安井息軒《時務一隅》(一)02a

(2巻4頁表)

一、君ハ天下の心【①】に御座候、心暗弱に候得ハ、手足健(すこや)カなりと雖、其用

(2巻4頁裏)

を爲(※ナス)こと能はず、何事も人並にハ出來兼申候、是故に賢姦の進退、國用の奢儉、國家の貧富、天下の治亂、孰れも君上の賢不肖より起り候事、和漢の先蹤【②】、歷々相見エ申候、當將軍家、御英明被爲渡(渡し爲され)候由、天下の大幸此事ニ御座候、然共未ダ御若年の御儀、殊に風俗弊壞【③】、外夷【④】窺隙、不容易(容易ならざる)御時節に候得者、君德【⑤】御輔導【⑥】の儀、今日の急務と奉存(存じ奉り)候、德行修明【⑦】の儀、貴賤となく、學問を主と致シ候事故、儒臣【⑧】御親近候儀、勿論の事ニ御座候、然ども儒臣も林氏【⑨】の外ハ禄秩卑く、講義の外ハ、何事も申上兼可申(申すべし)、尤奥儒【⑩】ハ、頗ル御親シミも被爲在(在り爲され)候事と相見エ候得共、是亦日々進講【⑪】と申程にハ有之間敷(之れ有るまじ)、縱令(たとひ)日講被仰出(仰せ出され)候共、講義相濟、直に退出致候てハ、補益少く候間、進講後も御留被遊(御留め遊ばされ)、時務形勢等、御話申上候樣被成度(成されたく)候、右ノ通被仰出(仰せ出され)得バ、先其本ハ立申候得共、儒官【⑫】ハ朝夕侍從之臣に無御座(ござなく)候間、兎角御補益不多(多からざり)候、古語に

(2巻5頁表)

習慣如自然【⑬】(習慣は自然の如し)と申、僕臣正厥后(※キミ)克正、僕臣諛厥后自聖【⑭】(僕臣正しければ厥(そ)の后(きみ)も克く正しく、僕臣諛(へつら)へば厥の后自(みずか)ら聖とす)とも申候、朝夕左右に陪侍致シ候衆ハ、御親シみ深く、自然氣習に御染(※オシミ)被遊(遊ばされ)候儀、人情之常に御座候間、御用【⑮】御側【⑯】以下、御小納戸【⑰】、御小姓衆【⑱】等、總て近侍の方ハ、忠實にして、志操ある人を御撰用相成、晝間ハ成丈ケ御表に被爲在(在り爲され)候樣被成度(成されたし)、御輔導の筋ハ、東照公【⑲】天下の爲にご苦勞被遊(遊ばされ)候儀、御歷代樣御高德の筋ハ不及申(申し及ばず)、和漢の盟主、天下之事に御心を被盡(盡され)候事より、當時天下の形勢、民間の利害等、事に觸れ機に投じて御話シ申上候樣被成(成され)候ハヾ人君之道聢(※シカ)と御合點被遊(遊ばされ)、御志相立チ、御心得益〻正敷(正しく)、御高慢の氣も出不申(申さず)、御才德の進候事、朝日の昇る勢に可被爲成(成り爲され)候、近年廟堂【⑳】の御樣子、巷説にて承リ候處、天下の事、大略閣老【㉑】方御取計ラヒにて、外夷猖獗【㉒】の事抔も、詳に御聞に不達(達せざり)候由、此儀ハ壅蔽【㉓】と申候て、古より天下衰亂の本と致候事に御座候、尤君

(2巻5頁裏)

