安井息軒《時務一隅》(六)後段a

28-01 世故紛擾にして、治め難き節は、「與民更始」(民と更始す)と申し候ひて、大赦を行ひ候ふ事、古より多く相ひ見え申し候ふ。
 今日の時勢、夫れ程までには至らず候へ共、四年前の大獄以來、兎角人心貼服仕(つかまつ)らず、中には義徒の名を假り、亂を好み候徒之れ有り、外櫻田を始めとし、種々の變事出來致し、其の徒少なからざる事と相ひ見え候ふ。

意訳:世間の様々な事情がごたごたと揉めて、安定した統治が難しい時には、「人民とともに新たに始める」と申しまして、〔国内の犯罪者の罪をお許しになる〕大赦を行います事が、昔より多く見え申し上げます。

 今日の時勢は、それほどまでには〔深刻な事態に〕至っておりませんけれども、四年前の安政之大獄以来、とにかく民心が〔幕府に対して〕ぴったりとは従い申し上げておらず、中には〔義のために立ち上がった〕「義徒」を自称して、〔その実〕社会的混乱を好みます輩がおり、桜田門外之変を始めとして、〔坂下門外之変、横濱外国人居留区焼討未遂事件、寺田屋事件など〕色々な事変が起こり申し上げ、その〔実行犯の多くはすでに捕縛されておりますが、今なお事変を企てている〕輩は少なくない事と思われます。

余論:息軒による大赦の提言。
 遠回しに「安政之大獄」の苛烈な処置が、攘夷志士を追い詰め、桜田門外之変を引き起こさせたと批判している。そして、井伊直弼が退場して復権した一橋派も、もし報復とばかりにここで井伊派に過酷な処断を下せば、やはり井伊派に同じような事変を引き起こさせることになる。だから、今こそ「大赦」を出して全てを水に流し、報復の連鎖をリセットしなければならないのである。
 結局、一橋派の報復によって彦根藩は家老の詰腹を切らされたうえで、所領を大幅に削られる。これを恨みに思った彦根藩は、譜代大名でありながら、鳥羽・伏見之戦いの後、早々に明治新政府へ帰順し、東への進路を開け放つことになる。


28-02 是れ等は所謂る「反側子」にて、强く御憎みに成られ候へば、餘義無く騒動をも引き出し申すべく候ふ。
 犬猫の類、追ひ流しに追ひ候へば、何處までも候ひて、迯(に)げ候ひて、人にも手向ひ致さず候へ共、四方を立てこめ、必ずこれを殺さんと致し候へば、力の敵せざるを知り候ひても、爪をたて齒を掛け候ふは、其の身の必死を逃がれんと致し候ふ故に御座候ふ。

意訳:これらの者どもは所謂る「不満分子」(反側子)で、〔もし政府が彼らを〕強くお憎みになられ〔て徹底的に殲滅なさい〕ますと、他に方法がなくなって〔破れかぶれで〕騒動を引き起こし申し上げるはずです。
 犬猫の類でも、ヒトが追いに追い回しますと、どこまで行きましても逃げ続けまして、ヒトに手向いはいたしませんけれども、四方を囲んで、絶対にこれを殺そうといたしますと、力では敵わないと分かっていましても、〔ヒトに向かって〕爪をたて牙をむきますのは、自身の絶体絶命の状況から逃がれようといたしますがためでございます。

余論:息軒の対テロ方針。
 テロリストは殲滅するのではなく、アンダーコントロールに置くべきだ。


28-03 今日の勢、少し右に相ひ類し候ふ處御座候ふ間、大赦仰せ出され、人殺し以下の者は、盡く御宥免に成られたく候ふ。
 漢の高祖を「寛仁大度」と稱し、人主第一の美德と致し候ふ。古語にも「川澤納汙、國君含垢」(川澤汙を納れ、國君垢(はじ)を含む)といひ、「國君而讎匹夫、懼者必眾」(國君にして匹夫に讎(むく)いれば、懼(おそ)るる者必ず眾(おほ)からん)とも申し候ふ。

