安井息軒《救急或問》00

 安井息軒は幕末維新期の儒宗。江戸にて三計塾を開き、その弟子は各藩が派遣する官費留学生によって構成され、特に土佐藩・彦根藩・長州藩・薩摩藩といった後に勤王派に属する藩の出身者が多く占め、実際に明治新政府の官吏として活躍する者を多く輩出した。
 そして、彼の政策論を読めば、明治新政府の近代化政策をあたかも先取りしたかのような主張を数多く見出すことができる。これは彼が西洋的思考様式を備えていたという意味ではなくして、彼が儒者としての立場から下した合理的判断が、明治新政府が西洋の近代的制度を取捨選択する際の判断に投影されているのではないか、という意味である。(「影響を与えた」という表現を使わないのは、状況証拠は数多いものの、同時代人の証言が未だ見つかっていないためである。)
 《救急或問》は、出版されたのは明治に入ってからだが、著述されたのは内容から推して幕末期であり、更に「外寇内亂ノ兆日ニ相迫マリ、加之物價沸騰シ上下困弊ス」(1頁)から推測すれば、開国(1854)による物価高騰以降のことかとと思われる。下限については未詳だが、息軒は藤田東湖を介して水戸斉昭に攘夷論を献策したこともあってか、安政の大獄(1858~1859)で水戸斉昭が処断されて以降は、政治的発言を控えるようになり、専ら漢籍の校勘と注釈に注力し始めることが参考になろうかと思う。
 なお底本には、安井息軒《救急或問》(成章堂、1902年(明治35))を用いる。本書は、岸上操編・内藤耻叟校訂《少年必読日本文庫》第1編(東京:博文館、1891年)や滝本誠一編《日本経済叢書》巻30(東京:日本経済叢書刊行会、1916年) にも収録されている。

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