上御配慮の儀、御心遣(※ヅカヒ)被成(成され)候より起リ候事にて、其實ハ忠義の心より出候事にも可有之(之れ有るべく)候得共、古人ハ此等の事を、婦寺の忠と申候て、奥女中、御坊主等相應の心掛ケにて、大臣の君に事ふる道とハ不致候、何卒此等の宿弊【㉔】御除キ被成(成され)、少シにても重立(※オモダチ)候事ハ、御聞に達し、御思慮被遊(遊ばされ)候樣、御取計ラヒ被成(成され)候ハヾ自然智慮【㉕】御長じ被遊(遊ばされ)、萬一外蠻意外の變を生じ候共、御轉倒被遊(遊ばされ)候儀無之(之れ無し)、天下の人心所恃有之(恃む所之れ有り)、勇氣相倍し可申(申すべし)、關係する所不輕(輕んぜざる)事と奉存(存じ奉り)候、白川樂翁公【㉖】御執政の時ハ、不依何事(何事に依らず)御聞に被達(達せられ)、是非の御捌(さばき)、御伺被成(成され)候由、文恭院【㉗】樣御老後、我等若年の頃、大に越中【㉘】に被苦(苦しめられ)たり、然ども其蔭にて、少し物の道理も辨(わか)る事を得たり、添(かたじけ)ナキ事なりと被仰(仰せられ)候由、實否ハ不存(存ぜず)候得共、賢相の君に事(つかへ)られ候御振合、左社(※サコソ)と奉存候、

注釈:
①心:身体の主宰者。儒家は「心」の仕組みに対して強い関心を抱き、様々な分析を行っている。特に朱子学や陽明学は”宋明心学”と総称されるほど、ヒトの「心」に関する言及が多い。ここでは徂徠学や荀子が「人間の主体性」の所在として肉体と対比して位置づけるところの「心」であろう。《荀子・天論》心居中虛、以治五官、夫是之謂天君。
②先蹤:先例、過去の実例。
③弊壞:①壊れること。②衰退すること、腐敗すること。
③外夷:外国人の蔑称。
④德:利他の精神。「徳」は中国思想における重要なタームであり、一口に「有徳者」といっても、説く者ごとにイメージは異なる。息軒は《救急或問》において「德トハ好キ心得アルヲ云フ、己ヲ薄フシテ人ヲ厚フスルノ意ヲ含ム」と定義する。
⑤君徳:人民の利益のために身を粉にして働くこと。注④参照
⑥輔導:善導。悪に流れないように教え導くこと。
⑦德行修明:「德行」は徳にかなった行い、「修明」は明らかにすること。「徳」(利他の精神)にかなった行いとはどのような行いであるかを理解し、それを身につけること。息軒《救急或問》に「明德トハ、左傳ニ、務崇之也ト見ヘテ、好キ心得ヲ積ミ重ネテ、天下ニ誰レ知ラヌ者モ無キホドニスルヿナリ」という。
⑧儒臣:儒学を以て仕える臣下。
⑨林氏:林家。林羅山を祖とし、朱子学を家学とする一族で、代々徳川将軍家の侍講を務めた。当時は12代当主林学斎(1833-1906)が着任していた。
⑩奥儒:奥儒者。幕府の職制の一つで、将軍の侍講を務める儒者で、林家が世襲してきた。
⑪進講:貴人の前で講義をすること。
⑫儒官:公的教育機関で儒学を教える教官。ここでは昌平坂学問所(昌平黌)で教鞭をとる儒官。息軒もその一人であった。
⑬習慣如自然:《孔子家語・弟子解》孔子曰「然。少成則若性也、習慣若自然也」。
⑭僕臣正厥后克正、僕臣諛厥后自聖:《尚書・冏命》僕臣正、厥后克正。僕臣諛、厥后自聖。
⑮御用:御用人。武家の職制の一つで、主君の用向き(指示)を家中に伝達して、庶務を司る。
⑯御側:側用人。幕府の職制の一つで、将軍のそばに仕え、将軍と老中との間を取り次ぐ。
⑰御小納戸:小納戸。幕府の職制の一つで、江戸城本丸御殿中奥にて将軍に仕え、理髪・膳番・庭方・馬方など日常の細務を担当した。
⑱御小姓:小姓。武家の職制の一つで、主君の身の回りの雑用を担当し、外出や戦場では護衛役を兼ねた。
⑲東照公: 東照大権現。徳川家康の諡号。
⑳廟堂:朝廷、政庁など政治を行う場所。
㉑閣老:老中。江戸の職制の一つで、幕府の最高職。
㉒猖獗:悪いことが蔓延ること。
㉓壅蔽:塞ぎ覆うこと。
㉔宿弊:前々からの弊害。年来の害悪。
㉕智慮:深く考える力、思考力。
㉖白川樂翁公:松平定信(1759-1829)。陸奥国白川藩主で、11代将軍家斉の老中首座となる。倹約に代表される「寛政の改革」を実施し、田沼意次の重商主義政策を覆した(とされる)。
㉗文恭院:11代将軍徳川家斉(1773-1841)の諡号。松平定信を老中首座に抜擢して財政改革に取り組むも、後に定信とは対立。定信罷免後は奢侈に流れるが、それが「化政文化」を招来することなる。
㉘越中:越中守。松平定信を指す。定信は「白河の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼こひしき」と揶揄されるほど厳粛な政治姿勢を示しており、それが将軍家斉との軋轢を生じる原因となる。ゆえに家斉は「我等若年の頃、大に越中に苦しめられたり」と回顧する。

