安井息軒《時務一隅》(三)d

10-01 人の骸には、元氣と申す者之れ有り、其の力にて、一身の運動も心の儘に働き申し候ふ。家にも亦た此の元氣之れ有り、卽ち御家門御譜代の諸侯、 幷びに御旗本衆、其の元氣御座候ふ。中にも御旗本は、ひたと御手に付き居候ふ故、御家門御譜代より國脈に關係候ふ事、重大に御座候ふ。
 此れ元氣衰へ候ふにより、自然御武威も衰へ候ふ姿に成り行き、歎かしき事に御座候ふ。旗本衆を貴び候ふも、御武威盛んなる故に御座候ふ。若し御武威衰へ候はば別に貴び候ふ人も之れ有る間致候得バ【①】(※(此間九字程蠹損す、))國家の御爲計りにも之れ無く、卽ち其の身の爲に御座候ふ。此の旨能々御諭しに成られたく候ふ。

補注:
①ある間致候得バ:「ある間致」は、「ある間敷」の誤りであろう。あるいは「間敷」→「致間敷」→「間致」と誤ったのではないか。文脈から考えれば、「他に尊ぶべき者はいるはずがないので」の意味。

意訳:人体には「元気」【①】と申す〔生命エネルギーのような〕ものがあり、その力で全身の運動機能も心のままに働き申し上げます。〔建物ではなく一族としての〕家にもまたこの「元気」があり、すなわち御家門(親藩)【②】、ご譜代【③】の大名諸侯ならびにお旗本衆〔といった勝ち組〕には、その「元気」がございます。なかでもお旗本は、ぴったりと将軍様のお手元におりますため、御家門やご譜代より国家の命脈に関わりますことは重大でございます。

 〔そのお旗本衆の〕「元気」が衰えましたことにより、自然と幕府のご武威も衰えた姿になっていき、実に歎かわしい事でございます。〔そもそも幕府が〕旗本衆を尊重しますのも、〔常備軍である旗本衆が強ければ〕幕府のご武威が盛んになるためでございます。もし〔旗本衆の「元気」が衰え、〕幕府のご武威が衰えましたら、〔旗本衆の〕他に〔幕府の武威の象徴として〕尊重する人もいるはずがないので(※ここに9文字分ほどの虫食い穴(蠹損)があり、判読できない)【④】。〔それが〕国家のためばかりではなく、〔旗本衆〕自身のためでございます。この旨をよくよくお諭しになっていほしいです。

脚注:
①元気:儒家思想の「元気」概念は、宇宙の根源である太極に相当する概念である。だが、息軒はここでは中医学の「元気」概念を用いている。すなわち人体に宿るオーラとか生命力といった意味合いである。
②御家門:大名の家格の一つで、御三家(尾張、紀伊、水戸)と御三卿(田安、一橋、清水)を除く親藩(越前、会津、越智、奥平、久松)で、松平姓を許されていた。
③譜代諸侯:譜代大名。関ヶ原合戦以前から徳川家に臣従していた諸侯。
④ある致間敷候得バ(此間九字程蠹損す、):文脈から推測すれば、「旗本衆以外に幕府がその武威の象徴として尊重すべき存在はいるはずもないので、彼ら旗本衆に気合を入れ直してもらうしか無い」という意味の言葉が入るのではないか。

余論:前段で「御家人」の問題を論じたので、ここでは「旗本」について論じる。旗本と御家人はいわば幕府の常備軍であり、御家人が足軽(兵卒)を率いる下士官ながらも徒士(歩兵)であるのに対して、旗本は騎馬であり、彼らこそが「侍」であり、幕府軍の中核としてその武威の象徴する存在である。
 だから旗本衆に”そのことを自覚してもっと気合を入れろ”と説教しろ、という。


11-01 次に八州の風俗を亂し候ふ者は、公事師(くじし)・博徒(ばくと)に御座候ふ。西國筋は、諸家の領分一纏めに相ひ成り、法度行き屆【①】き候ふ故、博徒の頭と申す者絕へて之れ無く、御府内に遠く候ふ故、公事師と申す者も承及(うけたまわ)らず候ふ。關東は御代官支配、幕士・知行人雜り、種々の惡徒、跡を隠し候ふ場所多く、法度行き屆【②】かざる處より、博徒の頭生じ、御府内に接近し、健訟の風御座候ふより、公事師と申す者出來致し候ふ。是れ皆な地勢御制度より出で候ふ惡習にて、餘儀無き次第、之れに依り八州取締方と申す者、御立に成られ候得共、此の者共小俸にて、召使ひ候ふ岡引と申す者は、博徒半渡世の者に候ふ故、中には害を爲し候ふ事、博徒より甚だしき者之れ有り、民間にては、殊の外患苦致し候ふ樣子に御座候ふ。

