安井息軒《救急或問》15

(13頁)

一法制ハ先王ノ禮意ニ本キテ立ルヲ善トス、論語ニ奢則不孫,儉則固。與其不孫也,寧固〔 奢なれば則ち不孫(不遜)、倹なれば則ち固なり。其の不孫とや寧ろ固なれ〕【①】ト云ヘリ、天地ノ物ヲ生ズルヿ(こと)限リアリ有限ノ財ヲ以テ無限ノ欲ニ奉セバ、天下ノ富ヲ以テ一人ヲ養フトモ窮セザルヿヲ得ズ、是ヲ以テ聖人禮ヲ制シテ天下ノ財ヲ養ヒ、四海ノ内ヲシテ凍餒ノ民無カラシム、故ニ檢約ハ禮ニ及バザルヿアリテモ美德タルヿヲ失ハズ、今日制度立タザル時ニ當リテ、禮ヲ論スルハ迂遠ニ似タレトモ、其意ヲ祖トシテ法制ヲ立ルヿハ難キニアラズ、檢ニ本ヅキ法制ヲ立ツルハ、先

(14頁)

ヅ衣・食・住ノ三ヲ首トシテ、冠・婚・葬・祭ノ四禮ヨリ始ムベシ、中ニモ衣・食・住ノ三ハ延寳・元祿以來上下ノ奢リ甚シ、其ノ内衣ハ制度立易シ、地品・染色等ニテ貴賤・上下ヲ定ムベシ、食ハ慶賀・宴集ノ外ハ教訓ニ非ザレバ届キ難シ、住ハ貧富ノ別アレバ廣狭ノ度ハ格ヲ以テ定メ難シ、但シ造營ノ式ニ、貴賤ノ規矩ヲ存スベシ、冠・祭ハ四海一同弊ト名付ル程ノ事少シ、葬ト婚トニ至テハ土風ニ因テ夥シク僭踰冗費ノコトアリ、身分ニ従テ其度ヲ定ムベシ、喪事穪【②】家之有無〔喪事は家の有無を穪(はか)れ〕【③】トアレ共、是レハ貧者ノ爲メニ語ルナリ、禮ヲ踰テ奢ルヲ云フニアラズ、但シ是レ等ノ事ハ、其地ノ風俗ニ因ルヿユヘ、一概ニ論ジ難シ。

注釈:
①《論語・述而》子曰「奢則不孫、儉則固。與其不孫也寧固」。
 「與其不孫也寧固」を、息軒は独特の訓読の仕方をする。一般的には「其れ不孫なる與(よ)りは寧(むし)ろ固なれ」と訓読するのだが、息軒最後の直弟子である松本豊多の《四書弁妄》によれば、「安門の読法」として「与A寧B」の句型はけっして「AよりはむしろB」とは訓読しないらしく、弟子がそのように訓読すると息軒は必ず止めて「Aと。むしろB」と言い直させたという。その理由は、一般的な訓読の仕方では”AとBはほぼ等価だが、敢えて選ぶなら苦渋の選択でB”という解釈となり、Aを一部容認するかのように聞こえるが、《論語》においてAは一部なりとも許容されるべき内容ではないので、”Aを選ぶ余地があるか、いいや、ない。むしろBしかない”という解釈になるよう、「Aと。むしろB」と訓読するのだという。
②穪:「称」の異体字。
③《礼記・檀弓上》:子游問喪具、夫子曰「稱家之有亡」。子游曰「有亡惡乎齊」。夫子曰「有、毋過禮。苟亡矣、斂首足形、還葬、縣棺而封、人豈有非之者哉」。

