安井息軒《時務一隅》(六)前段a

25-01 商賈の權重く候得ば、自然奢侈の風起こり、諸色高直にして、諸民困窮の根元と相ひ成り候ふ。
 漢土三代の頃より、此を深く憂へ候ふと相ひ見え、《周禮》司市以下の諸職に、「政令を以て物をば靡するを禁じて市を均(なら)す」(以政令禁物靡而均市」、「賈民を以て偽を禁じて詐を除く」(以賈民禁偽而除詐)、並びに「亡き者は有らしめ、利する者は阜(ゆたか)ならしめ、害する者は亡からしめ、靡する者は微ならしむ」(亡者使有、利者使阜、害者使亡、靡者使微)と申す箇條、賈師職に、「凡そ天患は貴きを禁じ、儥(う)る者は恒賈有らしむ」(凡そ天患禁貴、儥者使有恒賈)と申す箇條等は、今日御用ひに相ひ成りても、至極相當の法に御座候ふ。

意訳:商人の権勢が重くなれば【①】、自然と奢侈の気風が起こり、諸々の物品(色)が高値になって、諸民が困窮する根源となります。

 中国古代の夏・殷・周の三つの王朝時代の頃より、〔聖王たちは〕この問題を深く憂慮しましたと見え、経典である《周禮》の「司市」という官職以下の様々な職掌に「〔司市は市場を監督し、その仕事には物価の安定も含まれているので、〕政令を出して、豪華な作りの商品を禁止して、市場に並ぶ商品のグレードを平均化する」、「〔世知に長けた人民の中より抜擢した〕「賈民」という下役人を使って商品詐欺を禁じて、品質以上の値を付けている商品(詐)を市場から除く」、並びに「不足している商品(亡)は補わせる(有)、人民にとってよい商品(利)は数量を増やさせる(阜)、人民にとってよくない商品(害)は市場から無くす(亡)、贅沢品(靡)は数量を減らす(微)」と申す条項や、「賈師」という〔物価の安定を担当する官職〕の職掌に「およそ天災(天患)が発生した時は便乗値上げ(貴)を禁じ、売り手は平価(恒賈)を維持させる」【②】と申します条項は、今日(※江戸時代)お採用になっても、至極妥当な法令でございます。

脚注:
①候得ば:古典文法では「已然形+バ」は確定条件(~ノデ)と訳すが、漢文訓読では仮定条件(モシ~バ)で訳す場合がある。ここでは仮定条件で訳す。
②息軒(もしくは校訂者)の区切り方は通例と異なる。通例の区切りに従えば、意訳は「およそ天災(天患)が発生した時は便乗値上げする者(貴儥者)を禁足し、平価(恒賈)を維持させる」となる。

余論:息軒による、「政府の市場介入」のすすめ。
 息軒の経済政策は、物価の安定を至上目標とする。息軒が贅沢禁止令を提唱するのも、畢竟、物価上昇を抑えるためである。インフレターゲット(inflation targeting:経済発展のために、年間2%程度のゆるやかな物価上昇を目指す)の発想は、1990年代にならないと出てこない。
 なお、ここで紹介されている「賈民」の職掌は、現代日本でいうと、商品の品質表示を監視する「消費者庁」に近い。消費者庁の設置は2009年。


25-02 此れ等の外に、當時の大害三箇條御座候ふ。第一江戸の十組問屋、次に上方金相場の狂ひ、次に大坂堂島の米相場に御座候ふ。米相場の害は、古人詳らかに述べ候ふ故、省筆致し候ふ。

意訳:これらの外に、当代(※江戸時代)の三大弊害(大害三箇条)がございます。第一に江戸の十組問屋、次に上方金相場の異常(狂ひ)、次に大坂堂島の米相場でございます。米相場の害悪は、〔大阪懐徳堂の中井竹山という〕昔の人が詳しく述べていますので、省略いたします。

余論:
息軒は江戸経済の三大弊害として、江戸の十組問屋(大阪発江戸着の海運を独占する菱垣廻船問屋)、上方の金銀交換比率の異常(江戸の公定相場とのズレ)、大阪堂島の米相場の三つを挙げる。以下では、十組問屋と金相場の問題点を解説し、対策を講ずる。米相場は、すでに昔の人が詳論しているので省略するとのこと。

 米相場について詳論した古人とは、恐らく大阪懐徳堂の中井竹山かと思われる。中井竹山は、寛政之改革で有名な松平定信の下問に答えて《草茅危言》を上奏し、そのなかで大阪堂島で米の先物取引(デリバティブ)が投機化し、米相場を不安定にしていると指摘している。
 懐徳堂は、大阪大学文学部の前身。江戸時代に大阪の商人たちが出資して開いた私塾だが、後に幕府の公認を受けて"東の昌平黌、西の懐徳堂”のような立ち位置になった。懐徳堂は伝統的に朱子学を奉じ、徂徠学を敵視した。
 息軒は20代の頃に大阪へ私費遊学し、大阪の朱子学者篠崎小竹に入門しているが、懐徳堂を訪ねたという記録はない。ただ息軒の《左伝輯釈》は、日本の《左伝》注釈書としては唯一中井履軒《左伝雕題》を参照している。

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