして筆記試験の時間を迎えたわけですが、試験監督の「はじめ」を合図に、ドキドキしながら問題用紙を裏返し、「さー、何章からの出題だ?」と意気込んでいた僕は、自分の目を疑いました。
「目を疑う」という表現は、比喩だとばかり思っていましたが、本当に目を疑いました。次に自分が緊張のあまり幻覚を見ていないかどうか、自分の意識を疑いました。
なぜならば、都立大BSが開講されてから一度も崩れたことのなかった、経営組織論の入試問題が『組織論』からの出題されるという法則が初めて崩れていたのです。その代わりに出題されたのは、僕が大学院進学を志したきっかけでもある、『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』からでした。
自分の目も意識も正常だと認識した後は、ひたすら解答用紙への記述を続けながら、こんなことを考えていました。
冒頭でも書いた通り、このエピソードは誰にも話したことがありませんでしたが、なぜ突然、『組織論』からの出題をやめ、『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』から入試問題を出題したのかについては、入学後に何人かの先生に聞いたことがあった気がしています。
しかしながら、明確な理由を教えてもらったことはありません(もちろん、はっきりとしつこく聞くことはできなかったという事情もあります)。
まとめ
上述してきたように、僕がビジネススクールの進学先に東京都立大学を選んだ背景には、学費や立地といったデモグラフィックな変数以上に、偶然では片付けにくい、神秘的な現象が関係していました。恐らくですが、WBSを選んでいたら、博士課程に進学することもなく、当然アカデミックキャリアに転身することもなかったことでしょう。
他方で、今日開示した僕の出自的に、最初からアカデミックキャリアを目指して東大や一橋に入るというパスも(能力もそうかもしれませんが、それ以前に経路依存的に)あり得なかったと思います。そうした意味でも、東京都立大学との出会いは僕にとって幸運であり、感謝でしかありません。
その後、博士課程に進むことになった経緯や恩師である指導教員の先生とのやり取りなど、このエントリでは書ききれませんので、おいおい開示していきたいと思います。
本エントリーや、今後のテーマについて、ぜひコメントのほど宜しくお願いします。
2023年4月16日
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