安井息軒《救急或問》19

(17頁)

一淫奔ノ源ヲ塞ント思ハヾ、男女共ニ早ク婚セシムベシ、聖王モ此處ニ深ク心ヲ用ヰラレシト見ヘ、周禮ニ、仲春合男女之無夫家者、是月也、奔者不禁(仲春 男女の夫の家無き者を合せしむ。是の月や、奔する者をば禁ぜず)【①】トアリ、漢土ニハ、婚姻ノ六禮ト云フヿアリ、納采・問名・納吉・納徵・請期・親迎ナリ【②】、若此六禮ヲ行ハザレバ、妾ト稱シテ妻ト稱セズ【③】、貧者ハ此禮ヲ行フヿ能ハズ、聖人男女ノ時ヲ失フヲ憐ミ、仲春ニハ六禮ヲ備ヘズシテ嫁スルヿヲ許サル、之ヲ名ケテ奔ト云フ、即チ江戸ノ下世話ニ云ヘル、引越女房【④】ノ類ニテ淫奔ノ事ニハアラズ、聖人ノ世、風化恩澤餘リアリテサヘ、猶ホ此ノ如ク心ヲ用ヰラル、增シテ今日ニ於テ其儘棄テ置カバ、身ヲ喪フ者必ズ多カルベシ、徧ク世上ノ體ヲ觀察スルニ、卑賤ノ男子妻子無ケレバ自然放埒ニ流レ、家業ヲ勉メズ、終ニハ博徒ニ陥ル、婦人獨居スレバ、酌人【⑤】ニ頼マレ野遊ニ誘ハレ身ヲ持チ崩シ衆人ノ慰ミ者トナリ、一生ヲ誤ル者多シ、其身

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ノ憐ムベキノミナラズ、大ニ風俗ノ害ト成ルヿアリ、此旨ヲ郡奉行・町奉行ヨリ、里正【⑥】・市長・宿老【⑦】等に諭シ、前ニ云ヘル如キ命ヲ用ヰザルモノアラバ、詰問ノ上相當ノ罰ヲ與フベシ【★】、風俗ハ政事ノ田地ト云ヘリ、如何程ノ善政ニテモ、風俗アシケレバ行ハレズ、關東ニハ佃戶【⑧】ノ妻ヲ迎フルニ二十金餘モ費ユル處アリ、是レニ因テ貧窮ナル者ハ、一生獨身ナルユヘ、終ニハ博徒無賴ノ者トナリ家ヲ潰ス、二毛・下總【⑨】等ニ荒地多キハ十分ノ二ハ此譯ヨリ起ル、此ノ如キ弊風アラハ速ニ改正スベシ、總テ何事モ風俗ノ妨ケトナル事ハ、速ニ改正セザルベカラズ、俗吏ハ治體ニ通ゼズ、一時ノ急ヲ救ハントテ、運上【⑩】ヲ貪リ、田舎ニ妓院【⑪】ヲ許シ、富商・豪農ニ㩁沽【⑫】ヲ許シテ、封内ノ產物ヲ買ヒシメサスル等ノ事多シ、不經濟ノ甚シキ者也。

注釈:
①《周禮・地官》媒氏:掌萬民之判。凡男女自成名以上,皆書年月日名焉。令男三十而娶,女二十而嫁。凡娶判妻入子者,皆書之。中春之月,令會男女。於是時也,奔者不禁。若無故而不用令者,罰之。司男女之無夫家者而會之。凡嫁子娶妻,入幣純帛無過五兩。禁遷葬者與嫁殤者。凡男女之陰訟,聽之于勝國之社;其附于刑者,歸之于士。
②《禮記・昏義》昏禮者,將合二姓之好,上以事宗廟,而下以繼後世也。故君子重之。是以昏禮納采、問名、納吉、納徵、請期,皆主人筵几於廟,而拜迎於門外,入,揖讓而升,聽命於廟,所以敬慎、重正昏禮也。
《儀禮・士昏禮》昬禮。下達。納採,用鴈。(以下略)
③《禮記・內則》十有五年而笄,二十而嫁;有故,二十三年而嫁。聘則為妻,奔則為妾。凡女拜尚右手。
④引越女房:あたかも他の土地ですでに結婚披露宴などをすませた上で引越してきたかのようにして、挙式無しで新所帯を持つ女房。「ナシ婚」
⑤酌人:酒席で客の相手をする女性。酌婦、ホステス、キャバクラ嬢。
⑥里正:庄屋・村長。あくまで人民側の代表であり、行政官ではない。
⑦宿老:長老、充分に経験を積んだ老人。
★命ヲ用ヰザルモノアラバ……罰ヲ与フ:①で引用した《周禮・媒氏》に「若無故而不用令者,罰之」とある。ここでいう「令」について、儒教経典は結婚を義務化していて、男性は30歳まで、女性は20歳(ただし事情があれば23歳)までに結婚することを義務付けており、そのために陰暦二月の「奔」(ナシ婚)を認めている。日本に比べるとずいぶん晩婚である。ちなみに中国人に「日本の法律では、16歳の女性と結婚できるよ」と教えると、変質者を見るような目でこちらを見てくる。
⑧佃戶:小作人。
⑨二毛・下總:地名。「下總」は千葉県、二毛は未詳。
⑩運上:江戸時代の租税の一種で、商業・工業・運送業・漁業など非農業従事者に課された。
⑪妓院:妓楼、女郎屋、売春宿、性風俗店、キャバクラ。
⑫㩁沽:専売
⑬經濟:「経世済民」(世を治めて民を救う)の略。「經濟」という熟語を、西洋のeconomyの訳語にあてたのは福沢諭吉と言われているが、江戸時代中期の太宰春台にや後期の海保青陵が「經濟」を「財政」という意味で使用している。また中国の《抱朴子》にすでに「經濟」という 略語が登場している。

