30 July 1992

7月30日(木)
新しい先生は、メチャハードな人だ。练习问题を全部やってくれた。みんなつかれきっていた。この先生「谭老师」は色の黒いTNさんのようだと思う。

放校、バス375に乗って颐和园へ行く。人場料【①】で10元もとられた。しょっぱなの蘇州市街はけこう【②】良い。なんでもここを復興する時に蘇州市の工夫が力をかしたそうで、その為らしい。

①人場料:入場料の誤り
②けこう:けっこうの誤り

门をくぐると、目の前にどーんと仏寺がそびえる。この大寺院は(地図をみて)作りも複雑で地図をかこうとして挫折した。そこで一人迷子になったが、頂上近くの香岩佛香宗印の间から昆明湖を望むと――すばらしい。言葉がでない。息をのむ。

「世界を眼下に収めている」「world is mine」という感じ。「われ今日にして初めて皇帝 たることの貴きを知れり」と思った。かつて皇帝しか目にできなかった風景を、いまド平民の自分が見ているのだ、とも。

さらにここで10元はらって佛香香岩楼の方へいく。そこでボゥ~と小一时间すごす。「こんなのんびりと、ツアーじゃできんねぇ~」としみじみと思う。そこから、南へ排云殿へおりるが、そこで売ってる紙コップジュースがメチャ冷たくてうまい。三ツ星をやりたい。

排云门の近くで、超かわいらしい娘を見る。英語をしゃべってるし、Gパンをはいてるから、日系アメリカ人かと思うが、連れの女の子と男の子はどうみても東南アジア人だ。シンガポールから来たんだろうか。写真におさめようとして失敗した。

 普通に盗撮しようとしていて、自分でひく。国外にいたためか、言葉が通じないためか、なんか原住民というか、珍しい野生動物を目撃したみたいな感覚になっていたように思う。
 あと、自分自身の異性に対する関心の高さに驚く。結婚してから、そういった競争原理から完全に降りてしまってから20年たった今、自分で自分が気持ち悪い。20才の男子なんて、そんなものっちゃそんなものなのだろうけど。
 当時はまだ携帯写メもデジカメもなかった時代で、今のように写真を撮るのが手軽ではなかった。撮るのは簡単だけど、現像するのが手間だった。

排を出て回廊を西へむかい、寄潤堂から1.1元で南湖島へ。[マナーの悪い中国人は母子に文句を云う。ぜんぜん通じないのはおもしろい。][ボートのりの4人の白人がプカプカういてて笑える。]

「日本語で遠慮なくおおっぴらに悪態をつき、文句を言いまくる」のが癖になり、帰国した直後は思ったことがすぐ口をついてでそうになり、ずいぶんと慌てさせられた。

全く快てきな旅だ――
が、そっから大変だった。バスで(374)南へ下って、途中で动物园の前を歩いて西直门へいき、そっからバスにのって――という予定をやめて、园の外を歩いてまわって北宮门へ行った。足がすりきれる。サンダルだから かなりつらい。
おかげですぐねれた。予习もせずに。

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