安井息軒《救急或問》28

(25頁)

一國人ノ貧シキヲ憂ヘテ、利ヲ求メ融通ヲ善クスルヲ専ラトスルハ小人ノ常、遼ノ耶律楚材【①】ト云フ者、此理ヲ論じて生一利不若除一害(一利を生ずるは一害を除くに若かず)【②】トイヘリ、利ノ裏ニハ必害アリ、害ヲ除ケバ利自ラ生スル故ナリ、誠ニ千古ノ名言ト云フベシ、又費ヘヲ省クハ事ヲ省クニ若カズ、事ヲ省クハ吏ヲ省クニ若カズ【③】ト云フ語アリ、用ヲ節スルノ根本ト知ルベシ。

注釈:
①耶律楚材:契丹(遼)出身で、チンギス・ハーンに仕えた儒者官僚。遊牧民の連合政権であった初期モンゴル帝国にあって、文人を代表して中華文化の保護・存続に尽力したとして、古来中国や日本では高く評価されてきた。②生一利不若除一害:《元史・耶律楚材傳》〔楚材〕常曰「興一利不如除一害、生一事不如省一事」。
③費ヘヲ省クハ……:《晋書・荀勗傳》又議省州郡縣半吏以赴農功。勗議以為「省吏不如省官、省官不如省事、省事不如清心」
※息軒は《資治通鑑・晋武帝咸寧五年》「省吏不如省官、省官不如省事」を引用した可能性が高い。蔵書に《晋書》はないが、《資治通鑑》がある。

★②と③について。
 息軒が引用する②は出典と文字をやや異にするるが、大意は同じである。だが③は全体の印象は似ているものの、文意が正反対になっており、息軒が”省事<省吏”というのに対して、出典では”省吏<省官<省事”となっている。あるいは他に典拠があるのかもしれない。

意訳:領民(國人)が貧しいことに心を痛めて、〔貧民を救わんとして目先の〕小利を求めてあれこれ融通することにばかり心を砕くのは、小人物(小人)がいつも犯す過ちである。
 10世紀頃の中国北部にあった遼国(=契丹)出身で、チンギス・ハーンに仕えた耶律楚材(1190-1244)という人物は、この道理について論じて「利益を一つ生むよりも、損害を一つ無くすほうがよい」(一利を生ずるは一害を除くに若かず)と言っている。

 ある利益の裏には必ずそれと対になる損害があって、損害を取り除けば利益はおのずと生ずるからである【★】。まことに千古の名言というべきである。

補注:
★意味としては、”阻害要因を取り除けば、メリットは発生する”ということであろう。
    また“全体の費用を減らすより無駄な事務を減らしたほうがよく、事務を減らすより官吏の定員を減らしたほうがよい”という言葉もあり、いずれも節用(=支出を減らす)ための根本として覚えておくべきである。

補注:
 息軒のいう「吏を省く」については、第6節と第7節、第12節を参照。そもそも息軒が論じているのは幕藩体制下のざっくりした官僚機構であり、引用元の荀勗が論じているのは中国王朝下の高度に整備された官僚機構であり、抱えている問題点が根本的に異なる。

余論:息軒の緊縮財政論。新たな利益を創出するために新規事業を起こすよりも、既存事業を見直して損失の出ている部門を廃止することを優先すべきだと主張する。

 息軒のスタンスは、不採算事業を整理するコストカッターであり、ベンチャーや創造性(クリエイティビティ)がもてはやされる現代では流行らないかもしれない。ただ息軒が前節から話題にしているのは、債務超過で国庫が空になっている政府の財政再建・財政構造改革であり、まずムダを無くすことから取り組めというのは、妥当な考えであろう。

 息軒の意を汲んで述べれば、「一利を生ず」ための工夫は先行投資を必要とし、常に”期待したほど利益が生まれず、投資分を回収できない”というリスクを負っている。

 ”学校の成績”を例に説明してみよう。
 勉強時間を倍に増やしたり、高い参考書を買ったり、評判の家庭教師を雇ったりするのが「利を生ず」ための取り組みである。時間や金銭といったコストは確実に増大するが、期待通りに成績が上がるという保証はない。リスク&リターンである。
 「害を除く」ための取り組みとは、例えば集中力の持続を妨げているスマホを物理的に遠ざけたり、学習効率の低下を招く夜ふかしや徹夜を止めたりする事を指す。いずれも、これまでやっていたことを止めるだけなので、新たなコストは必要としない。たとえ成績が上がらなかったとしても、何ら損はない。ノーリスクでリターンが望める。

 近年、日本政府は経済的停滞からの脱却を図り、「一利を興す」べく、観光立国を掲げ、インバウンドを求めて外国人観光客を増やさんと様々な規制撤廃・優遇処置を実施し、ついには東京五輪まで誘致した。まさに「國人ノ貧シキヲ憂ヘテ、利ヲ求メ融通ヲ善クスルヲ専ラトスル」を地で進めてきたわけだが、果たして、これらが生んだ「利」は2020年のコロナ禍で霧散してしまった。息軒が知れば「小人ノ常」と冷笑したかもしれない。

 コロナ禍が経済に深刻な影響をもたらし始めてからは、日本政府は「一利を興す」べく”GO TO”政策を推し進めた。だが、これも年末に襲来した第三波によって取りやめとなり(”GO TO”政策こそが第三波を招いたのでは?という批判もある)、稼ぎ時の年末年始に梯子を外された観光業・飲食業はかえって苦境に陥っている。
 その一方で、感染拡大の原因を取り除くための「一害を除く」取り組み、例えば病床不足の解消やマスク着用・外出自粛を守らない人々への罰則規定などは、この1年間ずっと放置されてきた。1月に二度目の「緊急事態宣言」を出してから、ようやく議論が始まった有様である。
 いまは、景気の妨げとなっている「害」(コロナ感染拡大)を取り除くことを優先した方がいいのではないだろうか。

事ヲ省クハ吏ヲ省クニ若カズ」について。
 息軒は、単純に官吏の絶対数を減らせと主張しているわけではない。その幕藩体制下における官僚機構の不備(第6節)、「月番」の欠陥(第7節)、役職ごとの定員過多(第12節)への批判を踏まえて、解釈する必要がある。

 息軒が一貫して主張しているのは、”官僚機構を整備して常勤の官吏を配置しろ”ということである。幕藩体制下では、そもそも役職の数が少なく、一つの役職が多岐にわたる業務を担当している。そして、その少ない役職を複数の武士たちが月当番でシェアしている。
 息軒の主張は、まず既存の役職を解体して業務内容ごとに細分化し、従来の月当番制は止めて、一つの役職ごとに最低一人を任命し、全員を年間通じて働かせるよう改革しろということだ。現代人にとっては当たり前のことだが、当時はそうではなかったのである。

 よって息軒が「吏を省く」というのは、一つの役職に対する官吏の定員を減らせということであり、官吏の総数=武士の総数を減らせということではない。

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