意訳:淫奔(性の乱れ)の源を塞ごうと思えば、男女ともに早く結婚させるのがよい。古代の聖王もこの点に深く心を砕かれたと見え、儒教経典の一つである《周禮・地官》の「媒氏」の職を説明して「陰暦二月(現在の三月頃)は、男女でまだ家庭を持っていない者同士を娶(めあわ)せる。この月だけは「奔」を禁じない」とある。

中国では、婚姻のための六礼というものがある。儒教経典である《禮記・昏義》や《儀礼・士冠禮》によれば、納采・問名・納吉・納徵・請期・親迎であり、男性側から女性側へ礼物を三度送る必要がある。そして《禮記・內則》の定義によれば、もしこの六礼を行わなかった場合は正式な結婚とは認められず、女性はただ「妾」(めかけ)と呼ばれ、「妻」(配偶者)とは呼ばれない。

だが、貧しい者たちにはこの六礼を行うことなどできない。古代の聖人は、そのせいで若い男女が結婚適齢期を逃すことを憐んで、陰暦二月だけは六礼なしで嫁ぐことをお許しになった(=陰暦二月だけは六礼なしでも「妻」と呼べることにした)。

《礼記・内則》の定義では、この六礼を行わなかった結婚を「奔」と〔いい、六礼を行った結婚を「聘」と〕いう。つまり、〔《周礼》の「陰暦二月は男女を合わせる。この時は「奔」を禁じない」の「奔」とは、〕江戸でいう所の「引越女房」(挙式しないで夫婦になること。ナシ婚)の類であって、決して「淫奔」(乱交)の事ではない。

聖人の統治する世の中では、すでに人民の教化も生活上の恩恵も余りあるほど充分だったにもかかわらず、聖人はなおもこのように貧しい人々の結婚問題にまで気を使われていたのだ。まして今日において〔若者の未婚問題を〕そのまま捨て置けば、若くして死ぬ者が絶対に多くなるに違いない。

 広く世の中全体を観察するに、身分の低い男子は妻子がいなければ自然と勝手気ままな生活を送って酒色に溺れるようになり、家業に励まず、最後は博徒(ギャンブル中毒・半グレ)にまで落ちてしまう。一方、婦人が〔両親や夫と死別した後、ずっと〕独り身でいると、ホステスの仕事を頼まれたり、コンパニオンとして花見などの野遊びに誘はれたりするうちに、身を持ち崩して色々な男性のおもちゃとなり、一生を誤る者が多い。

 彼ら彼女らの身上は、ただ憐むべきだというだけでなく、大いに社会風俗の害となるものがある。この旨を郡奉行や町奉行から村長(庄屋)や町内会長、村の長老などに教え諭し、先に述べたような命令に従わない者がいれば、詰問した上で相当の罰を与えるべきである。社会風俗は、政治の成果が実を結ぶための田地といえる。どんな善政を敷いても、社会風俗が悪ければうまくゆかないものだ。

   関東地方では小作農が妻を迎える際に金20両(150万円)あまりも費やす地域がある。これによって貧しい者は一生独身であるため、最後には博徒(ギャンブル中毒)や無賴者(半グレ)となり、家を潰してしまう。二毛や下総(千葉県)などには耕作放棄地が多いが、十分のニはこの理由により起こっている。(=関東周辺の耕作放棄地の2割は、農民の若者が独身ゆえの身軽さから家業を捨てて刺激の多い都会(江戸)へ出て行ってしまうことによって生じている。)このような悪弊があれば速やかに改正すべきである。