補注:
①底本は「届」字に作る。いま「屆」字に改める。
②底本は「届」字に作る。いま「屆」字に改める。

意訳:〔幕府内の風俗を乱している元凶については、以上述べた通りです。〕次に関八州(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野)の風俗を乱しております者は、「公事師」(くじし)と「博徒」(ばくと)でございます。
 西日本諸国は、諸藩の領地が一まとめになっており、法令も行き届きますため、博徒の頭目と申す者は全くおらず、江戸府内から遠いですから、公事師と申す者もお聞きしません。
 〔一方〕関東は御代官が支配する天領(幕府直轄地)、〔旗本などの〕幕臣や譜代大名(知行人)の領地が入り混じり、様々な悪党が隠れ住み(跡を隠し)ます場所が多く、法令も行き届かない場所だから、博徒の頭目も生まれ、また江戸府内に近く、訴訟が激しい(健訟)風俗がございますことから、公事師と申す者が出てまいりました。

 これはみな地域の情勢(地勢)と現行のご制度より出ております悪習で、どうしようない(餘儀無き)次第で、これにより〔幕府の方でも〕「関東取締出役」(八州取締方)と申す役職をご設置になられましたけれども、この者たちがわずかの給金(小俸)で召し使います「岡っ引き」と申す者は、博徒を半ば正業とする(博徒半渡世)者ですから、中には〔なまじ公権力に属したことにより、一般社会に〕害をなします事が博徒より酷い者がおり、庶民の間では殊のほか〔この岡っ引きの横暴に〕悩み苦しんでおります様子でございます。

余論:ここまでは、もっぱら幕府機構内部の人々が抱える問題点を指摘し、その対策を講じてきた。その際にランダムに対象を選んでいたわけではなく、まず将軍からはじまって、次に将軍の近臣、そして御家人・旗本と、焦点を少しずつ周縁方向へ移動させてきた。ここからは、ついに幕府機構の外部へ目を向けていくが、まずは関東一帯に焦点が当てられる。以下で、関東圏固有の問題として槍玉に挙げられるのは、「公事師」(=ゴト師)と「博徒」(ヤクザ)である。
 息軒は、基本的にヒトの行為を当事者の自由意志(善意・悪意)ではなく、そのヒトを取り巻く社会構造に起因させるから、公事師と博徒の出現もまた構造的に説明される。
 博徒の頭目、言い換えれば、大規模に組織化された博徒集団が関東圏でのみ発生する原因を、息軒は関東一帯の支配構造にあると見る。幕府は諸侯の反乱に備えて、領地の広い大名や外様大名は地方へ遠ざけ、江戸の近辺を親藩・譜代の小領主で固めた。基本的に封建社会では、領主は領地を好きなように裁量できるため、領地ごとに法律や行政機構を異にするから、領地が細々と入り組んだ関東圏では警察権も複雑に込み入ることになり、犯罪者の追跡が非常に困難となっていた。一般的に治安の悪化はマフィアやギャングの抬頭を許す。かくして、関東圏でのみ、博徒の集団化・組織化が進み、「博徒の頭」が出現することになる。
 この問題に対応すべく、幕府は、天領・私領の区別なく関八州全域を巡回して治安維持にあたる役職として「関東取締出役」(八州取締方)を設置した。アメリカでいうFBI連邦捜査官のようなものだ。だが、彼らが捜査のために使っている「岡っ引き」というのが、犯罪捜査のために裏社会に通じた者を選ばざるを得ない関係上、半分博徒のような人間ばかりなので、かえって人民は迷惑を被っている。では、どうすればいいか。
 最近は時代劇がとんと放映されなくなったが、劇中で十手を持った岡っ引きが、よく店主から小銭を受け取っていたのを覚えている。《鬼平犯科帳》では、主人公の平蔵が捕らえた盗賊を改心させて密偵に使っていた。

 

11-02 元來博徒は帳外者故、民間にては、其の生得惡行等、詳らかに相ひ分かり居候得共、召し捕り差し出し候得ば、失費多く、且は仇を致し候ふ事を心遣ひ、手出し相ひ成らず候。所詮地を限り、最寄諸大名へ、博徒捕捉の儀、仰せ付けられ候ふ外之れ有るまじく候ふ。
 右手筋は、戸籍相ひ除き候ふ節、村役人より、捕捉支配の大名へ訴へ出、其の筋の役人より、數度教諭相ひ加ヘ、愈々(いよいよ)相ひ改めず候はば、早速召し捕り、蝦夷開發に御遣はしに成られたく候ふ。

