安井息軒《時務一隅》(四)前段b

13-01 扠(さ)て關東は奢侈の外に、一大害御座候ふ。卽ち子を間引(マビキ)候ふ事に御座候ふ。凡そ天地の間に生を受け候ふ者、鳥獸虫魚の類に至るまで子を愛せざる者御座無く候ふ。然者(しからば)萬物の靈たる人と生まれ、親たる者、手づから子を殺し候ふ儀、天道神明への恐れも御座候ふ。此の儀嚴禁之れ無きは、一大闕典と存じ奉り候ふ。

意訳:さて関東は奢侈の外に、一大害悪がございます。それは我が子を間引きますことでございます。およそ天地の間に生を受けましたものは、鳥・獣・虫・魚の類に至るまで我が子を愛さないものはございません。しかしながら万物の霊長たるヒトとして生まれながら、親である者が自らの手で我が子を殺しますことは、天地自然の法則や神々のご意向に〔背いており、罰を受ける〕恐れもございます。この件を厳禁する法令が無いのは、現行刑法の一大欠陥と存じ上げます。

余論:息軒による間引き禁止令。《救急或問》にも同じ提言が見える。
 息軒は功利主義(公共利益最優先)的傾向が強いが、こと「間引き」(嬰児殺し)の問題についてだけは、人倫道徳から講ずる姿勢を崩さない。「人口は力だ」という主張は、おくびにも出さない。
 またここでは「天道神明への恐れ」(※「天地神明」ではない)という表現が見える。息軒は「鬼神は敬して之を遠ざく」を誇る儒者であり、気一元論の唯物論者なので、ここで「神明」を持ち出していくるのは意外である。あるいは読み手の老中の心に響く言葉を選んだものか。



13-02 去りながら此も嚴禁ばかりにては、行き屆く間じき候ふ。先づ人として自身子を殺し候ふ事、天地神明の罰を蒙り候ふ所より、親子の情愛、人間の道理を委(くわ)しく書き取り、心得之れ有る役人に命じ、愚民にも分かり易き樣に、口上にて能々(よくよく)相ひ諭し、貧民三人以上子供生育致し候ふ者へは、見計らひ相當に手當下され、若し子を殺し候ふ者之れ有る節は、當人は申し及ばず、組合までも御咎の仰せ付けられ候ふ樣、前以て御申し渡しに成られたく候ふ。

意訳:しかしながら、これも〔政府が〕厳禁するだけでは、人民の間に行き届くはずがありません。まず〔政府より〕“ヒトとして自身の子を殺します事は、天と地に御座します神々の罰をこうむりますよ”という所から始めて、親子の情愛や人間社会の道理を詳しく文章に書いてご説明のうえ、心掛けのよい役人に命じて、〔その文章の内容を〕愚民にも分かりやすいように口頭でよくよく諭し、さらに貧民で3人以上の子供を生み育てております者には、〔その家計状況などを〕見積もってそれ相応の育児支援金(手當)を支給し、もし我が子を殺します者がいた時は、当人は申し上げるに及ばず、その者が属している五人組の組員までもお咎めを仰せ付けられますよう、事前にお申し渡しになっていただきたいです。

余談:息軒の間引き禁止令の補足。
 息軒は、法令を制定するだけでは人民の習俗は改められないと説く。まず人民の認識を改めることから着手し、「間引きをすると、天罰を受けるよ」と役人を通じて口頭で教える。実のところ、息軒自身はこうした人格神の存在を全く信じていなかったので、ここで「天地神明の罰を蒙り候ふ」というのは、人民への説き方を具体的に述べたものであろう。息軒の宗教観は功利主義的で、為政者自身がその宗教を信仰しておらずとも、人民統治の道具として利用すべきだという意味のことを言う。
 ついで「貧民三人以上子供生育致し候ふ者へは、見計らひ相當に手當下され」という、子供が3人以上いる貧困家庭への育児給金制度を提言する。間引きの原因が貧困にある以上、経済的支援は当然議論されて然るべき問題だったが、《救急或問》では言及されていなかった。
 さらに間引きは、本人のみならず五人組も連座することを周知徹底する。


14-01 富民には別段に、人生は互ひに相ひ救ふべき道理を相ひ諭し、上に御厄介を相ひ掛けず、貧民子育の儀、世話致し候ふ者は、其の人數に應じ、村中の高席、苗字帯刀、又ハ格式等下し置かれ、手當を蒙り候ふ子、十五歳より五十歳までは、報恩の爲、月々一兩度づヽ、其家に手傳ひに相ひ赴き、一生親同樣に心得罷在(まかりあり)候ふ樣、仰せ付けられたく候ふ。若し奉公に出るか、又は他村へ片付け候ふ者は、右之筋合を以て、兩家熟談の上、不義理に相ひ成らざる樣、如何程も取計方之れ有るべく候ふ。