意訳:今日の情勢は、少し右の〔犬猫を殺そうと追い詰めている〕状況に類似していますところがございますので、大赦をお申し付けになり、殺人犯未満の者は、全員罪をお許しになっていただきたいです。
 漢朝の高祖劉邦(前256-前195)を「寛仁大度」と称え、〔度量が大きく、細かいことを咎めないことを〕君主第一の美德といたします。〔《春秋左氏伝・宣公15年》で宗伯が引用した〕昔の諺も「河川が汚れを受け入れるように、国家君主も〔国益のために〕一時的な恥辱に耐える必要がある。〔たとえ面子を傷つけられたとしても、一度は許してやるだけの度量を持つ必要がある〕」と言い、〔《春秋左氏伝・僖公24年》では文公が僕人に向かって〕「国家君主の立場でありながら身分の賤しい者(匹夫)相手に本気で報復を行えば、ビクビクしている者はきっと多いだろう」とも申します。

余論:国家君主にとって、寛大さが第一の美徳である。


28-04 人君は尊位に據り、大權を握り候へば、何事も心の儘に相ひ成る筈に候へ共、左樣致し候ひては、意外の變生じ候ふ故、古の賢君は、寛弘にして道を道とし、匹夫・下郎と理非を較(くら)べ候ふ事御座無く候ふ。此れ皆今日の好(よ)き手本と存じ奉り候ふ。

意訳:君主は尊い位にあることで、〔掣肘を一切受けることなく自由に行使できる国家の〕大権を握っていますので、何事であれ心のままになる筈ですけれども、〔だからといって〕そのように〔自分に逆らった者を片っ端から処刑〕いたしましては、〔追い詰められた者が死物狂い行動に出て〕予想外の事変が生じますので、昔の賢明な君主は、〔臣民相手には〕寛大で道義的であること(道)を方針(道)とし、身分の賤しい者たち(匹夫下郎)相手に〔同じ土俵のうえで〕“どちらの言い分が正しいか”と言い争う(理非を較べる)ことはございませんでした。これは全て今日においてよいお手本だと存じ上げます。

余論:権力者の地位にある者は個人に対して私怨を向けてはならない、個人としての人格と公人としての人格を切り離せ、という議論。公・私を分けろという議論は、《呂氏春秋》という前3世紀に中国で書かれた書物のなかにすでに見える。


28-05 大赦出候ひて、志を改め、良民に相ひ復し候へば、是れも亦た人君の赤子に御座候ふ間、此の上なき美事に御座候ふ。若(も)し猶ほ改めず候はば、此の度(たび)幸ひに罪を免れ候ひても、久からずして其の身を失ひ候ふ事、眼前に御座候ふ。
 然らば彼等死生の間に、御心を殘され候ふ義、毛頭之れ無き事に御座候ふ。

意訳:もし大赦が出まして、〔元犯罪者が〕考え(志)を改め、良民に更生しましたら、〔元はどんな極悪人であれ、今や〕これもまた君主の〔保護して教導すべき〕赤ん坊〔になったわけ〕でございますので、この上なく素晴らしい事(美事)でございます。もし〔大赦を受けて〕なおも〔考えを〕改めませんと、今回〔の大赦で〕は幸運にも免罪となりましても、〔結局は再び罪を犯して捕縛され、死刑になって〕遠からずその生命を失いますことは、明らかでございます。
 〔大赦を行わなければ、更生の見込みがあるなしに関わらず、みな処刑されて死にます。大赦を行っても、活かす価値のある者は更生して生きながらえますが、死すべき悪人は遠からず死ぬべくして死にます。要するに、大赦をしようがしまいが、悪人は遅かれ早かれ処刑台に登るのです。〕ですから、彼らの生死にお心を悩まされることは、毛筋ほども〔必要の〕ない事でございます。

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