安井息軒《救急或問》24

(21頁)

一旧税ハ定免(じょうめん)【①】ヲ善シトス、檢見(けみ)【②】ハ民ト吏トニ姦詐アリテ、十分ノ二ハ其懷ニ入レ、且農家ニ費ヘ多シ、定免ハ即チ貢法【③】ナリ、孟子ノ無不善於貢【④】ト云ハレシハ、井田【⑤】ニ対シテ云ヘルナリ、井田旣ニ壞レテ後ハ、貢法ヨリ善キハナシ、檢見ノ地ヲ定免

(22頁)

ト爲スニハ、先ヅ五箇年ノ豐凶ヲ平均シ、公四六民ニ定ムベシ、此事ハ大事ナリ、公清【⑥】ニシテ農事ニ熟練シタル者ヲ用ウベシ、然ラザレバ大患ヲ生ズ。

注釈:
①定免:税法の一種、「免」は税率の意味する。享保の改革で、従来の「検見」に代わって導入が図られた。 過去5~20年間の平均収穫量に基づいて年貢高を決定する。豊凶に関わらず一定の年貢収入が見込め、諸藩の財政は安定した。
②檢見:税法の一種。毎年、官吏が刈入れ直前の田畑を検分して稲穂の実り具合から予想収穫量を算出し、それに基づいてその年の年貢高を決定する。なお刈り入れ前の田畑を検分するのは、刈入れ後では収穫物の一部をどこかに隠してごまかすのが容易になるから。
③貢法:中国古代夏王朝で行われた(という)税法。農民一人に田畑50畝を与え、収穫の10%を「貢」(税)として納めさせた。
④《孟子・滕文公上》夏后氏五十而貢、殷人七十而助、周人百畝而徹。其實皆什一也。徹者徹也、助者藉也。龍子曰『治地莫善於助,莫不善於貢。貢者校數歲之中以爲常。樂歲粒米狼戾、多取之而不爲虐、則寡取之。兇年糞其田而不足、則必取盈焉。(略)』。
⑤井田:中国古代周王朝で行われた(という)税法。儒者はこれを理想とする。1里四方の田を「井」字形に9等分し、周囲8区画を8家族に与え、中央の1区画を公田とする。公田は8家族が共同で耕作し、公田の収穫を税として納めさせた。
⑥清:「清」字、底本は正字体に作る。

意訳:〔上述のように、新規に開墾した新田の年貢高は検見法で定めるべきだが、〕従来からある田畑への年貢は定免法がよいと思う。検見法では農民と官吏が詐欺を働いて、〔例えば官吏が収穫予想量を少なめに算出する代わりに、農民がその官吏にリベートを払うといった方法で、〕十分の二は懐に入れてしまうし、そのうえ〔検見の実施は〕農家側の負担が大きい。
定免とは、つまり中国古代夏王朝で行われた「貢法」という税法である。《孟子・滕文公上》で孟子が龍子の言葉を引用して「税法としては貢が一番悪い」とおっしゃったのは、周王朝の井田法と対比して言ったのである。井田法がすでに崩壊してしまった後では、貢法よりよい税法はない。
これまで検見法を適用していた農地を定免法へ切り替えるためには、まず過去五年間の収穫量を平均し、税率を四公六民の割合で固定する。この事は大事で、公正清廉で農事に精通した者を任用して行わなければならない。さもなくば大きな問題を生ずる。

余論:息軒の税法論。毎年収穫高に応じて年貢高が変動する「検見法」から、多少の豊作凶作は無視して毎年一定の年貢を収める「定免法」への切り替えを提言する。

 江戸時代の税法の変遷を見れば、「享保の改革」を分岐点に検見法から定免法へ切り替わっていく。当時は、息軒同樣、「定免法」を支持する学者が多かった。定免法は、孟子が否定した夏王朝の貢法と同じであるため、息軒はやや苦しい弁解をしている。


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