意訳:元来、博徒は〔行状が悪くて故郷を追放されたり、あるいは自ら故郷を出奔するなどして、親族から絶縁されて「宗門人別帳」から抹消された、所謂る〕「帳外」なので、〔地元の〕村民の間ではその生まれついての悪行三昧(生得悪行)について詳しく分かっておりますけれども、〔これを捕まえるために村から〕捕手を出動させますと、出費も多く、そのうえ〔彼が逆恨みして村民に〕仕返しをいたします事を心配して、手出しがなりません。【①】結局のところ、所轄地域を区切って、最寄りの諸大名へ博徒を逮捕する件を仰せつけられます以外に、方法はないでしょう。

 右の問題に対処する手立て(手筋)は、〔不良少年が博徒となって罪を犯してから逮捕に乗り出すのではなく、村民が人別帳から不良少年の〕戸籍を削除するという時点で、すぐ「村役人」(名主・組頭・百姓代の村方三役)より当地の犯罪者逮捕を管轄する領主(大名)へ訴え出て、その方面の役人【②】より〔その不良少年を〕何度か教え諭し、いよいよ素行を改めなければ、その場ですぐに逮捕して、そのまま北海道(蝦夷)開発に派遣していただきたいです。【③】

脚注:
①召し捕り(捕手):尊敬語が使われていないので、主語は「民間」であろう。近世以前の日本では、惣村にはかなり高度な自治が認められており、例えば稲泥棒を自分たちで見つけ出して逮捕し、処罰方法を決め、領主に届け出た上で執行したという事例もある。(参考:長谷川優子〈自力で村を守る人々〉)
②其の筋の役人:息軒は《救急或問》において、政府が人民に対して道徳教育を施す必要性を説き、《周礼・地官大司徒》に倣って、人民を教導する官職の設置を主張し、郡奉行に兼任させることを勧めていた。
③蝦夷開発:息軒の著作に《蝦夷論》があり、そこでも「島流し」相当の受刑者を北海道へ送り込み、開拓に従事させることを提案している。

余論:関東圏から博徒を撲滅する方法。
 まず不良少年がギャングにならないように、早期に政府が教育的指導を施す。その親族が不良少年に匙を投げ、連座を避けるために「人別帳」からの削除を申請した時点で、領主へ報告がいくようにする。領主は治教の役人を派遣して、不良少年に対して教育的指導を行わせる。これは、政府が、人民の家庭内教育に積極的に介入していくものであり、政府による個別人頭支配へとつながる。
 これで不良少年が更生すればよし、しなければ、すぐ逮捕してそのまま北海道開発に送り込む。従来であれば、領外への追放となるところだろうが、そうすると関東圏内で故郷を追放された不良少年が循環するだけなので、まとめて北海道へ送り込み、博徒の再生産を未然に防ぐ。
 息軒が《時務一隅》を著した8年ほど前、安政2年(1855)に日露和親条約が締結され、日本の北海道領有が確定した。当時の息軒は市井の儒者に過ぎなかったが、条約交渉前夜、幕府の海岸防禦御用掛の藤田東湖より対露問題に関して相談を受けていた。(恐らく)そのころ《蝦夷論》を執筆し、幕府主導による北海道の開発防衛とアイヌの同化政策を唱えている。そのなかでも追放相当の受刑者を北海道へ送り込んで開拓に従事させることを提言している。なお受刑者を利用する案は、江戸の蝦夷開発論に多く見えるが、もともとは欧州の植民地開発に着想を得た案だという。(参考:黒田兼一《日本植民思想》)


11-03 是れ迄博奕渡世致し候ふ者は、猶ほ更教諭相ひ加ヘ成る丈良民に相ひ復し候ふ樣、成られたく候ふ。總じて人君の職は、民を赤子の如く取り扱ひ候ふ儀、當然の事に御座候ふ。承服致さざる段、前以て相ひ分かり居候ひても成る丈無事に世を渡り候ふ樣、御世話に成られ候ふ儀、即ち仁君の御心得に御座候ふ。
 右の御心得にて、御取り扱ひに成られ、愈々相ひ用ひざる節、御咎め仰せ付けられ候得ば、人君の職に御耻ぢに成られ候ふ處之れ無く、御咎を蒙り候ふ者も御恨み申さず。