意訳:富裕な人民にはそれとは別に、”人生とは互いに助け合うべきだ”という道理を教え諭し、〔富民の方で〕政府にご厄介を掛けないよう、〔自主的に私費を投じて同じ地域の〕貧民の子育てを援助(世話)いたします者には、その〔援助している子供の〕人数に応じて、村の中での高い序列(高席)や苗字帯刀、または格式など〔様々な優遇処置を〕をお与えになり、〔一方その富民から〕援助(手當)を受けておりました子供は、15歳より50歳までは恩返し(報恩)のために毎月一、二度ずつ、その家に手伝いに行き、〔その富民を〕一生親と同様に考えますよう、ご命令になっていただきたいです。もし〔援助を受けていた子供が、実家を遠く離れて都市の商家へ〕奉公に出るとか、または〔結婚や養子縁組などで〕他の村へ片付くことになった場合は、右の理由から、〔援助した富民と援助を受けた貧民の〕両家が十分によく話し合った上で、不義理にならないように、どうとでも取り計らう方法があるはずです。

余論:息軒による、貧困家庭のための育児支援政策。これも《救急或問》にはなかった。
 息軒は、人民同士の相互扶助制度の立ち上げを提唱する。富民で、貧民の子供へ経済援助をする者には、政府の方から村内の序列や苗字帯刀といった優遇処置を与える。これにより政府が財政支出すること無く、貧困家庭の子女を助け、富民は名誉を手に入れることができる。
 子女は成人後、月に1~2度富民の家を訪ねて何か手伝いをすることで恩返しをするので、奨学金制度に近いかもしれない。

 実は、息軒も若い頃に地元の富民から学資援助を受けている。20代の頃の大阪遊学も、40代の頃の江戸への引っ越し費用も、全て飫肥藩清武郷の豪商南村恵蔵の資金援助を受けてのことであり、息軒も常々「余ノ今日アルハ恵蔵の賜モノナリ」と口にしていたという。(参考:若山甲蔵《郷土人物伝 佐土原 城ケ崎》 ※手稿本の影印)
 商人による学術支援活動といえば、大阪の懐徳堂が有名だが、清武郷の商人たちも熱心で、安井滄州・息軒父子が初代教授と助教に就任した郷校「明教堂」(現「宮崎市立安井息軒記念館」付近)は、彼ら清武の商人たちの要望と支援で開かれた。飫肥藩の藩校「振徳堂」は、これに触発されて再建されたものである。
 その伝統は現在も健在で、宮崎市清武町は三つの大学キャンパスを擁する県内随一の文教区であり、安井息軒顕彰会など文化活動も盛んである。
 

14-02 天道より御生みに成られ候ふ人民の事に候へば、一人助かり候ひても、莫大の御奉公に相ひ成り、金子差し上げ候ふ抔と同日之論に御座無く候ふ。況(まし)て數人相ひ救ひ候ふ者共へ、苗字帯刀等仰せ付けられ候ひても、濫賞と申す筋には相ひ成り申さず候ふ。
 右御法相ひ立ち候ふ上は、無慈悲にて子育ての手當を致さざる者は、家柄富民たり共、手當差し出し候ふ者の末席たるべく候ふ。

意訳:天地自然の法則よりお生み出されになりました人民の事ですので、たった一人助かりましても、国家に対する甚大なる貢献(莫大の御奉公)となり、〔その功績の大きさは、政府に〕金銭を寄付する事などとは同日の論ではございません。まして数人を援助します者たちへ苗字帯刀などをお許しになられましても、無闇に報奨を与えすぎだ(濫賞)と申す道理にはなり申し上げません。
 右のご法令が立ちましたあかつきには、無慈悲にも〔貧民の〕子育ての援助(手當)をいたさない者は、たとえ家柄が高い富民であっても、〔村内の序列において貧困家庭への〕援助(手當)を出しております者の末席であるべきです。

余談:天道より御生みに成られ候ふ人民」という語句の由来が未詳、識者の教を乞う。
 息軒は《弁妄》でキリスト教の創世神話を批判し、生命自然発生説を唱える。”水たまりにボウフラが自然に湧くぐらいだから、最初のヒトもどっかで勝手に湧いたんやろ”という言い回しは、同時代のパスツール(1822-1895)が「白鳥の首フラスコ」を用いた実験に成功するまで、西洋でも有力な考え方だった。
 ここでは、無慈悲にも貧困家庭を援助しようとしない富民の序列を引き下げるよう提言する。キリスト教社会では「(金持ちは)貧しき者に施せ」という社会通念があるが、日本では貧困家庭支援は行政の福祉政策に一任する傾向があり、民間で直接というのはあまり聞かない。
 クラウドファンディングによる生活支援というのが、あってもいいのかもしれない。

最近、日本の税金は高いからと言って税金の安い国へ移住しながら、Youtubeなどを介して、日本人相手の動画配信業で巨額の収入を得続ける有名人がいる。彼らなぞは、さしずめ息軒の言う「無慈悲にて子育ての手當を致さざる者」に他ならず、彼らを現代の成功者として持ち上げる風潮はどうかと思う。息軒が「家柄富民たり共、手當差し出し候ふ者の末席たるべく候ふ」というように、少なくとも一般の日本人からは「日本人相手に金儲けしながら、日本社会に還元するどころか、税金すら収めようとしない」という批判が出てもいいように思うが。

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