意訳:法律や制度というものは、古代の聖王が「礼」に込めた意図にもとづいて定めるのがよいと思う。《論語・述而》で孔子は「贅沢だと偉そうで鼻につくし(不遜)、倹約しすぎるのは窮屈で野暮ったい(固陋)。では偉そうなほうを選ぶ余地があるだろうか、いいや、むしろ窮屈なほうを選ぶしかない」と言っている。〔その意図は何か。〕
 天地が生み出す万物には、どうしても量的限界がある。限りある資源でもって限りない欲望に貢ぎ続けたら、たとえ天下の富でもってたった一人を養うのだとしても、いずれ足りなくなって困窮しないわけにはいくまい。こういうわけで古代の聖人は「礼」を制定して〔人々の贅沢が度を過ぎないよう制限をかけることで〕、天下の資源をたくわえ、世界中から飢え凍え生活に苦しむ人民を無く〔そうと〕した。だから倹約は〔、それによって必要とされる調度品や供物が揃わず〕「礼」に欠けることになったとしても、〔聖人が「礼」に込めた“節度を守り、贅沢をしない”という意図に則っているという点で、〕なお美德であることに変わりはないのだ。
今日(※江戸時代)の諸制度がまだまだ整備されていない時に、「礼」について議論するのは迂遠なようだが、「礼」の意図を出発点として法律や制度を定めるのは難しいことではない。その意図、つまり倹約の精神にもとづいて法律や制度を定めるには、まず衣・食・住の三つを皮切りとして、冠・婚・葬・祭の四礼より始めるのがよい。
 中でも衣・食・住の三つは延宝(1673~1681)・元祿(1688~1704)年間以来、為政者と人民双方の贅沢がひどい〔ので、歯止めが必要だ〕。
 三つのうち「衣」は制度を定めやすい。布地や色などを身分や階級ごとに定めるべきだ。
 「食」は祝い事や宴会のほかは〔人前ではなく自宅にてすませるもので、献立に関して横からあれこれ〕指導するようなものではないので、制度を定めたところで徹底できないだろう。
 「住」は、同格の家柄同士でも貧富の差というものがあったりするので、住居の大きさを家柄ごとに定めるのは難しい。ただし新たに家を建てる際の造営式(上棟式・地鎮祭)には身分ごとの基準があるべきだ。
 冠婚葬祭の四礼のうち、「冠」(元服・成人式)と「祭」(お祭り)は、世界中どこであれ弊害と呼ぶほどの問題は少ない〔ので、特に何もしなくていい〕。
 「葬」(葬式・法事)と「婚」(結納・結婚式)に至っては、土地柄によってはなはだしく身の程を越えた無駄遣いをしている場合があるので、〔政府が〕身分に従ってそれぞれの度合いを定めるべきである。《礼記・檀弓上》に孔子の言葉として「葬式の規模については、その家の資産で決めよ」(喪事は家の有無を穪(はか)れ)とあるが、これは貧乏人のために〔「金が無いなら無理しなくていい」という意味で〕言った言葉であって、〔金さえあれば〕葬礼としての常識の度合いを越えて贅沢の限りを尽くしてもいいと言ったわけではない。
 ただしこれら冠婚葬祭に関するの事は、やはりその土地ごとの風習によることなので、一概に論じるのは難しい。

余論:衣食住や冠婚葬祭の規定に対する息軒の見解。
 東アジア思想文化における「礼」概念は奥深く、礼儀作法(マナー)という一言で片付けることはできない。個人的にこれまで聞いた中で最も得心がいった「礼」の定義は「相手を自分と同じ人間としてきちんと扱うこと」というものである。
 確かに、例えばヒトが目の前で話しているのに平気でスマホをいじるとか、隣と雑談するとか、机に突っ伏して堂々と居眠りするとかいうのは、作法云々の問題ではなくて、「私を対等の人間として扱ってたら、それ絶対できないですよね?」という話だ。だからBLMとかLGBTとか、昨今の「差別と偏見に声をあげよう」という時節柄、失礼な態度にはその根底に差別意識が横たわっているものとして、怒っていいと思う。逆に言うと、年齢や階級や地位が上の相手に対してペコペコするのが「礼」ではないし、理不尽な要求にただ従うことが「礼」というわけでもない。《礼記・曲礼上》に「礼は往来を尚(たっと)ぶ。往きて來らざるは、礼に非ざるなり。来りて往かざるも、亦た礼に非ざるなり」(禮尚往來。往而不來、非禮也。來而不往、亦非禮也)とある。

  話が完全に逸れた。ここでは、息軒は「礼」とは過度の贅沢を防ぐために「聖人」が定めた「節度」だという。なお、この「聖人」にはキリスト教における「聖者」のような神秘的ニュアンスはない。儒教というか中国思想では、ある肯定的な事柄について、それが神によって人間に与えられたものでもなく、ヒトの本能に根ざすものでもなく、あくまで人間が自分たちの都合に合わせて作り出したのだと言いたいとき、最初にそれを作った名もなき智者たちを一つの人格に統合して「聖人」と呼んでいるのである。だから「聖人」って具体的に誰よ?と問うても、あまり意味はない。それが誰かは話の本筋に関係ないからだ。重要なのは、とにかく誰か人間が、神仏に非ざるヒトがその意思にもとづいて、ということである。

 息軒が贅沢を忌むのは、江戸時代が米本位制というか、第一次産業主体の社会だったからだ。農業生産量は農地面積に比例する関係上、どうしても各藩の年貢収入には上限が存在する。ゆえに諸藩は副収入を求めて特産品(商品作物や工芸品)の開発に力を注ぐのだが、それはさておき、元禄年間に貨幣経済が発達し、商人たちがカルテルを組んで市場価格を操作し、生産者(農民)と出荷者(武士)が割を食い始めた頃、やはり新井白石(朱子学)や熊沢蕃山(陽明学)や荻生徂徠(古学)ら当時の知識人たちは異口同音に貨幣経済の弊害を批判し、商人の介入を最小限に抑えて、原始的な交換経済へ退歩することを提言している。(逆に貨幣経済を肯定して流通経済のさらなる促進を支持したのは、太宰春台ぐらいか。)

 息軒が「礼」という節度を設けることを求めるのは、商人の介入する余地を減らすことに主眼がある。現代に置き換えて考えれば、コロナ禍において転売屋によるマスク買い占めと価格吊り上げを防ぎ、全てのヒトにマスクがきちんと行き渡るようにするにはどうすればいいかという話だ。それには政府の方から不織布マスクを使うべき状況と布マスクでいい場合との使い分け(=礼)を定め、これを社会に周知徹底させ、消費者が必要以上に不織布マスクの買いだめに走らなくていいようにし、マスク需要を抑止することだ。

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