意訳:これまで賭博を生業といたしております者は、やはり〔教育係の役人から〕さらに教え諭して、できるだけ更生して良民に戻れますようになさっていただきたいです。総じて君主という職が、人民を赤ん坊のように〔大切に〕取り扱いますことは、当然の事でございます。〔父母が、自分たちがいくら教え諭したところで子供はなかなか〕承服いたしません事は、前もって分かっておりましても、できるだけ〔我が子が〕平穏無事に世間を渡っていけますように〔繰り返し繰り返し教え諭すがごとく〕、〔人民を〕お世話になられますことが、仁君のお心構えでございます。
 右のお心構えで、〔博徒を〕お取り扱いになられ、〔それでも彼らが〕いよいよご指導を受け入れない時に、処罰を仰せ付けられましたら、君主の職にお恥じになられますところは無く、処罰をお受けいたしました者も〔お上を〕お恨み申しあげません。

余論:すでに博徒となっている者への対処。彼らが重犯罪を犯してから対処するのではなく、普段から説諭を通して更生するよう働きかけよ、という。
 息軒の、というか、儒者の君民関係観が色濃くでている。為政者は人民の道徳教育に責任を持つべきだという主張は、江戸時代の人民道徳がもっぱら僧侶の手に委ねられていたことを前提とする。
 さて、周知のように明治新政府は神仏分離令を発布し、それを機に廃仏毀釈が盛んとなる。廃仏毀釈は民衆運動と言われるが、まだ廃藩置県が実施される以前、南九州では薩摩藩からの圧力を受けて、藩主導で進められた。(宮崎県の佐土原藩主は薩摩島津の分家だったが、「一宗派一寺残す」の方針で乗り切った。)
 その一方で新政府は、明治2年に「大教宣教」を出して、神道の国教化を宣言している。結局、この試みは頓挫するものの、注目すべきは人民の倫理・道徳観念に対して、江戸幕府はノータッチだったが、明治新政府は積極的に管理・推進していく方針を当初からとっていたということである。
 息軒の主張は、これを先取りした観がある。


11-04 今日の御政事、教と申す事絕へて之れ無く、親民の役人も、年貢取り立てと罪人吟味の外、御撫育教諭の廉少しも御座無く候ふ故、民情服せざる模樣も、追々相ひ見え申し候ふ。萬一外夷隙を窺ひ候ふ事抔(など)、出來致し候はば、近國不服の民、國家の一大害を爲し候ふ儀計り難く候ふ。
 御代官手附・手代も、民間幷び私領の害を爲し候ふ儀少なからず候ふ。其の善惡は、品に依り【①】御代官にも遠及致し候ふ樣、御法度御立て下さるべく候。

意訳:今日のお政治には、〔人民の道徳〕教育と申すことが全く無く、人民と直に接する役人(親民の役人)も、年貢の取り立てと罪人の取り調べ以外は、〔人民を〕可愛がってお育てになる(撫育)とか教え諭す(教諭)という事は少しもございませんので、人民の心情が〔お上に〕服していない模様も、追々見え申します。万一、外人どもが〔そうした君民の間に生じた〕隙をうかがいます事などをしでかしましたら、江戸に近い地域(近國)に住んでいる〔幕府に〕心服していない人民が、〔外人にそそのかされて〕国家に一大損害を与えます件は、予測困難です。
 お代官〔によって平民のなかから取り立てられた下級官吏の〕「手附」や「手代」も、民間ならびに私領に害をなしますことは少なくありません。彼らの善悪は、等級化されて【①】彼らを取り立てた御代官自身にも遠く及び申し上げます様、ご法令を立てて下さるのがよいです。

脚注:
①其の善惡は、品に依り:文義未詳。江戸時代には、平民の間から民情に精通している者を下役人に抜擢し、人民の管理に当たらせた。思うに、この下役人に対する評価が、彼を抜擢した上役の評価に反映されるよう提言しているのだろうか、「依品」を等級と解釈しておく。待考。


11-05 公事師は、尤も教諭し難き者に御座候ふ。博徒は剛惡故、中には義侠に類し候ふ事も之れ有り、用ひ方に依りて、常人の爲し得ざる事を爲し候ふ事も御座候ふ。公事師は、柔惡にして姦知たけり、絕へて用ひる所之れ無く、其の害は博徒より甚だしく候ふ。教諭相ひ用ひず候はば、遠流の外之れ有るまじく候ふ。
 御府内も公事師と申す者之れ有る由承り候ふ。八十二軒の百姓宿を始め、心得宜しからざる者は、相應の御咎め仰せ出されたく候ふ。此の二害相ひ除き候ふ上にて、親民の官、機に隨ひ能く相ひ導き候はば、風俗追々立ち直り申すべく候ふ。