総じて何事であれ社会風俗を損なう事は、速やかに改正しなければならない。凡俗な官吏は政治体制(治體)というものに通暁しておらず、一時的な財政危機をしのごうと、「運上」(農業以外の業種からの税)を際限なく求めて、郊外で妓楼(キャバクラや性風俗店)の開業を許認可したり、富商や豪農に専売特許を与えて領内の産物を買いしめさせたりなどする事が多いが、「経世済民」(世を治めて民を救う)の精神に反すること甚だしい。

余論:息軒の結婚支援政策論。最近、日本政府が地方自治体のAI婚活システム導入を支援する方針を決めたというが、息軒は160年ほど前に行政による結婚支援を提言していた。というか、「若者の結婚離れ」が幕末でも問題化していたことに驚く。

 ここで問題になっているのは、結納金や挙式費用が用意できない貧しい若者だが、昨今の若年世代の低収入化と、それを理由に結婚や出産をしない選択をする若者が増えている現状を鑑みれば、息軒の提言から学び得ることもあろう。

 息軒の主張を表面的になぞれば、”結婚しない奴はドロップ・アウトする”という主張はいかにも昭和的で(実際にはそれより古い幕末の意見だけれど)、現代なら間違いなく炎上案件だが、我々が学ぶべきはそこではない。

 例によって、息軒の提言は儒教経典に依拠している。ここでは《周礼》に記載された「媒氏」の職掌にもとづき、政府の方から民間に対して結納金や披露宴など結婚の障害となっている習慣を廃止するよう指導することを、提言している。これは、第15節で冠婚葬祭のうち「婚」に対して、行政が歯止めをかけるよう提言していたことと関連する。

 我々が見習うべきは、息軒が未婚問題の原因を(高額な結納金と経済格差という)社会構造にあるとし、それは政府が罰則規定を伴う政治の強制力でもって改正するほかないと考えている点だ。問題を構造化してとらえる点で、システム思考と言えようか。少なくとも息軒は、当事者の甲斐性だとか根性だとか、そういったものに原因や解決を求めたりしない。

 それに引き換え、我々現代日本の大人ときたら、未婚問題の原因を「草食系男子が増えたから」「家庭より仕事という女性が増えた」などいって若者の気質に責任転嫁するばかりで、根本的な原因である「若年層の低収入化」や、今のところそれを解決し得る唯一の手立てである「夫婦共働き」を阻んでいる「保育園待機児童問題」について、あまり真剣に取り組もうとせず、逆に「保育園不足なの分かってて産んだんだから、自己責任でしょ」と突き放す。要するに、何もしないし、してこなかった。

最後の段落は、息軒の反重商主義的性格をよく示している。息軒とて諸藩の財政の危機的状況についてはよく理解しており、税収拡大の必要性も認めている。
 息軒に言わせれば、目先の税収を求めて性風俗店の開業を認可すれば、若者はますます結婚しなくなり、結婚しない男子が増えれば結婚できない女子も同じだけ増える。現代と違って未婚女性の一人暮らしは経済的に困難なため、夜の街で働かざるを得なくなり、それが男性の選択的未婚を更に後押しする。未婚男性は、手っ取り早く遊興費を得ようと、耕作地を放棄して都市へ出ていくので、年貢収入はさらに減り(実際には、年貢は個人でなく村単位で請負うので減らない。ただ村人一人あたりの負担は増す)、藩の財政はさらに悪化する。
 また別の話になるが、商人に独占販売権を与えれば、商人は暴利を貪ろうとたちまち価格を釣り上げるので、人民の生活が逼迫し、さらに未婚化=耕作地の放棄が深刻化し(今でいうと携帯電話料金か。競争原理が働いて料金が安くなるという触れ込みで、電電公社を民営化して新規参入を認めたはいいが、結局のところ主要三社でカルテルをしいて全く安くならなかった。2020年に政府が料金を下げるよう強い圧力をかけているが、それいならいっそ再び公営化して公共料金並に下げてしまえばいいように感じる)、やはり税収減少を招く。
 だから息軒はまず耕作放棄地を減らす工夫をすべきだと主張する。現代で言えば、新卒の離職率を下げるための政策をしろというところだろうか。ただ、そのために「男はできるだけ早く結婚させて、家庭を持たせろ。政府は婚活支援を行え」という理屈は時代遅れに見えて、冒頭で紹介した政府に依るAI婚活システム導入支援のように、時代を先取りしていると言えなくもない。

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