安井息軒《救急或問》11

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一我國ノ人ハ勇剛精悍ノ氣、他國ニ勝リタレ共、古ヘヨリ直言極諫ノ士少シ、是レ大義ノ明ラカナラザル故ナリ、甚ダシキニ至テハ君ヲ諫ムルハ失禮ナリト思フ者アリ悲シムベキノ至リナリ、然ルニ筒井順慶和州郡山ヲ領セシ時、異見役ト云フ官ヲ創メタリ、君ノ過失ヲ始メ政事ノ是非得失等ニ至ル迄口ヲ極メテ議論スルヿヲ許ス、即チ漢ノ諫議大夫唐以下御史ノ職ニシテ其用更ニ廣シ、コノ官ヲ置キテヨリ郡山善ク治レリ、順慶ハ差シタル人ニ非レ共、此一事ニ於テハ千古ノ卓見ト云フベシ、順慶ノ時スラ猶能此ノ官ヲ置ケリ、增シテ今日右文ノ世ニ當リテ、此ノ官ヲ置カザルハ油斷ト云フベシ、此ノ官ハ事情に通達シ、時務ニ練熟シ、重職ト爲サンニハ門地賤ク履歴淺ク、下僚ニ滞ラセンハ可惜ト云フ程ノ地位ノ人ヲ用ヰテ其望ヲ重クスルヲ尤モ善シトス。

意訳:我が国(=日本)の人は、昔から武勇に優れ、勇剛精悍の気骨という点では外国に勝っているけれども、昔から直言極諫(君主に直に諫言する)の人物は少ない。これは我が国では大義(本物の忠誠心の何たるか)がはっきりしていないからである。甚だしきにいたっては、「君主を諌めるのは失礼にあたる」と考える者すらいて、本当に悲しむべきことである。
しかしながら戦国大名の筒井順慶(1549-1584)が和州(大和国、今の奈良県)の郡山を領有していた時、「異見役」という官職を作り、君主つまり順慶本人の過失をはじめ政治政策の是々非々や利害得失などに至るまで、あらゆる問題について制限なく意見を申し立て、徹底的に議論することを許した。つまり中国の漢朝の「諫議大夫」や唐朝以降の「御史大夫」に相当する役職で、その役割はさらに幅広い。この官職を設置してから郡山の統治はよくなった。順慶はさしたる人物ではなかったけれども、「異見役」を置いたというこの一事においては永久不滅の卓見の持ち主だったというべきである。
順慶の時代でさえこの官職を設置することができた。まして今日の右に述べたような世相にあって、この官職を設置しないのは不注意というべきだろう。この官職には様々な事情に精通し、時務処理に練熟していながら、家老などの重職に就けるには家柄が低いか経歴が浅く、さりとてそのまま下級官吏に留めておくにはもったいないというぐらいの立場の人物を登用して、その衆望を高めてやるのが一番よいと考える。

余論:批評と批判を混同されたり、忠告を悪口と受け取られたり、ただ疑問点を指摘しただけなのに敵対行為と見なされたりといったことは、何も現代に限らない。

息軒は「甚ダシキニ至テハ『君ヲ諫ムルハ失禮ナリ』ト思フ者アリ悲シムベキノ至リナリ」というが、この「君」を社長や上司、先輩に置き換えれば、そのまま現代の会社づとめに相通じよう。現代では「監査役」の設置が義務付けられているわけだが、息軒のいう「異見役」は社内監査役と企業コンサルタントを兼ね合わせたような役職だろうか。

例によって「君」を現代日本の主権者すなわち有権者ととれば、我々有権者もそろそろ「異見役」のような、国民に向かってキツイこともはっきり言える政治家を選べるようにならないといけないのかもしれない。

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