意訳:本段は長文のため、意訳はb以下で述べる。どさくさに紛れて愚痴を述べれば、本書は息軒から老中への書簡が下敷きとなっているため、
 ①敬語表現が鬱陶しい、特に謙譲表現の訳出が煩わしい。
 ②口語文体のためか、主語の省略、主客の転倒が目に余る。
 ③冗長。《救急或問》や《睡餘漫筆》の漢文訓読体と比べると、本当に読みづらい。

余論:安井息軒による14代将軍家茂(1846-1866)のための教育論。家茂は安政5年(1858)に将軍職に就いた時点でわずか13歳であり、文久元年の時点で15歳に過ぎなかった。それゆえ息軒は「君德御輔導の儀、今日の急務と存じ奉り候」といい、書簡の最初にこの問題を取り上げたのである。

 息軒は、家茂が未だ人格形成の途上にあると考え、「徳育」(君德御輔導)を第一の目標に掲げる。そのために家茂の周囲に儒臣・儒官・人品の優れた人物を配置し、薫陶を受けさせようとする。

 次に家茂が幕政を老中に一任し、社会問題に関心を持たず、「外夷猖獗の事抔も、詳に御聞に達せざり候ふ由」という状態にあることを問題視し、自分たち儒官を使って、儒学の講義以外に「進講後も御留め遊ばされ、時務形勢等、御話申し上げ候樣成されたく候」「當時天下の形勢民間の利害等、事に觸れ機に投じて御話し申し上げ候ふ樣」と時事問題や経済問題についてレクチャーを受ける機会を設けるよう提言する。

 注目すべきは《尚書・冏命》を踏まえて、”臣下が主君の人格形成に対して責任を持つ”と主張している点であろう。
 一般的に儒教社会=東アジアの伝統社会は上意下達の専制君主国家として理解されており、儒教も”君主権力を強化する働き”ばかりが注目されがちだが、その実、儒者は君主に臣従すると同時に、君主に対して「理想的君主」として振る舞うことを強く要求する。《禮記・曲禮下》に「人臣の禮たる、顯らかには諫めず。三たび諫めて聽かれずんば、則ち之を逃(さ)る」(為人臣之禮、不顯諫。三諫而不聽、則逃之)とあるのが、それである。
 言うなれば、”君主権力を強化する”のと同時に、”君主権力を馴致する”という二段構えの戦略こそが、儒家の「テキスト戦略」(橋本敬司)なのである。

 念の為断っておくと、漢王朝によって儒学が国学に定められたあと、儒学が皇帝権力を強化する方向へ機能したのか、逆に制限する方向へ機能したのか、研究者によって意見の分かれるところであり、まあまあ深刻な対立を生んでいる。
 個人的には、いくら表面的に皇帝権力を絶対神聖視する言説を展開していようと、そもそも「理想的な皇帝」について語るという行為そのものが、すでに実存としての皇帝をある一定の枠へはめ込もうとする策略に他ならない。皇帝権力の強化と馴致は表裏一体で、切り離すことはできないと思う。

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