意訳:公事師は、最も教え諭すのが難しい者でございます。博徒は剛悪ゆえ、〔彼らの犯す悪事の〕中には義侠に類します事もあり、使い方によっては、常人のなし得ざる事をなします事もございます。〔一方〕公事師は、柔悪で姦知に長けており、全く使い所が無く、その害は博徒よりひどいです。もし〔役人から〕教え諭すことが通用しないのであれば、島流し(遠流)の外はあり得ません。
 江戸城下(府内)にも公事師と申す者がいることをお聞きしています。82軒の百姓宿を始め、心掛けがよろしくない者は、相応の処罰をご命じになっていただきたいです。〔博徒と公事師という〕この二つ害悪を除きました上で、人民と直に接する官吏(親民の官)が、機を見て人民を導きましたら、〔関東の〕風俗も追々立ち直り申すはずです。

余論:公事師は訴訟代行業者であり、現代の弁護士の源流ともいわれるが、資格があったわけではなく、どちらかといえば事件師(ゴト師)に近く、幕府の取り締まりを受けた。息軒も、博徒より公事師を問題視している。
 訴訟には時間がかかったため、地方から江戸へ出てきた訴訟人は、幕府公認の公事宿に宿泊した。息軒が挙げる「八十二軒の百姓宿」もそうした公事宿の一つである。こうした公事宿では訴訟書類の代筆などを請け負っていた。(合法)
 博徒について「用ひ方に依りて、常人の爲し得ざる事を爲し候ふ事も御座候ふ」とあるのは、息軒がしばしば「人材は疵物に求めよ」ということと合致する。


11-06 總(すべ)て愚民は驕子の如き者にて、兔角上令に從はざる者に御座候ふ。之に依り人君の事を、民の父母と申し候ふ。民の父母と申し候ひても、一向慈愛に溺れ候ふ譯には御座無く候ふ。父母の子を育て候ふに、命を用ひざる者は、或ひは叱り、或ひは鞭打ち、甚だしきに至りては、勘當も致し候得共、其の子を不便に存じ、何卒一生無事に世を送り候ふ樣との念願は、始終絕え申さず。是れ卽ち仁の心に御座候ふ。
 此の心御座無く候ひては、良法善政も、自然民心に相ひ響き、日頃官吏たる者も、退屈生じ易き物に御座候ふ。之に依り親民の官は、必ず忠實慈仁の者を、御撰びに成られたく候ふ。(未完)

意訳:総じて愚民は駄々っ子(驕子)のようなもので、とにかくお上の言うことに従わないものでございます。ここから君主の事を「民の父母」と申します。「民の父母」と申しましても、ひたすら慈愛に溺れますわけではございません。父母が子を育てますに、言うことを聞かない子には叱ったり、鞭で叩いたり、甚だしきに至っては、勘当もいたしますけれども、我が子を不憫に思い、何とぞ一生平穏無事に世を送れますようにという願いは、ずっと絶え申しません。これがつまり「仁」の心でございます。
 この心がございませんでは、良法も善政も〔意味がなく、逆にこの心があれば〕、自然と民心に響き、官吏である者も普段から〔問題を起こす人民が現れないため〕、退屈が生じやすいものでございます。ここから民と直接触れ合う官吏には、必ず真心をもって物事に務め(忠実)情け深い(慈仁)者をお選びになっていただきたいです。(未完)

余論:儒学における君民関係を如実に示している。君主を人民の父と規定し、人民から君主への義務(孝行=忠誠)を講ずる言説はよく見るが、ここでは君主から人民への義務(世話・教育)を説いている。人民を「駄々っ子」と比喩しているが、上段でも「承服致さざる段、前以て相ひ分かり居候ひても成る丈無事に世を渡り候ふ樣、御世話に成られ候ふ儀、即ち仁君の御心得」とあり、言っても聞かないと分かっていても、その将来を考えて世話を焼き続けることを求めている。
 ここでは為政者の責任を強く問う一方で、人民側には何ら責任を負わせない。息軒の儒者たる所以であるが、逆に民主制度の何たるかを浮き彫りにもしている。
 現代日本人は、政治家が”自分たち有権者が「無事に世を渡り候ふ樣、御世話に成られ候ふ」”事を求めている節がある、納税者なんだからと。だが、それは民主制度下の国民が抱いていい願望ではないと思う。主権在民の原則にのっとれば、国民こそが息軒のいう「人君」であり、政治家は臣下に過ぎない。

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