安井息軒《救急或問》13

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一法度制令ハ簡ニシテ嚴タルヲ善シトス、簡ハ煩ノ反ナリ、簡ナレバ人從ヒ易シ、嚴ナレバ人敢テ犯サズ、故ニ易ニモ易簡ノ政ハ至善ニ稱フ【①】ト云ヘリ、マタ孔子ノ語ニ苛政猛於虎(苛政は虎より猛し)【②】ト見ヘタリ、苛政ヲ「カラキマツリゴト」ト訓シテ暴政ノ如ク心得タル人アレ共左ニアラズ、苛ハイタイタ草ト云フ草ニテ、滿莖ニ小棘アリ、手ヲ觸ルレバ必刺ス傷ク程ノ事ハナケレ共、如何ニモ心持チアシク痛ム物ナリ、故ニ煩苛ト熟用シテ至極瑣細ナル事ニマデ禁令アリテ、手ヲ出シ足ヲ動セバ、必ズ法禁ニ觸ルヽ如キ政ヲ苛政ト云フ、暴政ハ譬ヘバ棒ヲ以テ打チ惱マス如シ、苛政ハ譬ヘバ傍ラニ付添ヒ、或ハ慰メ或ハ怒リ終夜眠ラシメサル如シ、民ノ痛ムヿ暴政ヨリ甚シ、又孔子子貢ノ問ニ答ヘテ民無信不立(民は信無くんば立たず)【③】ト宣ヘリ、上ニ信無レバ民立タズト云フヿナリ、是

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レニテ法度制令ハ簡ニシテ嚴ナルヲ貴ブヿヲ曉ルベシ。

注釈:
①《周易・繫辭上》:乾以易知、坤以簡能。易則易知、簡則易從。易知則有親、易從則有功。有親則可久、有功則可大。可久則賢人之德、可大則賢人之業。易簡而天下之理得矣。……易簡之善配至德
②《礼記・檀弓下》:孔子過泰山側。有婦人哭於墓者而哀、夫子式而聽之。使子貢問之曰「子之哭也、壹似重有憂者」。而曰「然。昔者吾舅死於虎、吾夫又死焉、今吾子又死焉」。夫子曰「何為不去也」。曰「無苛政」。夫子曰「小子識之、苛政猛於虎也」。
③《論語・顔淵》:子貢問政。子曰「足食。足兵。民信之矣」。子貢曰「必不得已而去、於斯三者何先」。曰「去兵」。子貢曰「必不得已而去、於斯二者何先」。曰「去食。自古皆有死、民無信不立。」


意訳:法律や法令は簡易・簡単・簡略・簡素にして厳格・厳重なのがよいと思う。“簡”とは煩雑の反対である。〔ルールが〕簡略だと人民も守るのが簡単だ。〔ペナルティが〕厳重だと人民も無理に破ろうとはしない。だから《周易・繫辞伝上》も“簡易な政治を至善と称す”と言っている。
また《礼記・檀弓下》に孔子の言葉として「苛政は虎より猛(たけ)し」とあるのが見える。「苛政」を「カラキマツリゴト」と訓読して「暴政」のように理解している人がいるけれども、そうではない。「苛」とはイタイタ草という草で、茎全体に小さなトゲがあって、手を触れると必ず刺さる。怪我をするほどの事はないけれども、どうにも不快でチクチク痛む。だから人民を煩(わずら)わせ苛(さいな)むように酷使して、至極些細な事にまで禁止事項があって、少し手足を動かせば、必ず何かの法禁に触れてしまうような政治のやり方を「苛政」というのである。
 「暴政」とは例えば棍棒で人民を殴って苦痛を与えるような政治だが、「苛政」とは例えばずっと人民の傍に張り付いて、ずっと褒めたり叱ったりして夜通し眠らせないような政治で、〔暴力は振るわないのだけれど〕民の苦痛は「暴政」よりひどい。
また《論語・顔淵》で、孔子が子貢の「政治の要点」に関する質問に答えて「民は信無くんば立たず」とおっしゃっている。これは為政者に“信義”(約束を必ず守り、必ず果すこと)が無ければ、民はやっていけない」という意味である。ここからも法律や制度・法令は簡略にして厳格であることを重視することが理解できるだろう。

余論:息軒が掲げるルールを制定する際の留意点で、息軒は「簡にして厳」という標語を示した上で解説を施しているが、例によって儒教の経書を根拠として引用してくる。

 まず、ルールは簡素にする。禁止事項が300条もあれば、守るどころか、全体に目を通そうという気すら失せるが、3~10ヶ条くらいならとりあえず守ってみようかという気になる。近年(2020/12/16)だと、コロナ禍において東京都知事の提唱した「三密」などが好例だ。
 簡素にする一方で、ルール破りの取り締まりは厳しく行い、罰則は重めに設定する。そうすれば、無理に破ろうとする者も出てこない。ルールがすでに簡素化されていれば、取り締まる側の負担も少なくなっているので、徹底的な取り締まりが可能だ。今回のコロナ禍では、各国が実施したロックダウンがそれか。ルールが”家から出るな”という一点に集約しているので、存外実施に成功した。

 また有名な「苛政は虎よりも猛し」の「苛政」について、政府が人民に暴行を加える「暴政」との違いを説明して、日常生活の細々したことにまで一々賞罰が科されていて煩わしいことだという。しつけに例えると、「暴政」が普通の児童虐待だとすると、「苛政」は”教育虐待”が相当しようか。

 ルールを簡素にすることには、取り締まりを徹底しやすくするという狙いもある。息軒は《論語・顔淵》の「民は信無くんば立たず」を解説して「上ニ信無レバ民立タズ」というが、ここの「信」とは”他人を信頼する”という意味ではなくて、”信義を守る”、すなわち”自分が一度やると言ったことは断固としてやる”という意味であり、そういう人間だと周囲に認知されている状態を指す。
 例えば社長が思いつきで毎日のように新しい社内ルールを発表しては、当人がそれを忘れてしまい、いつも途中でウヤムヤになってしまう会社があるとする。そうした会社では、従業員も「社長がまた何か言ってる」「どうせ一時のことだろう」と社長の指示を聞き流すようになる。そうすると、いざ本当に重要な社内改革を実施しようとしても、従業員が真剣に取り組もうとしないため、中途で頓挫してしまうものだ。それを避けるためには”やると言ったことは絶対にやる”事以上に、”できないことは、絶対に口にしない”事が重要になる。
 法律や法令を「簡」にするとは、つまり「取り締まれないことは、初めから禁止しない」ということである。取り締まれない=違法や脱法が横行することで、法律全体を軽視する風潮が生まれるからだ。これは、今回のコロナ禍で「なぜマスク着用を法律で義務付けないのか」に対する答えの一つになる。マスク未着用者を片っ端から逮捕して取り調べるなど、現実的ではないからだ。


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