安井息軒《時務一隅》(六)後段b

29-01 是れ迄の大赦は、必ず御國忌の節に、仰せ出され候へ共、此れ甚だ宜しからず候ふ。人君の恩德を僧侶に御與へに成られ候ふ筋にて、人皆佛法の有り難きを知りて、君德の貴ぶべきを知らず。禪宗の御追福の道は、外に如何程も之れ有るべく候ふ間、大赦の命は、必ず人君の思し召しより出候ふ樣に成られたく候ふ。

意訳:これまでの大赦は、必ず〔皇室や将軍家の法要である〕「国忌」の時にお命じになられましたけれども、これは非常によろしくありません。君主が人々を救おうと下された恩徳〔に対して人民が向けるはずの感謝の気持ちを、そっくりそのまま〕僧侶にお与えになられますやり方で、人民はみな〔法要のお陰で大赦が出されたと聞けば〕仏法をありがたいと考えて、〔実際に大赦をお許しになった〕国家君主(人君)の徳を尊崇しなければならないとは考えない〔からです〕。禅宗のご供養(追福)の方法は、〔大赦の〕ほかにもいくらでもあるはずですので、大赦の令は〔宗教上の理由からではなく、〕必ず国家君主(人君)ご自身のお考えより出ます様になさっていただきたいです。

余論:息軒による大赦令を出す際の注意事項。
 従来は国家の法要に際して大赦が出されていたが、それだと人々は「仏教のお陰で大赦令が出た」と考えて、実際に大赦令を出した国家君主に感謝することを忘れる。だから大赦令は、あくまで国君の意志として出されなければならない。
 例えば資金援助を受ける人が、実際に資金を供出している人ではなく、資金の割り振りを決めている人に感謝してしまうようなものか。日本も国際機関にいつも莫大な金額を供出しているが、あまり感謝されている気がしない。


29-02 然れ共祖宗の舊典、俄(にわか)に御改め兼ねに成られ候ふ儀も之れ有るべく、平生の大赦は、强ひては申し難く候へ共、此の度の儀は、是非とも御國忌の外にて、仰せ出されたく候ふ。左樣御座無く候ひては、反側子の心を服するに足らず候ふ。

意訳:しかしながら、代々の先祖を供養するために執り行ってきた旧来のしきたり(祖宗の舊典)には、急にはお改めかねになられますこともあるでしょうから、平生の〔法要のたびにお出しになる〕大赦については強いては〔廃止せよとは〕申し上げにくいのですけれども、〔桜田門外の変や寺田屋事件に関する〕このたびの件だけは、是非とも皇室や将軍の法要(国忌)とは無関係に、〔将軍のご意思という形で特別に〕お申し付けになっていただきたいです。そのようでございませんでは、不平分子(反側子)の心を従わせるには足りません。

余論:息軒による大赦令のすすめ。
 息軒は本段冒頭で、昨今、桜田門外之変を始め攘夷志士による政治テロが続発していることを指摘し、これに対して厳罰を以て処するのではなく、大赦を出すことで、「幕府だって、お前たちが国を憂う気持ちについては、よく理解しているんだよ」というメッセージを伝え、彼らをなだめるよう提言する。
 息軒の提言によったのかは知らないが、幕府は4月の寺田屋事件の後、7月に大赦を出すことを決定し、11月に一連の攘夷運動の実行犯らに対して大赦を出している。
 で、その大赦令がその後どのような結果を招いたかと言えば、攘夷志士たちは「やっぱり自分たちは正しかったのだ」、「朝廷は自分たちをけっして見捨てない」と考えるようになり、ますます尊王攘夷運動にのめり込み、やがて本格的な尊王倒幕が展開していくことになる。

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